『ベネッセの回答へのコメント』

黒木玄 https://twitter.com/genkuroki

2012年12月19日


最近の興味深い取材記事

 5人に飴を4個ずつ配ると飴はいくつ必要か 赤ペン先生回答
 http://www.news-postseven.com/archives/20121219_160975.html
 NEWSポストセブン、2012年12月19日
 取材・文=フリーライター神田憲行

からベネッセの回答を転載し、コメントを付ける。

その前に背景(のほんの一部)について説明しよう。

私は以下のようなことがあるのではないかと指摘して来た。

(1) 算数教育業界全体が掛算の順序に強くこだわる教育を推進している。

(2) 算数教育業界には具体的状況を式だけで忠実に表現させようとする習慣があり、
式だけを見て具体的状況が一意に決まるということになっているらしい。
この意味で具体的状況を式で表わすことは「立式」と呼ばれている。
この件に関して、この「立式」という用語は最重要の要注意キーワードである。

(3) たとえば、算数教育業界では、
「6人に7個ずつ飴を配るときの飴の総数」を「6×7」と書くと、
6人の7つ分で答えが人の人数になってしまったり、
6個ずつ7人に配るという意味になってしまったりする場合がある。

しかし、世間一般では、「6人に7個ずつ配る」という文脈で「6×7」と
書いても、6人の7つ分で答が人の人数になってしまったり、
6個ずつ7人に配るという意味になってしまったりすることはなく、
文脈から「6×7」は6人に7個ずつ配る様子を表わしていると解釈する。

算数教育業界にはこのような常識に真っ向から対立するスタイルで
「具体的状況を式で表わすこと」を教えようとしている。

(4) 算数教育業界では「具体的状況を掛算の式で表わすときには、
一つ分×幾つ分の順序で式を書かなければいけない」とされている。
一般に、同じ個数を含むグループが幾つかあるとき、
一つのグループが含む個数を「一つ分の数」と呼び、
グループの個数を「幾つ分の数」と呼ぶ。

もちろん「一つ分×幾つ分の順序で書く」というルールは世間一般では通用しない。
実際、小学生の大会であっても4×100メートルリレーという言い方をするし、
我々の社会では単価×数量と数量×単価のどちらの流儀も普通に使われている。

さらに、そのルールを仮定しても「6人に7個ずつ配る」という状況を
「6×7」という式で表わすことは誤りにはならない。
なぜならば、トランプのように6個ずつ7周配る様子を想像しながら、
6を一つ分の数、7を幾つ分の数とみなせるからである。

トランプ配りの考え方を一般化すれば、一つ分と幾つ分の考え方のもとで、
掛算の交換法則は「一つ分と幾つ分の数の立場をいつでも自由に交換できること」
を意味していることがわかる。

だから、「6×7」のような式を見ただけで「一つ分×幾つ分の順序ではない」
と判定することは、掛算の交換法則の意味を理解していれば、
常に不可能だということになるのだ。

これを理解するためには中学校以上の数学は必要ない。
まさしく算数レベルの話であることをここで強調しておきたい。
以上の議論が正しいと思えない人は算数を理解していないことになる。

ちなみに、同じ指摘が父兄によってされていることが
1972年の朝日新聞の記事ですでに紹介されている。
http://ameblo.jp/metameta7/entry-11137983364.html
この問題は少なくとも40年の歴史を持っているのだ。

不思議なことにトランプ配りの考え方があることの指摘は無視され続けている。
多くの場合に関係者は「そのような考え方をする子どもはいない」と
言いたげな態度を取る。

しかし、以下のページを見れば現実にトランプ配り的なイメージで
一つ分の概念を理解しようとする子どもが存在することがわかる。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/1210/467390.htm?o=2
おやつをいつもトランプのように配っている家庭の子どもは
実際にそのような考え方をする可能性が高いと思われる。

このように、「一つ分×幾つ分の順序で書く」というルールを前提にしても、
数の掛算の式の順序が逆なだけで不正解(もしくは減点)だとすることは
不可能である。その不可能なことをやっている場合には
子どもに間違った考え方を教えていることになる。

だから、算数教育業界関係者が掛算の順序が逆な場合に不正解もしくは減点と
する理由は「一つ分×幾つ分の順序で書く」というルールにある
と述べているならば、次のどれかでなければいけない。

・実際には「一つ分×幾つ分の順序で書く」以外のルールを裏に隠している。
・算数における掛算の交換法則の意味を理解していない。
・トランプ配りのような考え方をする子どもの存在を無視して構わない。

このどれだったとしても、ろくな話ではない。

ちなみに掛算の交換法則は小学2年生で九九を教わるときに習うことになっている。
交換法則を習った後であっても、掛算の順序にこだわらせようとするのが、
算数教育業界における標準スタイルになっているのだ。

(5) 算数教育業界の掛算の順序に関する標準スタイルは以下の通り。

・具体的状況を式で表わすとき、一つ分×幾つ分の順序で書かなければいけない。
このルールは交換法則を教えた後であっても有効なままである。

・実際には掛算の文章題だけから、どちらの数が一つ分の数であるかは決まらない
のにあたかも、「ずつ」が付いている数や
答えが人数ならば問題文中の助数詞の「人」が付いている数
が一つ分の数になるということになっている。

