★警察・検察・裁判所が真っ暗闇である日本ー(植草一秀氏)

特別国会で森友・加計問題が審議されるタイミングで

日馬富士暴行傷害事件が発覚した。

メディアが放送時間の大半を日馬富士暴行傷害事件に割いたことについて、

主権者の多くがもりかけ疑惑を隠すためのスピン報道ではないかとの感覚を持った。

確かに、その側面は否定できない。

山もりかけそば疑惑で、安倍政権が退場させられるべきところ、

安倍政権は2017年10月選挙で衆院3分の2議席を堅持し、政権の座に居座った。

そして、選挙後の特別国会で森友・加計疑惑が追及されるタイミングで、

日馬富士暴行傷害事件が表面化した。

大手メディはこの素材に飛びついて、

連日連夜、日馬富士暴行傷害事件を取り扱った。

このことについて、「スピン報道」との批判が巻き起こっている。

このことは事実だが、一方で日馬富士暴行傷害事件そのものは、

現代日本の警察・検察・裁判所制度とメディアの役割を考える上での

極めて重要な事案であることも事実である。

籠池泰典氏夫妻を補助金適正化法ではなく、

刑法の詐欺罪を適用して逮捕、起訴して、5ヵ月にも及ぶ長期勾留を実行している。

基本的人権が踏みにじられている日本の現実が鮮明に示されている。

伊藤詩織さんに対する準強姦容疑で逮捕状が発付された山口敬之氏は

警視庁刑事部長の中村格氏が逮捕中止を命令し、無罪放免に処せられている。

美濃加茂市長の藤井浩人氏は事前収賄などの疑いで逮捕、起訴されたが、

一審の名古屋地裁は無罪判決を言い渡した。

ところが、高裁、最高裁が有罪と認定し、藤井氏の有罪が確定した。

このことについて、藤井浩人氏は「冤罪があることを知った」と述べ、

主任弁護人の郷原信郎氏は「日本の刑事司法は真っ暗闇だった」と述べている。

この文脈のなかで日馬富士暴行傷害事件を考察しなければならない。

この意味で日馬富士事件は決して些末な事件ではないのである。


事件の基本構図は極めて単純だ。

横綱日馬富士が無抵抗の関取貴ノ岩に対して、

重量2キログラムほどの金属製の凶器(カラオケリモコン機器)を用いて

頭部を繰り返し殴打し、貴ノ岩が10針の縫合手術を受けるなどの重傷を負った

という暴行傷害事件である。

2キロもある金属製のカラオケリモコン機器で頭部を繰り返し殴打すれば

死亡する可能性が十分にあり、

暴行・殺人未遂事件というのが事案を客観的に正確に表現したものであると言える。

日馬富士は貴ノ岩の態度が悪かったと供述しているが、

貴ノ岩は失礼な行動をしていないと供述しており、

日馬富士の弁明に説得力はない。貴ノ岩が無抵抗であるにもかかわらず、

日馬富士が一方的に暴行し、傷害を与えたことは関係者の証言で一致しており、

犯行態様は極めて悪質で残忍である。

被害者の貴ノ岩の処分感情は強く、示談にも応じていない。

日本が法治国家であるなら、日馬富士を逮捕、勾留して取り調べを行い、

日馬富士を起訴するべき事案である。

ところが、日馬富士は逮捕、勾留されなかった。

この事実に先駆けて、その見通しを流布したのはマスメディアである。

逮捕、勾留されるか、書類送検で済まされるかの間には、

「天国と地獄」の乖離がある。

籠池泰典氏夫妻は逮捕されて5ヵ月に及ぶ勾留が続けられている。

籠池氏夫妻に対しては接見交通禁止の措置が取られており、

籠池氏夫妻には一切の情報の提供が遮断されている。

人権無視、人権蹂躙も甚だしい。

これに対して、横綱日馬富士が逮捕、勾留されていいないことは奇異である。

「法の下の平等」などという日本国憲法が定めている条文など、

完全に無視されているわけだ。

元TBS社員の山口敬之氏などは、準強姦容疑で逮捕状が発付されていながら、

警視庁刑事部長が逮捕を中止させた。

山口敬之氏は安倍晋三氏に媚びを売る著作の著者であり、

テレビ番組で安倍晋三氏を持ち上げる不自然な言動でも知られる人物である。

逮捕中止命令の背景が政治的なものであると考えられている。

これらの現実を並べてみれば、日本の警察・検察・裁判所制度は完全腐敗していると

判断せざるを得ない。北朝鮮と大差のない現実が現代日本には広がっているのだ。


日馬富士の暴行傷害事件は、

日馬富士を起訴して公判を請求するのが当然の対応である。

ところが、日本のマスメディアは、この事案の着地について、

略式起訴か起訴保留処分になるだろうとする専門家意見だけを流布してきた。

しかし、この見解は法律専門家のなかの少数意見であると考えられる。

事案の悪質性および重大性、さらに被害者感情を踏まえれば、

ほぼ100%起訴して公判を請求するべき事案だというのが、

圧倒的多数の法律専門家の意見であると考えられる。

