★検察がどこまで腐り切っているのかが判明するー(植草一秀氏)

現役横綱の日馬富士による暴行・傷害事件。

殺人未遂事件とする方が適切だろう。

この問題が重要であるのは、日本相撲協会が公益法人であることと、

この問題が日本の警察・検察・裁判所制度とメディアの在り方について

深く関わる問題であるからだ。

ある会社で、部長が課長に暴行し、傷害を負わせたとしよう。

部長は金属製の凶器を用いて課長の頭部を繰り返し殴打した。

課長は前頭部に裂傷を負い、10針を縫う傷を負った。

課長が所属するセクションの取締役は事件を警察に届けて、

事件処理を警察の捜査に委ねることにした。

会社の社長をはじめとする幹部は、取締役が警察に届けたことを非難し続けた。

企業としては、企業内部の暴行傷害、殺人未遂事件を表沙汰にしたくない。

被害者を呼び出して言いくるめて被害届を取り下げるように働きかけようとした。

被害者の上司にあたる取締役は、社長に届ければ、社長が動き、

事件を隠蔽する方向に動くことを確信して、

社長には報告せずに警察の捜査に委ねることにした。

社長からすれば取締役の行動は許せないものだろう。

しかし、事案はれっきとした暴行・傷害事件、

あるいは、殺人未遂事件であり、適正な処理を求めるなら、

警察・検察の捜査に委ねるしかない。

警察・検察も信頼に足る存在ではないが、

社内で事件を隠蔽されるよりはましである。


事件の概要は、部長が凶器を用いて一方的に暴行し、傷害を負わせたものである。

暴行には重量の重い金属製の凶器を用いて、

しかも、頭部を繰り返し殴打したのものである。

極めて悪質な犯行態様である。

犯人が逮捕、勾留されなかったことが極めて不自然である。

被害者は一方的に暴行を加えられただけであり、

互いに殴りあう「喧嘩」ではまったくない。

別の場で発言した

「これからは俺たちの時代だ」

という言葉に因縁をつけて、殺人未遂と呼ぶべき暴行を行ったもので、

極めて残忍かつ陰湿なものである。

担当取締役は社長に呼び出され、

警察捜査が終了した段階で聴取に応じると約束したが、

その意味は刑事処分が確定したら聴取に応じるという意味だったと理解される。

警察から検察に書類が送られても、刑事処分を決めるのは検察である。

その前に、当人同士での折り合いがついたということになれば刑事処分に影響が出る。

厳正な対応を求めた取締役は、検察の処分決定を確認したうえで

聴取などに応じるとの考えを持っていたのだと思われる。

ところが、社長は「危機管理委員会」による調査を前面に押し出し、

この委員会の調査に応じないのはけしからんとの大キャンペーンを展開した。


刑事事件が発生し、警察、検察が捜査を行っている最中に、

企業が企業内の調査をするから事情聴取に応じよと責め立てるのも常識はずれである。

常識ある企業であれば、まずは、警察、検察の捜査、判断に委ねるはずだ。

企業は検察OB(ヤメ検)を危機管理委員会のトップに据えて強硬な姿勢を示し、

検察もOBが存在するから、弱腰の対応を示す。

すべてが歪んでいるのだ。

被害を受けた課長は傷害を受けたために病欠している。

しかし、課長は部長による暴行・傷害による被害者であり、

この課長にペナルティーを課すなら、批判を浴びるのはこの企業である。

病欠したから課長代理に降格させる、

病欠が長引けば平社員に降格させるというのは、見当違いも甚だしい。

課長代理に降格されたなら、

この被害者は地位保全の仮処分申請を裁判所に申し立てるべきである。

企業は当然のことながら、被害者の地位保全を図るべきである。

課長代理には降格させるが、平社員までにはしない、などの措置が

妥当であるわけがない。

最大の焦点は、事件をどのように処理するのかである。

一方的な暴行傷害事件であり、被害は深刻で、犯行態様は極めて悪質である。

