★自分ファースト政党勢力に政治を任せられないー(植草一秀氏)

政党が主権者の声に正面から向き合わないのであれば、

これからの日本政治刷新運動においては、

主権者国民が前面に出てゆかざるを得ない。

日本の主権者多数が安倍政治の退場を求めている。

主権者が求めているのは、日本政治の基本方向を刷新することだ。

原発をどうするのか。

集団的自衛権行使を容認するのか。

消費税増税を推進するのか。

TPPや沖縄米軍基地建設を推進するのか、

現在の安倍政権の基本路線を支持する勢力が存在することは認識している。

それはそれでよい。

しかし、その基本路線に反対する主権者が多数存在する。

恐らく、安倍路線支持者と安倍路線反対者の比率は互角であると思われる。

重要なことは、国民の前に選択肢が分かりやすいかたちで提示され、

主権者国民が選択できる状況を生み出すことだ。

二者択一、二項対立の図式を生み出すことが肝要なのだ。

安倍政治支持勢力と安倍政治対峙勢力が真正面から向き合う。

この構図を作り出すことによって、主権者国民が政権を選択できる環境が整う。

政権交代はいつでも生じ得るだろう。

これが政治に緊張感をもたらす。


この構図成立を妨げているのが

「あいまい勢力」=「ゆ党」=「隠れ自公」

の民進党、希望の党、関連無所属グループである。

結局、彼らが合流することになるだろう。

これらが合流すると、立憲民主党を抜いて野党第一党に躍り出るかも知れない。

そして、民進党に残存する政党交付金残高を丸取りできる。

ここから立憲民主党に合流するための離党者が続出しても、

政党交付金を1円も配分しない。

政党交付金強盗と呼ぶべきである。

そして、彼らは政党交付金とともに落選街道を転落してゆくことになるに違いない。

彼らが自公補完勢力でも別に構わない。

元々、彼らは自公補完勢力だったのだ。

しかし、自公が肥大化しているなかで、自公補完勢力を支持する者はほとんどいない。

彼らが完全消滅するのは時間の問題だ。

10月衆院総選挙でせっかく民進党の分離・分割が大きく進展したのに、

「ゆ党」の者たちは、これを前に進めようとしない。


そうであるなら、主権者が前面に立って動くしかない。

また、立憲民主党も料簡の狭い主張を示すべきでない。

安倍政治を退場させて、日本の政治路線を刷新するには、

考えを共有する政治勢力と主権者が大同団結=連帯するしかない。

「共産党とは政権を樹立できない」

などと言っているようでは、目の前にある政権奪還のチャンスさえ

失ってしまうだろう。

立憲民主党も裏側で連合と取引している姿が垣間見られて、

現在のままでは、主権者国民の大きな支持を獲得することはできないだろう。

だから、既存の政党に依存するのでなく、

主権者が主導して政権刷新の道筋をつけることが重要なのだ。

イタリアの五つ星運動は、文字通り、草の根民主主義運動そのものである。

既存の政党を排除して、主権者がネットと広場を通じて連帯し、

一気に支持率第一位の地位に昇り詰めているのである。

主権者が主役の政治刷新運動を日本でも展開する必要がある。

人々が積極的に政治に関与するように仕向けるには、

政治に参加することの意義を人々が納得しなければならない。

そのためには、政治に参加することで、

現実政治が変わることをはっきりと示す必要がある。

変化が目に見えるかたちになることによって、

人々の政治への参加姿勢は一気に積極的なものになるだろう。

そしてもうひとつ。

どうしても必要なことがある。

それは「明るさ」である。

新しい政治の流れに「明るさ」、「暖かさ」、「夢」を埋め込むことだ。

暗い、陰湿な、利権まみれの政治を排して、明るく、温かく、清潔な政治を

打ち立てる。

その積極的なイメージを浸透させることが重要である。


「愛・夢・希望」

のイメージで新しい政治運動を染め抜くことが重要だ。

いわゆる「市民運動家」だけが参加する政治運動から脱却して、

老若男女が集う政治運動に、幅を広げてゆかねばならない。

政治はすべての主権者国民のものである。

一部の運動家のものではない。

若い人たちも、そして、女性も、気軽に参画できる運動が必要なのだ。

人々が求めているのは、明るい、希望を持つことのできる未来、

うるおいのある生活である。


11月に来日したイタリア五つ星運動のリーダーである

リカルド・フラカーロ氏は、若い人たちに上から目線で説教するのでなく、

若い人たちの意思を問い、若い人たちのアイデアを生かすことが大事だと述べた。

若い人たちは、いろいろなことを考えている。

年を取った者が優れていて、若い人たちが劣っているということは絶対にないのだ。

老いも若いも、男も女も、

みなが寄り添い、手を取り合うことこそ大事なのだ。


政治の活動を「特殊な活動」にしてはいけない。

政治とは、私たちの未来を定める最重要の要素なのだ。

私たちの未来は私たちが決める。

そのためには、政治を私たちのものにしなければならない。

政治を職業政治家に委ねてしまうから政治が歪むのだ。

自民党の政治家などは、政治が家業となっており、

政治が金儲けの手段になってしまっている。

そして、主権者国民を

「下々のみなさん」

と見なす感覚がはびこってしまっているのだ。


「下々のみなさん」

と言われて、反論もせず、へこへこと上から目線の政治屋に追従してしまう国民だ。

そのような、こびへつらう国民がいるから、

勘違いする上からの目線の政治屋がはびこるのである。

日本国憲法に

「すべて公務員は全体の奉仕者であって」

と記載しているように、国会議員も主権者国民に対する「奉仕者」であって

「支配者」ではない。

それにもかかわらず、ふんぞり返っている国会議員がいかに多いことか。


安倍政治に対峙する勢力の側の国政選挙候補者を

公募で選出することを検討するべきだ。

主権者自身が候補者を発掘して、候補者の一本化に深く関与してゆく。

民進党や希望の党が、「隠れ自公路線」を進むなら、

もはや、これらの政党を主権者は切り捨てるべきだろう。

そして、その民進党や希望の党の裏側には、

自公勢力の実質応援団である「連合」なる組織が控える。

「連合」は「隠れ自公勢力」として、

民進党の完全分離・分割を阻止するミッションを与えられているのだろう。

だから、連合に加盟している、自公対峙勢力の労働組合は、

連合から離脱して、まっとうな労働組合連合を結成するべきである。

この論議を活発化するべきである。


政治の主役は主権者国民である。

この根本が忘れ去られているのではないか。

そして、政治を任せきりにしている政治勢力が、

既得権の上にあぐらをかいて、主権者国民に対して正面から向き合わない。

主権者国民にとって、頼りになる、信頼できる政治勢力が

ほとんど存在しなくなっている。

立憲民主党は民進党の分離・分割に歩を進めた。

しかし、その後の行動が鈍いのである。

主権者は立憲民主党の飛躍を求めているのではない。

主権者の声を代弁する政治勢力の拡大と飛躍を求めているのだ。

主権者国民は立憲民主党に対しても、

言うべきを言う姿勢を貫いてゆかねばならない。

主権者が主導して、政治勢力、政党が主権者に付き従う。

この関係を構築する必要に迫られている。

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