ところが、日本相撲協会は巨大な組織であり、メディアとのつながりも深い。

そこに警察・検察利権も深く根付いている。

このことから、日本のメディアは加害者である日馬富士を擁護し、

被害者の貴ノ岩と、貴ノ岩が所属する相撲部屋の貴乃花親方を攻撃し続けてきたのだ。

このような不正な国ニッポンを日本の主権者は放置するべきでない。

貴ノ岩は暴行傷害事件の被害者に過ぎない。

日本相撲協会が一方的な被害者である貴ノ岩の番付を降下させることも不適切である。

番付を降格させられたら、貴ノ岩は身分保全の仮処分を裁判所に申請するべきである。

貴ノ岩の番付が降下させられる合理的な根拠は存在しない。

日本の警察・検察・裁判所制度が完全腐敗しているのかどうかを判定する意味で、

日馬富士が起訴されるのかどうかは決定的に重要である。


日本の警察・検察・裁判所制度は腐り切っている。

このことを日本の主権者が認識することが重要だ。

警察・検察・裁判所が公正・公平なものであるなら、

裁判の結果を重視、尊重するべきだろう。

しかし、警察・検察・裁判所が腐敗し切っているなら、

その組織が示す判断に過大な影響力を付与することは不適切である。

国家権力は強制力を有するから、逮捕、勾留や刑罰を消滅させることはできない。

しかし、その警察・検察・裁判所制度が腐敗しているなら、

刑事司法が示す判断を尊重することが間違っていることになる。

裁判で有罪になったが無実である場合が存在し、

裁判で無罪になったが、実は犯罪者である場合が存在するからだ。

現実に犯罪が確認され、当事者が犯罪を認めているのに、

検察が不起訴処分や起訴保留処分にすることがある。

これらの当事者は実質的に無罪放免である。

その一方で罪を犯していない無辜の市民が犯罪者に仕立て上げられる事例が

後を絶たない。


この現実を認識することが大事なのだ。

この現実を認識するなら、裁判所が有罪と認定しても、

犯人視することが間違いである場合が生じるし、

逆に、裁判所が無罪と認定しても、真実が犯罪者である場合が存在することになる。

警察・検察・裁判所の判断を絶対視しない。

警察・検察・裁判所の判断を疑うことが極めて大事になるのだ。

国家にしかできない犯罪、それは戦争と冤罪である。

これは亡くなられた後藤昌次郎弁護士が遺された言葉だ。

冤罪ほどむごい犯罪はない。

しかし、その冤罪が次から次へと引き起こされている。

国家は国家に立ち向かう者に対して人物破壊工作を仕掛ける。

その典型的な事例が冤罪の創作なのである。

警察・検察・裁判所制度が適正に機能していれば冤罪は発生し得ない。

しかし、日本では、警察・検察・裁判所とマスメディアが結託して、

冤罪を創作し、無実の人間を犯罪者に仕立て上げているのだ。

冤罪を根絶するには、

第一に、取り調べ過程の全面・完全可視化が必要不可欠である。

小沢一郎氏に対する不正で不当な強制起訴事案では、

検察による捜査報告書のねつ造の事実が明らかになった。

検察史上最大、最悪の巨大犯罪である。

ところが、最高検がこの重大犯罪を無罪放免にした。

およそ法の正義、法の支配などまったく成り立っていないのだ。

大阪地検特捜部の証拠捏造事件、東京地検特捜部の証拠捏造事案を背景に、

取り調べ過程の全面可視化が論議されたが、可視化は実現せず、

捜査権限だけが拡大された。

日本の刑事司法は、世界でもっとも後進的な状況に陥っていることを、

すべての主権者が正しく認識しておかねばならない。


大相撲問題がメディアを占拠することの弊害は大きい。

しかし、一方で日馬富士暴行傷害事件は日本の警察・検察・裁判所制度と

これと癒着するメディアの構造を知る上で、格好の素材になっている。

この点に対する認識も重要である。

貴ノ岩が白鵬に勝利して「これからは俺たちの時代だ」と発言したと因縁をつけて、

白鵬が主導して日馬富士、鶴竜がそろって貴ノ岩に対して制裁したというのが

事案の骨格である。

日馬富士の暴行傷害は、殺人未遂に匹敵するもので情状酌量の余地がない。

さらに、白鵬に対しても暴行傷害を放置した面で刑事責任を問う必要が高い

事案である。

ところが、日本のメディアは貴乃花親方批判に明け暮れ、

貴ノ岩に対してまで批判中傷を繰り返してきた。

この事案は、日本の警察・検察・裁判所制度の闇と、

これと癒着するマスメディアの素性を明らかにするうえでの、

極めて分かり易い事例なのである。

単なる相撲界の不祥事と捉えずに、

日本の刑事司法の腐敗、救いようのない歪みをはっきりと認識する事案として

捉える必要がある。

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