初村謙一郎と増田寛也、そして小沢一郎との関係



こうして、初村滝一郎と増田盛の二人は、
同じ業界の仲間として利権を享受しながら、
親密になっていった。

と同時に、それぞれの息子である初村謙一郎と増田寛也もまた、
親密にならざるを得ない運命にあった。

その増田寛也が九五年四月に出馬した岩手県知事選に、
オレンジ共済事件の資金が使われたという疑惑が報道されたが、
こうした過去から推測すれば、否定するほうが無理である。

増田寛也は、新進党から出馬して知事に当選したのである。

長崎と岩手は、地理的には遠い。

しかし岩手県には、北上川開発の土建で増田一族と組み、
岩手県内の土建を牛耳ってきた小沢佐重喜という男がいた。

弁護士だった小沢は、東京市議・府議から衆議院議員となり、
たちまち運輸大臣、逓信大臣、郵政大臣となり、
ついに建設大臣の職についてから、岩手開発鉄道の社長に就任した。

そして、日本最大手に数えられる鹿島建設で相談役となったのである。

その息子は、小沢一郎と命名された。

(「私物国家」広瀬隆・著 p.104より引用)

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