★安倍暴政批判に直結する明治維新再評価の動きー(天木直人氏)

  私がなぜ明治維新の再評価について関心を抱くようになったか。

 それは私が明治維新についてあまりにも知らなさ過ぎたからだ。

 そして、それを少しだけ知って、自分の中にあったイメージと史実が

かけ離れていた事に驚いたからだ。

 日本の夜明けの過程で、殺戮、テロ、謀略がここまで横行していたのだ。

 果たして誰が正しかったのか、その読み解きは、まさしく大作業であり

好奇心の対象であるからだ。

 しかし、もう一つの理由がある。

 それは明治維新の再評価は、そのまま安倍暴政批判に直結すると思えたからだ。

 そう思ってあらためて、最近メディアで頻繁に見られるようになった

明治維新の再評価の動きを眺めると、見後にそれが浮き上がって来る。

 たとえばきょう1月6日の毎日新聞「時の在りか」という

伊藤智永編集委員の論評だ。

 明治150年を言い出したのは安倍晋三首相であると次のように書いている。

 すなわち、戦後70年に当たる2015年8月、山口県に里帰りした時、

50年は長州軍閥を代表する寺内正毅、

100年は叔父の佐藤栄作が首相だったと紹介した上で、

次のように安倍首相は語っていた事を教えてくれている。

 「私は県出身の8人目の首相。頑張って平成30年までいけば、

維新150年も山口県の安倍晋三が首相ということになる」と。

 こんなことを、三年前に言っていたとは知らなかった。

 その時から長期政権を目論んでいたのだ。

 こんな明治維新150年など、何がめでたい、と伊藤氏は書いている。

 伊藤智永という記者は、私が見るところ、安倍首相に最も批判的な記者の一人だ。

 ついこの間まで、サンデー毎日に連載していた伊藤氏の安倍批判記事は、

これ以上ない安倍批判の記事だった。

 おそらく安倍暴政に批判的な者は、

安倍首相が明治維新150年を祝おうとするたびに、

「明治維新の何がめでたい」という再評価論をくり返すだろう。

 私が明治維新再評価の活発化を期待するゆえんだ。

 安倍首相にには憲法9条改憲と共に、明治維新を祝う事だけはさせてはいけない。

 そういう言葉が、今年のメディアで頻繁に登場する年にしたいものである。

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