キューバ危機の時、たった一発の核弾頭で大騒ぎしていた裏側では、
実は、嘉手納の米軍基地(弾薬庫)には1300発の核弾頭が格納されていた。

こうした核兵器の弾薬庫は、佐藤栄作が結んだ有名な密約によって、
「(沖縄)返還後も、いつでも使えるように準備しておけ」
と米国に言われていた。

この核兵器がいつでも日本の本土(横田とか三沢とか厚木とか)の
米軍基地に運ばれて、そこから飛び立って、
中国やソ連を攻撃できるようになっていたという事実・・・。

三沢基地なんかは、ほとんど核攻撃の演習しかやっていないですからね。

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