biotit

Hashimoto · @biotit

2nd Jun 2019 from TwitLonger

百合SFムーブメントの話


 ようやく元ツイート(早川書房さんの百合SFムーブメントに対する、杉江松恋さんの問題提起)を確認したので、私の感想を述べたいと思います。
(1)男女やBLと同様に"性的消費"のオプションとして百合があっていいのでは。「百合を読みたい」という動機は、例えばロマンス小説が読みたい、吸血鬼ものが読みたいと思うのとそう違わないのではないでしょうか。
(2)百合を書く・読む人のジェンダーやセクシュアリティも多様ですし、印象論になってしまいますが、百合とSFの両方をこよなく愛する人たちは元々結構目についていました。売れるから百合に進出したわけではないと考えています。

 私は「特集号が新しい読者にリーチし、新進作家たちや新しいレビュアーたちの活躍の場になったのだから大いにアリ」と思っています。
 参加者の中に百合とSFのどちらも大好きな人たちがいることを知っているので、或いはひいき目かもしれません。でも、まずは若い人たちが好きなことを好きなように、全力で表現する機会を得たことを祝いたいのです。

 SFマガジン当該号は、はっきりした同性愛小説から淡い思慕レベルまで、書かれている女性同士の関係の濃淡もバラエティーに富んでいました。森田季節「四十九日恋文」が一番好きです。当時のの私の感想ツイートは以下です。
 「SFマガジン2019年2月号を読む。インタビュー3本すべてにおいて宮澤伊織さんの話がされている……! 月村了衛さんの鋭敏さと真摯さをあらためて畏敬する。令丈ヒロ子さんの奇想天外SF新人賞設立時の思い出、中高生におすすめの翻訳YA小説、最後の一段落が心に響いた。
 読みきりの小説4本+マンガ1本は、いずれも異界や人外をモチーフにした切ないお話。宮澤伊織「キミノスケープ」は恋や愛憎といった感情ではなく、ポストアポカリプスものの叙情性が百合の引力・斥力になっているというか……説明が難しいので読んでください。完成度が高いのに実験的。」
 執筆者をさらに増やし、アンソロジーとして刊行されるのを一読者として楽しみにしております。

 とはいえ、百合SF特集については、危惧も強かったです。発言していませんでしたが。
 例えば、百合SF一辺倒になってほしくはありません。BLSFを読みたい人や、「恋愛や性的な表現をそもそも見たくない」という嗜好もまた、尊重されてほしい。主流であると思われる価値観に偏重せず、常に多様性を模索してほしい。それはこの特集が実施される前からの私の願いです。

 また、特集の参加作家やレビュアーの男女比が偏っているのも、これはSF全体の問題ですが、気になっています。もちろん非当事者だって想像力や取材のおかげで、女性をほぼ完璧に書いたり、性別を超えて普遍的に書くこともできるでしょう。でも多様な新しい読者を呼びこむためにも、もっとジェンダーやセクシャリティの多様性がほしい。読者にも自分の嗜好にこだわらず、いろいろ読んでみてほしい。

 それから昨夏も感じたことですが、問題提起に対し、反射的に攻撃的な反応をする人もいるのに驚いています。「何いってんの?」的な。これは、発言者の胸がすく以外に何も良いことをもたらさない。断絶を深めるだけです。私は疑問に対して、活発に意見交換する文化にしたいですし、杉江さんは反発も大きいことを想定の上であえて発言されたと思っています。なので、今回長々と見解を書いてみました。

 最後にもうひとつ。同性愛と銘打たないことで、同性愛と銘打てば被る批判をかわしてそうとか、百合とは何か知ってる"内輪"に向けているのか?という疑念は正直ありますよ。(この失望は八つ当たりに近いのかもしれませんが)
 『アステリズムに花束を』は世界初の百合SFアンソロジーと題されています。しかし90年代末から英語圏では同性愛をテーマにしたアンソロジーが旺盛に出版されています。近年はトランスジェンダーやジェンダーフルイド、ノンバイナリーをテーマにしたものも刊行されています。Gaylactic Spectrum賞や、Lambda Literary賞のSF/FT/HR部門では、毎年優れたLGBTQ小説が表彰されます。また、女性で男性同士のそちらと百合SFの文脈が接続されず、切り離されている状況が私は残念です。
 
 ついでなので同性愛とSFにまつわるトピックの一部を公開させてください。とりとめないですが、もうちょっと話題になってもよくない?とかそういうやつです。(敬称略)
 ・台湾の作家、紀大偉作品集『膜』がいかに素晴らしいか。
 ・Steam-Poweredというレズビアン・スチームパンク競作選がいかに面白いか。
 ・女性で主に男性同士のカップルをよく書いている未邦訳作家もおり、Alaya Dawn Johnsonなんかその筆頭。
 ・平凡社の笠間千浪・編『古典BL小説集』に、マリオン・ジマー・ブラッドリーの男性妊娠BLSFが載っている。
 ・津守時生や茅田砂胡、長野まゆみ、とみなが貴和の書くSFとその性のありかた。『華竜の宮』も。
 ・野阿梓、集英社スーパーファンタジー文庫時代の田中啓文、牧野修の一部作品で書かれたGTQキャラクターの存在。
 ・深見真がデビュー当時から同性愛者キャラクターや同性間セックスを示唆する描写を男女両方書いてきたこと。
 ・宮澤伊織が「ドラマ版『ハンニバル』によってBL理解を劇的に押し上げられたと同時に、百合理解も一緒に引きずり上げられた」と発言していること。「ある二人の間に発生する強い感情」を描くというジャンルは、実は二人の性別の組み合わせに関係なく普遍的で、フィクションの定番ですらあり、BLや百合というパッケージングはちょっとしたラベルにすぎないのかもしれない。
 ・ジョン・ヴァーリイは八世界シリーズで、男女の切り替えが気軽に可能な世界を描いたが、シリーズ外作品ではジェンダーの軽やかな流動性を書いてはいない。これはインタビューで、八世界はそういう世界設定なので と回答されていた。

 私はSFというジャンルが、ジャンル特性上、性別や性志向に対して自由であること、実験的になれること、問題提起できることを魅力のひとつとして愛しています。

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