逮捕、勾留されていないこと自体が不自然極まりない。

当然のことながら、検察は公判請求をする必要がある。

検察がこの重大事件を軽微に済ませるなら、

検察と相撲協会の癒着との批判が噴出することは避けようがないだろう。


この国の警察・検察・裁判所制度が、

常軌を逸したレベルにまで腐敗し切ってしまっていることを、

ようやく一般市民も気付き始めた。

元TBS社員の山口敬之氏は、準強姦容疑で逮捕状が請求され、

裁判所は逮捕状を発付した。

成田空港に到着した山口敬之氏を逮捕するために警察官が待ち構えた。

ところが、警視庁の中村格刑事部長が逮捕中止を命令した。

山口敬之氏は安倍晋三氏の「よいしょ本」の著者である。

日本の警察、検察には行き過ぎた裁量権が付与されている。

犯罪が存在するのに、無罪放免にする裁量権。

そして、

犯罪が存在しないのに、市民を犯罪者に仕立て上げる裁量権。

恐るべき権力である。

この権力の前に、多くの者がひれ伏してしまう。


大半のマスメディアはこの巨大権力と癒着している。

日馬富士暴行傷害事件をあれだけ大々的に報道し続けたのに、

警察が厳重処分の意見書を付して書類送検した事実をほとんど伝えなかった。

犯行態様が極めて悪質で、被害者が受けた傷害が重傷であり、

被害者の処罰感情も極めて強い事案であるから、検察による公判請求は免れない。

大多数の法律専門家がこう考えている。

ところが、メディアは、

「検察が罰金の略式起訴か処分保留にする」

との一部専門家の意見だけを流布してきた。

その意見を発しているのが、やはり検察OB(ヤメ検)の弁護士である。

メディアの大半は、社内で隠蔽することを阻止するために、

警察、検察の捜査に委ね、社内での事情聴取に応じてこなかった取締役を

攻撃し続けた。

事案の本質を踏まえれば、これほど倒錯した報道姿勢はない。

「貴ノ岩の態度が悪い」

「暴力は指導だ」

という加害者の言葉だけを、正義の言葉であるかのように強調し続けてきた。


これが相撲協会に属さない普通の会社の部長が部下の課長に対して、

一方的に凶器を用いて暴行、傷害事件を起こしたときに、

その加害者の言葉の「部下の態度が悪かった、暴行は教育・指導の一環として

やったものだ」の主張を「正義の主張」として取り上げるのか。

この企業が、被害者の課長が傷害により欠勤したことをもって降格人事を行ったら、

この企業の対応を批判するのではないのか。

相撲協会の機嫌を取っておかないと、今後の取材活動に影響するから、

相撲協会の意向に沿う報道だけを展開するのか。

ある芸能プロダクションは相撲協会と強いつながりを持つ。

そのために、このプロダクションと関係の深いタレントや芸人が、

相撲協会側に立つコメントを流布する。

今回の暴行・傷害事件は、この国の醜い暗部を如実に表出する事案になった。


警察、検察、裁判所が腐敗すれば、国が乱れるのは当然のことだ。

いまや、この国の誰も、内閣総理大臣を尊敬しないし、政治家を敬いもしない。

そして、警察、検察、裁判所に対しても、

多くの市民が不審の念を強く抱くようになり始めている。

これらは、市民が悪いのではない。

そのような心情に誘導した当事者が悪いのだ。

総理大臣は国会で明言したことをまったく守らない。

選挙で約束したことを破って、謝りもせず、自己正当化だけを続ける。

自分の妻に説明責任があるにもかかわらず、説明させることを拒み続ける。

当然の結果として、市民はこうした為政者を益々信用しなくなる。

これが「美しい国」の実態だ。

反対から読むと実態を示しているのだろう。

「にくいし、くつう」

の国になってしまっている。

貴ノ岩の地位保全と、加害者に対する適正な刑事処分が強く求められている。

Reply · Report Post