★今年こそ天皇制について国民が考え、発言する元年にしたいー(天木直人氏)

きょう1月4日の東京新聞が社説で天皇退位の歴史的意味について書いた。

 この社説は国民必読だ。

 この社説で東京新聞が言いたい事はどこにあるか。

 それは、読む者によって異なる違いないが、私はこう読んだ。

 天皇陛下はあのお言葉で、これまでの天皇が言い出さなかった

生前退位と天皇による公的行為について、国民に問題提起された。

 いずれも天皇という究極の特権制度、世襲制度、身分制度ににかかわる問題だ。

 なぜ主権在民の新憲法の下で、究極の特権制度、世襲制度、身分制度である

天皇制が認められるのか。

 それは天皇には生前退位を許されない非人間性が課せられているからだ。

 そんな中で、今上天皇は、あえて生前退位を求め、

天子といえども人間だということを示されようとした。

 同時にまた今上天皇は、人間である以上、自由意志の発露が認められるべきだ

ということを、公務という行為で示された。

 それは憲法の禁じる天皇の政治関与につながるおそれを生じさせるが、

それが許されるのは、一切の私心を捨てて、

国民の平和と弱者に寄り添うことだからだ。

 いわゆる究極のノブレスオブリージュ
(身分の高いものこそ人一倍高潔でなければいけない)だ。

 天皇陛下は、それを身をもって実践され、それでよかったか、国民に問われた。

 だからこそ国民は納得したのだ。

 身分制に反対する共産党さえも、国会開会式に出席するようになったのだ。

 しかし、天皇もまた人である以上、天皇が代ればその言動も変わる。

 国民の意に反する政治関与の危険性もあれば、

政治に利用されて国民の意に反する存在にまつりあげられる危険性もある。

 そんな天皇制とわれわれ国民はどう向かい合っていけばいいのか。

 じつは、これは誰もこれまでおおやけに議論してこなかった問題であり、

それどころか、国民が自由に発言することを封じられてきた。

 今度の時もそうだったし、おそらくこのまま新元号の時代に入っても、

議論されないままに違いない。

 東京新聞の社説はこう締めくくっている。

 「今上天皇がいかに公的行事を大切になさったかは、

一昨年8月のビデオメッセージでよく伝わりました。

戦争や災害・・・。国内外に出掛けられ、苦難に向き合う。祈る。

それが高齢により困難になった。国民も共感しました。

ご自分の人生さえ決められない立場の陛下が初めて決めた。

それに等しい歴史的な出来事なのです。

皇室について国民はそれぞれがよく考える機会です」。

 それはその通りだ。

 そして、考えるだけでなく、その考えがこれからの天皇制に

反映されなければいけない。

 その時の政権や有識者だけで決めてしまうままではいけないのだ。

 しかし、だからどうすればいいのか、という問題は残る。

 国民にとってむつかしい問題である。

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