本当に困っているので助けてくださいと言う話と、僕の人生の話と、LoLの話とMaria Crevelingの話をします。


この投稿で話す事。
- 本当に困っているので助けてくださいという話。
- 僕の人生の話。
- LoLの話。
- Maria Crevelingの話。

- 本当に困っているので助けてくださいという話
僕は今年で21歳になります。僕は学がありません。僕は字が書けません。少しばかりのゲーム/PCの知識と、コーディングの知識と、英語を話すことができます。僕にできることはそれだけです。それ以外には、何もありません。
僕を雇ってくれる方を探しています。こんなことは恥も承知で書いていますが、こうするしかないほどに僕は困っています。

- 僕の人生の話

僕は小学生の時不登校になりました。
それがどうしてなのかは今はもうあまり思い出せないですが、ものすごくつまらなくてありきたりな理由だったような気もします。
それは中学校になっても続きました。
結局、1日も出席することなく校長室で卒業式だけをすることになりました。
通信制の高校に入学して、学校に行くのは数か月に一度で良くなりました。
ただ当然勉強は全く分かりませんでした。たった数ヶ月に一度のはずの教室で椅子に座って話を聞いてるだけの時間はあまりにも苦痛でした。
課題も殆ど、まったく、進めることが出来ませんでした。

僕には書字障害があります。僕は字が書けないということです。見ながらでないと自分の名前さえもちゃんと書くことができません。
これは高校で大きな障害になりました。一番つらかったのは、文字が書けないことよりも、グループワークなどに参加できず、ただ時間が過ぎるのを待っているだけの時間や、授業が始まるたびに「字が書けないので・・すいません。」と担任の先生に伝えないといけなかったことです。

高校は考えたくないこと、視界に入れたくないことでした。
2年生になってから、担任と母で三者面談がありました。
そこで自分の気持ちを全て正直に話しました。
・机に座って、勉強に向き合うというのが、ものすごくつらくて自分の負担になっているということ。
・自分ではこのまま何年掛かっても卒業できる気がしないこと。
・このままでは本当にどうにかなってしまいそうなので辞めさせて欲しいこと。

結局、高校は辞めることになりました。

- LoLの話

小学6年生の時、LoLに出会いました。
その時から今までの約10年間、自分の人生はゲームのために費してきました。

僕は小さい時からゲームが好きな子供でした。その上、僕の家はゲームをする時間に制限をかけるだとか、そういうことがある家ではなかったんです。
結局、学校に行かなかった分空いた時間を、ただひたすらLoLだけに使うことになりました。
あるとき、プロゲーマーという職業の存在を知りました。当時(2013年)のWCSの配信をたまたま開いたことがきっかけでした。
そこでプレイしている人たちはこのゲームをプレイするためにお金を貰っていること、企業や国を代表して試合に出ているような人たちだということを理解しました。
それが当時の自分にとって物凄く魅力的な選択肢だったということは言うまでもありません。

僕は妄想癖が激しい子供でした。小さいときから空想に浸るようなことがよくありました。
妄想と現実の区別がつかなくなったまま、自分はプロゲーマーになるんだと周りの人間に息巻き始めました。
僕はめちゃくちゃLoLがヘタでした。周りの人間は僕がイカれてるんだと思いました。今こうして振り返ってみてもそう思います。

そして15歳の時、どうにか、こうにか、僕はチャレンジャーになりました。これは僕の観測している限り日本人の中で最年少だったような気がします。
その時にこのツイッターアカウントを作りました。「僕は15歳のチャレンジャープレイヤーで、プロになりたいので拾ってくれるチームを探しています。」と宣言したそのツイートは、自分でも驚くべきほどの反響を生みました。数日で500件ほどRTされた後、当時LJLでプレイヤーとして活動していた沢山の関係者の方々が、DMで自分を応援してくれるようなメッセージや、実際にチームに連絡を取る方法等を教えてくれました。

とはいえ、当時はAcademy LeagueやScouting Groundsのような仕組みもなければ、プロを志望する人自体がとても少なかったという現実がありました。結果、その年は特に何も起きませんでした。


- Maria Crevelingの話

かつてLCSに、たった一人の女性プロプレイヤーが居ました。彼女の名前はMaria Crevelingと言います。当時はRemilliaというIDを使っていました。その名前でピンと来る人は来るかもしれません。
僕と彼女は2019年の春に出会うことになりました。

