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KOMIYA Tomone · @frroots

12th Sep 2018 from TwitLonger

整理しましょう。

(例1)反フェミニストがPと主張しているとします。フェミニストはPを「差別的だ」と解釈し、反フェミニストは「差別的ではない」と解釈し、どちらも同程度に合理的な解釈だとします。

このとき、フェミニストの解釈を「自分たちに都合よく」と呼ぶなら、合理性が同程度である以上反フェミニストの解釈も同様に「自分たちに都合よく」なのであり、そう呼ぶことでどちらかの解釈が不当であることを示せるわけではありません。

青識さんはフェミニストの解釈だけをとりあげて「都合よく」と形容することで、フェミニストの解釈が不当であるということ印象を作っています。

「差別的だという理解がフェミニストに向けられた場合」も同様です。

(例2)フェミニストがPと主張しているとします。反フェミニストはPを「差別的だ」と解釈し、フェミニストは「差別的ではない」と解釈し、どちらも同程度に合理的な解釈だとします。

このとき、合理性が同程度なのですから、フェミニストが自らの解釈を維持して、反フェミニストの解釈を「拒否する」ことは何もおかしなことはありません。

逆に例1において、反フェミニストが自らの解釈を維持してフェミニストの解釈を「拒否」することも同様におかしなことはありません。

重要なのは、いずれの例においても、フェミニストも反フェミニストもどちらも「相手も自分たちの解釈を採用するべきだ」とは主張できない、ということです。これを言うためには、自分たちの解釈のほうが合理的だと言えなければならないからです。

ところで青識さんは「フェミニストはJ発言を批判すべきだ」と主張されたのですから、そこには「フェミニストも自分と同じ解釈を採用するはず(or すべき)だ」という前提があるはずです。なぜそのようにお考えなのかをあきらかにしてくださいというのがずっとお願いしていることです。

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