・モノが長方形型に並べられている場合や長方形の面積を求める場合には
掛算の順序にはこだわらない。

・具体的状況を式で表わすときには掛算の順序にこだわるが、
計算では掛算の順序にはこだわらない。
たとえば「6人に7個ずつ配る」で「6×7」と立式すると誤りになるが、
「7×6=6×7=42」と式を書くと正解になる。
このようなルールを子どもたちはいちいち覚えるプレッシャーにさらされている。

さて、ベネッセの回答にコメントしておこう。

以下の>から始まる部分は
http://www.news-postseven.com/archives/20121219_160975.html
から転載したベネッセによる文書による回答。

第1段落
> かけ算の式を書く順番について、
>進研ゼミでは(1つ分の数)×(いくつ分)=(全部の数)で
>立式するよう指導しております。理由は以下の通りです。

はい、いきなり出ました、「立式」という超要注意キーワードが!

第2段落
>1:式は単なる「答えを出すもの」ではなく『数量の関係を表すもの』として
>指導しています。学習指導要領には「乗法が用いられる場合とその意味」として
>「乗法はひとつ分の大きさが決まっているときに、
>そのいくつ分かに当たる大きさを求める場合に用いられる
>つまり累加の簡素な表現として乗法による表現が用いられることになる」
>とあるので、そのような乗法の意味に合わせて立式をしています。

一つ分と幾つ分の考え方で掛算を理解することと、
一つ分×幾つ分の順序で掛算の式を書かなければいけないとすることは
まったく異なる。算数教育業界ではこの二つを混同する傾向が強い。

実際、学習指導要領解説
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syokaisetsu/index.htm
の算数編のどこを見ても「一つ分×幾つ分の順序で掛算を導入する」とは
書いていない。

ただし、学習指導要領解説の著者たちは雑な態度で勝手にその順序を前提にした
式を書いている場合がある。東京書籍はそのことをもって、
掛算の順序にこだわる教え方(掛順こだわり教育)の根拠としているらしいが、
文科省には「考え過ぎ」だと一蹴されている(中日新聞2012年11月5日の報道)。
http://ameblo.jp/metameta7/entry-11411603411.html

要するに、掛順こだわり教育の根拠として、学習指導要領を挙げるのは誤りである。

第3段落
> かけ算の式を「単なる答えを出すためのもの」としてではなく
>「数量の関係を表すもの」としてとらえて、
>式を見たときに、誰でも同じ意味に読みとれなくてはいけないため、
>『飴を5個ずつ4人に配る』のであれば5×4と表現することが必要で、
>4×5では『飴を4個ずつ5人に配る』というように状況が変わってしまいます。

「式を見たときに、誰でも同じ意味に読みとれなくてはいけない」はより正確には
「式を見ただけで、誰でも同じ意味に読みとれなくてはいけない」と言いたい
のだと思われる。

しかし、これは世間一般では非常識な考え方である。
『飴を5個ずつ4人に配る』という状況で「4×5」という式を見れば、
普通の人であれば、4は配る先の人の数を表わしており、
5は一人ひとりに配る飴の個数であると解釈するだろう。
あまりにもあたりまえの話である。

ところが、ベネッセの回答にもあるように、算数教育業界では
『飴を5個ずつ4人に配る』という状況であっても、「4×5」という式では、
4が一人ひとりに配る飴の個数になり、5は配る先の人の数になってしまうのだ。

初めて聞くとあまりにも非常識過ぎて何を言っているか理解できない人も多いと思う。

同じ考え方で工夫された授業が素晴しい授業として、
朝日新聞紙上で紹介されている。
その授業によれば「2×8ならタコ2本足」になるらしい。
http://www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY201101160133.html

さらに、これと類似の教え方が実際に教科書指導書に書いてある場合がある。
ここで教科書指導書とは各教科書会社が出している教科書の教え方を解説した
教師用の指導書のことである。教科書会社が出版している教科書指導書と
文科省が出している学習指導要領を混同しないように注意されたい。

たとえば以前の東京書籍の教科書指導書に
「6×7では、6人が7つ分になり、答えは子どもの人数となってしまうことをおさえる」
と書いてあったことを現場の教師が厳しく指摘している。
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089

さらに啓林館の現在の教科書指導書には、
小学6年生での文字式に関する指導の場面であるにも関わらず、

 数量関係を表す式を立てるとき,左辺と右辺が反対になっている児童が
 よくいる。それを正しいと考えている児童もいれば,間違いだと考えてい
 る児童もいるため,その扱いにきちんと触れておきたい。会の②でいえば,
 x×8=yでもy=x×8でも正しいが,「1冊z円のノートを8冊買い,
 代金がy円であるときの関係式」という文章の流れからいけば,x×8=y
 を推奨したい。ただし,x×8が8×xになっている場合は,「8 円のノー
 トがx冊」という意味になってしまうので問題文とは合わない。常に式の
 意味をしっかりと意識させることが大事である。
 (https://twitter.com/genkuroki/status/280543696900988930 より孫引き)

と書いてある!

