森本千絵 · @morimotochie
29th Jul 2014 from TweetList
みなさまのおかげで、
遅咲きのわたしも無事結婚式を迎えることができました。
一月から準備し、四月からはじょじょに、仲間が巻き込まれ
七月26日には大勢のお世話になってきた方々、親族が巻き込まれ、
台風のように、花火のように
ドカンと舞い上がりました。
寅さんの格好してたら、山田洋次監督を支える夫に出会いました。ということもあり、ふたりとも海好きということもあり、
全体は東京ー奄美をつなぐ水辺にし、外の水辺だから少し黄色味の入った大好きな水色をみんなに共通して使ってもらい、幸せです。
また物語は
寅さんと、女の寅さんだと思うサウンドオブミュージックそして、ジュリーを繋げた構成にし、準備を進めていきました。
みんな帽子。みんな旅。みんな出会い。
音楽も見せ方もすべて生にこだわり、いっさい電気音源とかは使わず。映像も生演奏にあわせての再現。
だからこそ、映像や、スピーチに集中できる。
みんながせっかくいらしてるのだから、すべて生で結婚式を行うというものだったんです。
わたしが象徴の絵を描いたのはPENより前の二月。夫と世界堂にいき、新調した画材で、何日もやる気待ちしながら描きあげ
資料、音楽あわせイメージボードをつくりキックオフしました。
みんなイメージボードみて呆れてました。仕事?といった、わたしのいつもの気合に呆れたようです。
なのでキックオフはただの飲み会と化しました。
さて、最初に巻き込まれたのは
ずっとgoenのデザイナーとして
頑張ってきてくれた宮田佳奈ちゃん。
おおげさな招待状をまずつくる。それをみて、ゆずの北川くんから果たし状が届いたと言われる。
そこから、かなちゃんは、メニュー、席次表まですべてのデザインを一緒に行う。いちばん長く走り抜けてくれました。
印刷は凸版印刷のひだのさんがお祝いかねてほんのりご協力くださいました。紙の竹尾さんも。
あと巻き込まれてくれたすばらしい方々は
当日の時系列でご紹介します。
式をあげたのは、
わたしが幼稚園からずっと通い続けているサレジオ教会。
日曜学校とかにも通って先生させてもらったり、聖歌隊で参加させてもらったり、母と洗礼うけたりと、ホームです。
まさか、そこで結婚式できるなんて光栄なことです。
サレジオ教会のルールとして、
月に一回で総合四回の勉強会をしないとあげさせてくれない。しかも片方でもクリスチャンならより優先してくださいます。
なので、三月頭から我々通いました。
そこで働くおばさまがふたり。マイペースで優しいけど厳しい。そんなふたりに我々の仲間は数々の無理な質問を繰り返したり面白いエピソード満載な準備期間でした。
そして、
ウエディングドレスと、タキシードは、
ひびのこづえさんによるデザイン。制作はディズニーランドなどの衣装まで手がけるスーパープロの長谷川工房のみなさん。シルキーブラックオーケストラでもお世話になってました。
ひびのさんとは、一月から念入りに打ち合わせスケッチ描いてくださり、ご自身の布など、想いがコラージュされてました。
そして長谷川工房のみなさんは、お腹のあたりに小さな幸せの水色の小花つけてくれてたり、できるだけ多くの手数が入ると良いらしいので、みんなで手をいれてつくってくれてたりと、その制作のストーリーが感動します。
デザインは
おおきくは、ひとつのシンプルなものなんですが、
教会は、それにネックがつき、
お色直しはそこに、新郎のスーツと同じ生地をあしらい突然着物のようになるという遊び。
ごてごてと着替えるでもなく、
