★今年を明治維新の再評価議論活発化の元年にしたいー(天木直人氏)

きょう1月5日の毎日新聞のオピニオンコラム「論点」は、

明治150年を考えると題して識者三名の意見を掲載していた。

 私が紹介している雑誌記事ではワーストNO3に挙げられてる大久保利通の

ひ孫にあたる人物がその一人として登場していた。

 大久保利通に対する厳しい評価が昔はもっとひどかったことを認めた上で、

歴史は一面的ではない、と語っているところが印象的だ。

 しかし、私が注目したのは、原田伊織という作家が語っていた要旨次の評価だ。

 原田氏は、2012年に発表した「明治維新という過ち」という本で、

明治維新論争に火をつけたと言われている人であると紹介されている。

 「ネトウヨは私を『左翼の反日主義者』と呼び、

一方で(左翼からは)『右翼の軍国主義者』とも批判される。

中には脅迫まがいのものもある。どうしてこうも短絡的になるのか・・・

こんな寛容性のない国になった元凶を作ったのが長州藩士たちだ。

長州出身の元老たちによる明治の『長州藩閥』政治は大正以降も今に至るまで

『長州型』政治として日本の政治風土の中で続いている。

特徴は、憲法をはじめとする法律よりも、天皇を重視し利用してしまうこと。

幕末には・・・倒幕の御旗として利用したが、

明治以降はまさに『天皇原理主義』となり、国家を破壊に導いた。

それ以前の日本には天皇を神聖化した『原理主義』などは存在しなかった。

 もう一点は、富国強兵、殖産興業の名の下で政治と軍部、軍事産業でもあった

財界とが癒着する社会を生み出した事だろう。

これが私のいう『長州型』政治である。

明治50年は寺内正毅、100年は佐藤栄作、そして150年は安倍晋三と、

いずれも山口県(長州)出身の首相の下で祝典が営まれるのは

ただの偶然と思いたいが、

戦後の自民党政権は一貫してこの長州型から抜けきれなかった。

 最大の問題は歴史の『検証』が行われなかったことだ。

『明治維新至上主義者』である司馬遼太郎氏は敬愛する大学の大先輩ではあるが、

『それだけは違いますよ』と言いたい。

どれほど無駄な命があの原理主義の名の下に葬り去られたか。

その『過ち』の検証も反省もなく、日本は二度目の破滅(敗戦)を迎えたのだが、

戦後も検証は行われず、ずるずると今も明確な外交方針すらなく、

業界との癒着がニュースになる・・・

 150年前は私たちの祖父や曽祖父が生きていた時代であり、

そう遠い時間の流れではない・・・まだ手の届くところにあり、検証は間に合う。

勝者に都合のいい歴史に洗脳されることなく、少々歯切れが悪くとも、

史実は史実として真面目に向き合う勇気を持ちたい・・・」

 私はこの原田氏の著書を読んではいないが、

鈴木荘一氏にの書いた「明治維新の正体」(毎日ワンズ)の本で

明治維新に対するひとつの見方に触れ、明治維新に対する自らの無知と、

明治維新の複雑さに認識を新たにした。

 あの当時はすべてがテロリストであり、

また明治維新のすべてが長州藩士で作られたわけではない。

 我々は今の政治を知るためには幕末・維新の歴史を知らなければいけない。

 そして我々は幕末・維新の歴史をあまりにも知らなさすぎる。

 その意味で、原田氏が指摘するように、史実を検証し、

正しく向き合うことは重要だ。

 今年は、このような記事がどんどんとあらわれて、

明治維新の再評価議論が活性化する元年になって欲しいと思う。

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