以上のような非常識な教え方は(単位の)「サンドイッチ」と呼ばれることがある。
http://www18.atwiki.jp/kakezan/pages/15.html

「一つ分×幾つ分の順序で書く」というルールだけで「4×5」を不正解にしたり、
減点したりすることは誤りである。ベネッセの場合は単位のサンドイッチを
根拠としているようだ。

第4段落
>2:割合の考え方への拡張が自然にされる
>《(1つ分の数)×(いくつ分)》という式は
>《(1つ分の数)×(何倍)》とも置き換えて考えられ、
>もとにする量の何倍かを求めるということは、
>割合の考え方につながります。
>「何倍」の部分は整数倍から小数・分数倍へと拡張し、
>《(もとにする量)×(割合)=(比べられる量)》という式になり
>《(割合)=(比べられる量)÷(もとにする量)》という割合を求める式に
>自然とつながります。

「一つ分と幾つ分の考え方が割合の考え方に繋がる」と
「一つ分×幾つ分の順序で書くというルールが割合の考え方に繋がる」では
大違いである。もちろん後者は誤り。

算数教育業界関係者は一つ分と幾つ分の考え方と掛算の順序に関するルールを
混同している場合が多い。

第5段落
>3:教科書の指導に合わせてお子さまの混乱を防ぐ
> 上記のような考え方から、弊社が対応しているすべての教科書において、
>かけ算を《(1つ分の数)×(いくつ分)=(全部の数)》という式で
>扱っています。教科書に合わせた指導をしている弊社としては、
>お子さまの理解の混乱を防ぐためにも教科書と同様の指導をしています。

教科書の指導に合わせているというのはおそらく正しい。
実は日本における算数の教科書会社のすべて(全6社)が
掛算の考え方ではなく、掛算の順序にこだわる教え方を推進している。
http://ameblo.jp/metameta7/entry-10461348378.html

第6段落
> 以上のようなことから、弊社では、かけ算の立式については
>(1つ分の数)×(いくつ分)=(全部の数)で指導しております。

要するに、教科書会社の方針にしたがっているだけ。

実は、掛順こだわり教育の問題は算数の教科書会社の問題でもある。
教科書会社の方針に教材会社は従わざるを得ないという現実が
あるのだと思われる。

上の方で教科書会社が出している教科書指導書に
かなりひどい教え方が書いてある場合があることを指摘している。
教科書指導書は一般人には購入できず、購入できても値段がべらぼうに高く、
一般人の目にはほとんど触れることがない文書になってしまっている。
そのような文書が全国の小学校の先生を通して、
日本の子どもたちの教育に巨大な影響を及ぼしているのだ。

教科書指導書にどのような問題があるかは精査されていない。
氷山の一角が明らかになっているだけである。
教科書指導書の問題は算数に限らず重要だと思われる。

万人の目に触れることなく、教育に巨大な影響を与えている文書が
ほぼ無批判なまま放置され続けているというのが現状である。
誰かがこの問題を何とかするべきだと私は強く思っている。

第7段落
> かけ算の文章題を解く際には、
>「演算決定」「立式」「計算」という3つのステップがあり、
>(1つ分の数)×(いくつ分)=(全部の数)とすることは
>「立式」の部分における約束であることを指導しています。
>つまり、「立式」はかけ算の意味に基づいて行う必要がありますが、
>そのあとの「計算」においては、工夫したり、
>左右を入れ替えて考えたりしてもよいということになります。
>かけ算の交換法則を指導することで、お子さまの混乱も見えますが、
>「計算」のステップにおいて交換・分配法則を使うことは、
>かけ算の数の拡張には欠かせないことですので、
>「立式」とは別に「計算のきまり」としてしっかり指導しております。

これは私がずっと上の方で解説した通りのスタイル。

実は「立式」が超要注意キワードであるだけではなく、
「演算決定」も要注意キーワードである。

ちなみに教育界では「学校のきまり」を「きまり」と呼ぶだけではなく、
数学的法則や自然法則の類も「きまり」と呼ぶ習慣がある。
人が決めたルールとしての「きまり」と
勝手に成立している法則を混同させるのは教育的に好ましくないのだが、
そういう習慣になってしまっている。こういう問題もある。

最後に参考URLを示しておこう。

http://twilog.org/tweets.cgi?id=genkuroki&word;=#掛算
私による掛順こだわり批判関係のツイート

http://favolog.org/genkuroki/tag-掛算
私が収集したツイッターにおける #掛算 タグ付きの発言集

http://togetter.com/li/422486
今年(2012年)の12月に
爆発的に話題になった掛順こだわり教育問題に関するtogetterでのまとめ
(実は毎年この季節になると一度は爆発的に話題になる。)

http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/index/all
算数「かけ算の順序」を中心に数学教育を考える 掲示板

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