彼女は日本で選手をやりたがっていました。
彼女は日本語が話せませんでしたが、LoLの実力は確かでした。彼女の日本という国に対する愛と、LoLへの情熱に感銘を受けた僕は彼女に連絡を取ることに決めました。
僕は英語が話せました。「日本のシーンについて聞きたいことがあればいつでも連絡ください。」どうせ読まれないと思いながらもそんな文面でメッセージを送りました。

驚くべきことに、彼女は僕に対してとても丁寧に返信を返してくれました。僕は彼女に、自分はプロ志望生なんですと話しました。すると、彼女はとても驚きました。生まれた国も住むところも遠く離れた僕達は、日本でプロになるという夢で意気投合して一緒にゲームをする仲になりました。

彼女とは2人でduoすることになりました。来る日も、来る日も、来る日も、来る日も二人で1日10時間以上続けました。その生活は半年以上続き、僕と彼女は日本サーバーでチャレンジャーランクを達成しました。

その過程は、はっきり言って辛いことが多かったです。
一番辛かったのは、日本人コミュニティにおける、xenophobicやtransphobicな思想を持った人たちの存在でした。
彼女は日本人との交流を何よりも喜びました。そのために懸命に日本語を勉強し、毎日配信していました。
あるときから、僕達の配信には、女性嫌悪、トランスジェンダー差別、外国人差別のようなコメントをする人たちが現れ始めました。
その人たちのする言葉は、文章にするのも憚られるような、酷いものでした。
彼女は、そのようなチャットが来るたびに、嬉しそうにしながら僕にこれはどういう意味?と尋ねました。
そのたびに、僕は答えることができませんでした。
僕は、「英語でなんて言えばいいかわからないや。ゴメン。」そんな風に誤魔化していつも本当のことは言えませんでした。
中には僕達のゲームをスナイプしてインゲームで直接そういった言葉を投げかけてくる人もいました。

やがて彼女は、僕達がそういった悪意に晒されていること、
心無い言葉を投げかけてくる人たちの存在に気付くことになりました。
底抜けにポジティブな性格だった彼女が変わっていったのはその時期からでした。

彼女は、僕に「二人でプロになろう」と言ってくれるようになりました。
同じチームに入りたいという意味でした。彼女と僕は、プレイスタイルの面でも、性格面でも、ものすごく相性が良かったと思います。
彼女の夢は、日本でプロをやるということから、「僕と二人でプロになる」ということに変わっていきました。
そして僕達は、2人セットでトライアウトを受けさせてくださいという連絡を様々なチームに取ることになりました。

彼女の目標は、今から思うと、あまりにも現実的ではなかったのかもしれません。
そのために解決しないといけない問題は本当に山積みでした。当時全てのLJLチームは僕達を拒みましたが、やがて、あるチームから
「sirotama単独なら、ぜひトライアウトをしたい。」という申し出がありました。
その話を彼女にしたとき、彼女はものすごく嬉しそうにしながらおめでとうと言ってくれました。
その時彼女が僕に言ってくれた言葉のことはずっと忘れません。
「夢を掴むチャンスを無駄にしないで。
どうか、先に進んで。」


僕は馬鹿だったと思います。
けれど、彼女とは何か月も、何百時間も、同じ時間を共有して、同じように苦しんで、同じように喜んで、同じ夢を追いかけてきました。
その時間を否定してしまうようで。
僕はついぞ、先に進むことができませんでした。

そのことを伝えた時から、彼女とはあまり連絡を取り合わなくなりました。

その年の冬、クリスマスの夜に、彼女は自ら命を絶ちました。


僕のこれからの人生において成さねばならないことが一つあります。
それはMaria Crevelingの墓を尋ねることです。

eスポーツジャーナリストで知られるRichard Lewisという方がいます。彼は彼女の親友の一人で、その時期、Mariaは彼の家で生活していました。
僕は彼に彼女の墓の場所を尋ねました。
彼は、彼女が生前ずっと行きたがっていた北海道に、彼女の骨を埋める手はずになっていると、場所が決まればまた連絡すると説明してくれました。
それから4年が経ちましたが、ついぞ連絡が来ることはありませんでした。

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