kohyu1952

西村幸祐 · @kohyu1952

21st Nov 2010 from Twitlonger

松永太郎氏の絶筆
平河総合戦略研究所メルマガ「甦れ美しい日本」より

◎松永太郎  日本の終わり・日本の始まり;ある晴れた日、遠い海のかなたに 
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かつての「薩摩武士」は「議を言うか!」と言われると、だまったらしい。司馬遼太郎氏は、これを批判的に描いているが、人間の集団の意思の表明として、この言葉は、ある意味で非常に美しい。少なくとも「学級委員会」よりは美しい。

 今の政治家は、よく「これから、じっくりご議論いただいて」とか「現在、ご議論をいただいているさいちゅうなので」とか「そこは十分に議論しなければいけない問題だと思われます」とか「議論」という言葉が、やたらに使われる。要するに「議」である。「学級委員会」である。

  私たちは、議論をするための大学生だの、お勉強のための大学院生を議員として雇っているのだろうか。このごろ、評判になっているハーヴァード大学の先生の授業に出てくるような、うぶでいい子ちゃんな学生さんを雇っているのだろうか。

 しかも、議員さんたちは議論しない。「ご議論いただく」のは「学識経験者」である。その「学識経験者」の構成する「何とか委員会」は、頭のいい官僚の根回しで、はなから結論は決まっているのである。この学識経験者によって構成される委員会には、アカデミズムとマスメディアの偉い人が必ず入っている。「脳死が人の死か否か」について、小説家だの芸能人がご議論している。自分が死んでいるかどうか、小説家と芸能人と学識経験者の決める世の中である。

 議員は、自分では「議論」できないから「学識経験者」の議論を借りる。「学識経験者」は、官僚には、大学の予算だのなんだのいろいろ握られているから、もちろん、言うことを聞く。議員は、出された結論には責任を負わない。「何とか委員会」も負わない。何の権限もないので、負いようがない。一方、政府は、責任を何とか委員会におしつける。

 「議」ばかりで、誰も腹を切る用意はない。最初の案を出すのは、官僚であり、官僚は、出世第一なので、時の政府の意向に沿うような案を出す。逆らうと、「将来にひびく」(センゴク)から。要するに学識経験者、政府は、ここでは、共謀関係(コンスピラシー)にあるのだ。

 官僚は、ものすごく頭がいいらしいので、どんな案でも「骨抜き」にして、基本的に自分たちに都合のいい案にしてしまう。自分たちではなく学識経験者に「十分にご議論いただいた結果」である。なんか文句があるのか、というところだろう。

 ある晴れた日。遠い海のかなた(プッチーニ、蝶々夫人)から、どこかの国の軍が日本領土に侵攻してくる。

「まず、事態を十分に見極めて冷静に対応したい」と政府は言う。

 「国民は冷静に事態を見極める必要がある」とメディアはいう。

流血の事態が発生する。ユーチューブに、次々に虐殺されていく日本人の姿が映る。

「こういう映像がどこから流出したか厳重に調べる」と政府は言う。

どんどん虐殺され、どんどん占領されていく。札幌は、今、中国・ロシア共同人民管理委員の下にあります、とNHKは言う。

政府は言う。

 「どのような国際法が適用されるのか、適切な議論が必要なので、今、まさに、ご議論いただいている最中なのであります」

 みんなで「ご議論」している。

「北海道、これがそもそも日本領土か、そうでないかにつき、まさに今、ご議論しているのであります」

 学者A「そこはいろいろあってですね。もともと北海道というのは、日本領土とみなすべきではない、いう意見もあるわけでして・・・」

 学者B「領土、ということにこだわる、ということ、これがナショナリズムなわけですね。それが戦前の日本の悲劇を招いたわけです」

 そのうち、日本は分割されるであろう。そうなると、何とか委員会もなくなって、万歳もできなくなる。万歳は、戦前の日本の悪を思い出させるからである。

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