芯はひとつ。あしらいで世界観をかえるという、こづえさんのアイデア。
涙がでるほどにすごく想いが込められていて
当日は移動もすべて一緒で、
まるで家族のようにそばにいてくれ、とても心強かったです。
ヘアメイクは、富沢ノボルさん。
夫婦でやってくださり事前からリハを繰り返し準備。
ノボルさんも同じく物語を優先するので、
お色直しは、ひびのかんの布や、わたしのお婆ちゃんからもらったかんざしと、奄美のお母様からいただいたかんざしをあえて使うという大胆なアイデア。
もちろん、大泣きしても大丈夫なように、ノボルさん自信満々の完全完璧なウォータープルーフでの仕上げ。
当日はずっと盛り上げてくれました。
それぞれの両親のことも気にかけてくれ、ずっとそばにいてくれた。ノボルさんなしでは、笑顔は作れないのです。
そして
サレジオ教会でフラワーガールをつとめてくれたのは、
ちよこちゃん、ときこちゃん、みうちゃん、そらちゃん、はなちゃん、ハニー。天使たち。
こえんで出会った彼女たち。もちろん、ご両親も素敵な方々。
神作さん、古賀さん、是枝監督、安田さん。
何人かは事前にイメトレしに行ってくれました。リボンやバスケットなど、みんなで集まり手作りのしたものです。
coenの先生を一緒にやってくださっている同じくクリスチャンの、加藤真理子さんと、けんすけ君がが付き添い人してくれてるので、
安心して迎えられました。
ブーケは、わたしが必ず花を頼む、束花さんというフラワーアーティスト。
他にもフラワーガールの王冠、バスケット、バージンロードの花々、そして披露宴会場での飾花、ドウダンツツジの木すべて。まるで、森の中。途中から海の中のような独創的な世界を見事に作り込んでくれました。
それまでに沢山打ち合わせや、
テストを繰り返しました。でも
生花とは、当日朝が勝負。本当にライブ感あるスリリングな準備をしてくれました。
リングピローは、従姉妹のちーりんの絵を元に親友の渡部かなこさんが作ってくれました。
大きな優しい海に、小さな小舟。
そこに指輪が乗っている。
当日は手作りのピローに涙しました。
ありがとう。かなこさん。
リングをはずす瞬間、波寄せるかんじで、涼しい風が吹きました。
また、教会の受付は、goenの縁の番長、親川はなちゃんが頑張ってくれ、沖縄のコーディネーターの島袋さんの奥様が作ってる冷んやりシートを配らせていただくなど活躍。
さて、
披露宴は椿山荘。
39年前に両親がここで仏滅に最安で結婚式をあげたご縁により、
快諾して全面協力してくださいました。
掛川さんという方が担当してくれ、最後は痩せてしまうぐらいに、掛川さんはみんなから
ひたすら連絡がくる大変な日々を過ごされました。
でも、掛川さんはすごくて、どんなときも冷静沈着。さすがプロです。
ただし当日我々のお色直しが盛り上がりすぎて遅れてしまっているとき、唯一焦った顔をしてました。ごめんなさい。
いちばん椿山荘に一緒に通ってくれたのが
従姉妹の、ちーりん。
披露宴会場の入口から、風でたなびく扉装飾、高砂デザイン、卓上のすべてのレイアウト、そして、マイクからなにからなにまでの、細やかな配慮のデザイン。すべて手作りで夜なべしてつくってくれました。
わたしが大好きな色味を基調にし、あれだけ広がりを手を抜くことなくつくる彼女は、自慢の従姉妹です。
そういえば、一緒に保育園作った時以来の猛烈作業でした。
そして、とても長く準備してくれたのは、北九州で出会った陶芸家の石原稔久さん。
司会者の台のまわりの動物、卓上の上に散りばめられた鳥や光。また、席札は幌になっていてそれを支える船と名前をほった石の陶器は、
石原さんさ引き出物もすべてやってくれました。
しかも、ひとりで。
陶芸でその数。みなさん分かりますか?どれだけ時間かかるかを。
頭あがりません。我々も途中北九州いき工房で打ち合わせささてもらったり、一緒に土をこねたり。
石原さんに関しては説明するだけで泣けてきます。
引き出物ぜひ大事にしていただきたい。あんな人なかなかいないです。
引き出物は、船の皿にコップのって、船の形となるもの。
普通にパッケージすると石原さんの物語が伝わらない。
とても困っているとき
沖縄で結婚パーティーをしきってくれた仲間に相談。
沖縄芸大でであった生徒で、現在ミヤギパッケージでデザイナーをしている光原くんがすぐに形にして無理してくれた。
それを東京で組み上げたのは
元goen°スタッフと、現goen°スタッフ。
また、当日ギリギリまで、卓上の椅子のリボンなどを友人、スタッフがみんな部屋にこもり作業。
卓上は、すべて風の名前にしたくて、琉球風鈴を手配。
30もの風の名前を風鈴に書いて飾りたくてコンドルズであり、書楽家の安田有吾さんに公演前忙しいのに書いていただきました。なんども、椿山荘のそばの目白で夜な夜なご飯食べいろいろ近藤さんとアドバイスくださったのが面白く形にできました。
また、
高砂に巨大な屏風を、わたしのコンセプト画を成旺印刷の原さんが大きく引き伸ばしてくれ、組曲やCanonなどずっとご一緒している美術監督の佐々木尚さんが形にしてくださり、全体をまとめてくれました。さすがという仕上がりです。巨大すぎて、今後の保管がいま話題です。
ウェルカムボードが嫌で
ウェルカムオブジェ、いや
来賓舟を造形してくれたのは、
大学時代からの親友
世界のユージカミオカ。
流木で、二本の木をのせはこぶ舟と見守る鳥。
手作りの極みです。
また、各卓上にあるテーブルナプキンはすべてオリジナルで刺繍をあしらい用意してくれたのは滝口浩司くん。当日もユーミンさんが着物にあしらってくれたりと華やかな水色が空間を仕上げました。
それとさらにフラワーガールの衣装、司会の鈴木杏ちゃんの衣装をを丹精込めてつくってくれました。サウンドオブミュージックのカーテンで服をつくる姿勢を貫いてくれたのです。
披露宴の方の受付は、
ギークの稲垣さんに、
博報堂時代の同期ががんばってくれました。ロケハンまでしてくれ動線シュミレーションもしました。みんな素敵で快活だから、きっと気持ちの良い受付をつくってくれたはずで安心。ありがたい。
さて会場では
すべて生演奏にこだわり、
亀田誠治さんを音楽監督として迎え、
ダブルフェイマスに、ぽくぽく山の音楽隊の宮脇さんによる
一夜限りの贅沢な 奄美ー東京シンフォニーによる奏で。
24人ものストリングス含めた音楽隊が私たちより先に、寅さんの泉と満男のテーマを奏で練り歩いて登場したり、
寅さんとサウンドオブミュージック、チャップリンの音源を各ポイントで再現してくださりました。
生演奏のみというのは、本当に気持ちの良い空間、時間をうみます。空気にあわせセッションできるし。
またその音楽隊の衣装を
舞台で忙しいのに、徹夜して伊賀大介くんが全てつくってくれました。帽子からすべて。缶ばっちまで。
それがまたサウンドオブミュージックの制服と水兵さんを掛け合わせたような理想的デザイン。
第一ボタンだけ、全員違い、帽子も奄美の大島紬のはぎれを使ったりという伊賀くんらしい気の効いた作業。感銘うけます。
もっとも力になってくれたのは、
武蔵美の先輩でもあり広告の先輩でもある中島信也さん!
総合演出として、いちから一緒に考えてださり、司会を見事にしていただきました。
司会にさらに舞台が終わったばかりの女優の鈴木杏さんを迎えての華やかで、面白く、粋のある司会進行。
このふたりは、音楽隊含めて前日リハーサルしてくださってますが、生というのはなにが突然起こるかわからないもの。当日やはりいろんなアクシデントの芽がでましたが、ユーモアと頭の回転の早さと度胸で、より良いものにしてくれました。
さすがです。感謝感激です。
そして、照明は組曲からずっとご一緒する照明監督の中須さんが急遽仕込みからやってくださり、
当日は来賓席から、シーバーで指示するなどプロの技を発揮。
あと
お色直しとおもいきや、
おサイズ直しといって
新郎新婦の人形が登場する。
それを演出してくれたのは、大学からの友人の芳賀薫監督。芳賀くんに紹介してもらい、アヴォカドの着ぐるみからの縁ある造形作家の米塚尚史さんが100センチもある人形をつくってくださり、
その衣装をわざわざ、ひびのこづえさんから受け取って作るという細やかさの演出。作ってくれたのはスタイリストの石本真代さん。あのドレスを小さいサイズにするのは至難の技だったとおもう。
この人形は、キャンドルサービスのかわりに、レイホロサービスしてくれるので手がうごく。さすが米塚さん。
そしてケーキは、ROSE PASTELの星野さんが作ってくれました。
星野さんは、女子美出身でシュガーでどんなケーキでもつくれます。
絵を描き、それを形にしてくれたのですが、なんとケーキカットのとき気づいたのですが、カットする部分に寅さんの帽子とバッグがあしらってありました。
泣きそうになりました。細やかな気遣い。チャーミングなデザイン。
素敵すぎます。
で、ケーキカットですが、
ただケーキカットというのはみてても、いままでいやだったので
ザナドゥ作戦をしました。
ザナドゥを山田タマルちゃんが歌い、生演奏はじまります。
するとケーキが運ばれ、しばらくすると、
椿山荘の配膳の方々が突然踊り出します。
すると、新郎新婦が突然踊り出し、最後はみんな踊り、
最後の最後にケーキカットをするというものです。笑
亀田誠治さんのベース音、タマルのオリビアニュートンジョン超えの歌声、と共にコンドルズの近藤良平さんに振り付け。
我々はもちろん事前猛練習。
そして、配膳の中には近藤さんお墨付きのダンサーもいました。
練習用にでまわった教則映像はこちら。笑
http://youtu.be/SG7p5_c_F6c
タマルちゃんのザナドゥ歌声よくて、うっかり踊り忘れそうになった新郎新婦は踊りを失敗。
昨日も反省会。
映像は、児玉裕一さんが、
寅さんとサウンドオブミュージックをつなげてという無謀な依頼に答えてくれた。
わたしは、旅立つ寅さんの姿とジュリーアンドリュースが大好きだ。
児玉さんは、そこに私が驚くいろんな要素を盛り込んでくれた。見事なエンターテイメントの作品。
また、このコンセプト画。
木と木の根っこがうごき、それはもともと繋がっていて、舟となり、
舟出にでるアニメーションを泰永さんが作ってくれラストに流しました。動く葉や波が美しい。この映像が、すべての背中を押してくれました。恵風のように。
そして、記録はアジアの大砲と紹介されたレスリー・キーさん。
教会からずっと我々、家族、仲間と人を撮ってくれた。
アシスタントでその日誕生日のタイキ君が高砂に脚立をだし、レスリーが登り全員で記念撮影など元気をくれた。
会場デザインや別のストーリーを撮影してくれてたのは、杉田知代江さん。細かいものに宿る言葉にはできないものが美しい写真となり残ってゆく。
また、ドキュメンタリーとして
我々親子を撮り続けてくれたのが、野口京子さん。
気配を消し前日から、ずっと父を母を撮っていた。
そして贅沢にも松竹のみなさんがカメラを回してくれ徹夜で編集中。このあと奄美会で上映してくれるらしい。
これらすべてを私たちと共にまとめてくれたのが、
尾島隆くんこと、おじ〜と、
東北新社の大村さん。
ふたりは、とても大変なはずなのに楽しそうに作業してくれた。
ありがたい。
彼らがナンバーワンだとおもう。
当日では、
生演奏には、ピアノの蔦谷好位置さん、ドラムに中村達也さんも加わりより迫力と優しさが奏でられ、
奄美からはピンポンズと達也さんの組み合わせで、ちんだら節が、大盛り上がりをみせ、
倍賞千恵子さんの、アカペラ。
声が尊く、声だけなのに表情があり、みんな涙した。
そして亀田誠治さんがいくつかわたしたちに贈りものをしてくださる。
まず、同世代のゆずが、一緒に作った虹ギターで、虹と夏色を贈ってくださり、また笑いながら涙した。あの時は、だれも結婚してなかったがいまこうして、こうなんだなあとか割愛しますがいろんなことを思い出し涙。
そして坂本美雨ちゃん。わたしとは姉妹のように大切な関係で、わたしが小さな頃おじいちゃんに教えてもらった最初の曲などふたつ歌ってくれ、それが愛情が突き抜けるほどに素晴らしかった。なんか嬉しかった。
そして、松任谷正隆さんと松任谷由実さん。教会の式から来ていただき、心から嬉しく、さらに歌を贈ってくださる。正隆さんがピアノ。由実さん歌うは「やさしさに包まれて」 いきなり涙した。由実さんがこっちを向いて、優しい目で歌を歌っている。数年前ならありえない。でもレスリーや父など、ご縁と奇跡があり今がある。この気持ちを忘れたくないとおもい、わたしも集中して時を止めて聴かせていただいた。
そして、
司会者の中島信也さん、鈴木杏さんに依頼され快く動いてくれた倉本美津留さんによる突撃レポに答えてくださった、
小林稔侍さん、小泉今日子さん、浅場克己さん、小島淳平さんなどのお言葉。
また、主賓の挨拶をしてくれたのは
夫を育ててくれた、もうひとりの父親の、山田洋次監督。
わたしを育ててくれた
もうひとりの父親の、岩本恭明さん、太田麻衣子さん。
情景が浮かぶ愛情あるお言葉。
一語一句ありがたい言葉。心にとめときたいとおもい、新郎新婦ともに凝視してしまう。
そして
乾杯の挨拶をしてくださったのは
39年前ここ同じ椿山荘にてわたしの両親の乾杯をしてくれた沢田研二さん。この日をずっと夢見てました。話が面白すぎて天才です。
そして、根っからロック。
かっこよすぎます。心から尊敬してます。
それなのに
最後は、わたしの両親への手紙のあと、そのままわたしに急にふられて、必死に
勝手にしあがれを沢田さんの前で熱唱する父。
沢田研二さんに何人かが
一緒に歌ってくださいよといいましたが、それは違う。
いつもマネージャーであった父の出番だから。とはいえ、沢田さん
「いつもみてるから。大丈夫。
あの曲はワンマンショーだから、親父のワンマンショーなんだ」と
みんなをふりはらう。
かっこよい。涙
一方、父。
間奏部分から二番を歌い出す。
音と歌がずっとずれながら、
完唱。
達也さん、亀田さんが困りながら見事に演奏してくれなんとかなった。笑
そして、奄美のお父さん
房克臣さんによる、我が家を受け入れてくれる寛大な挨拶。とても心強く嬉しくて。
そんなこんなで、
最後は
わが夫、俊介による
実直な挨拶により幕を閉じました。
はい。
もちろん、ここまでに
痩身、フェイシャル、筋トレなど沢山のプロにもお世話になりました。
総勢何人の方にわたしは
やらかしちゃいましたか?
とにかく、みんなあたたかく、
どの席みても凄いご縁ある方々ばかり。
何度もいいますが、
これだけの友人、仲間なしでは
生まれなかった時間。
大変だけど、やはり結婚式はよいものです。
夫との共同作業。お互いをよく知るし、気合いと覚悟が宿る。
またみんなが一緒にいるということ自体が奇跡のようで
走馬灯のように
あの世とこの世を繋ぐような
かけがえのない像なんですね。
という長い説明となりましたが、
ふぅ。
そんな結婚式前から今に至るまでのアルバムです。