フィルハーシュ氏のルール改正についてのブログ記事。私的には賛成できるところも多くて、視点の一つとして面白かったので翻訳してみました。興味のある方はどうぞ。


過去、スケートのシーズンはGPSの開始とともに始まるものであった。
しかし、今シーズンはGPSの最初の試合はまだ三週間も先であるにもかかわらず、CSや採点方式改定の議論などであまりにもたくさんのことが起きているので、この時点でこのスポーツの現在と未来についてすでに論じることとなった。
今日と明日、二回に分けてお届けしよう。
まずは、9月11日に私が報じた採点とプログラム形式の変更案について意見を述べたい。ISUのトップ役員はこの変更案を「革命的」と称し、そのファンがいなければこのスポーツは成り立たないであろう日本を主にするアジア以外での人気低迷を改善するための努力の一環だとした。
①芸術面と技術面のバランスを取るという基本的な理念は理解できる。過去4年間、前回レポートしたように、最終的な総得点においてTESが過半を占めていた。
しかし、ISUの提案する、3Aと4回転の基礎点を大幅に削減するというアイデアは、このスポーツ、いや、あらゆるスポーツが進化してきた過程に反するものだ。
アスリートとは技術のリミットを押し上げたいものだし、その挑戦はサポートされなければいけない。
質の悪いジャンプを厳しく減点するというのはより良いアイデアだろう。これを可能にするのは幅を広げられたGOEだ。
そして、転倒したジャンプからは基礎点を引くべきだろう。このようなジャンプは基礎点で罰せられなければならない。
得点の大きいジャンプにはそれなりのリスクを与え、ある程度安定して着氷できるスケーターのみが挑戦するように。転倒ほどプログラムの芸術面を損ねるものはない。一般人が見たときに、一番酷いエラーだと感じるのは?転倒だ。二回転倒してみれば、見続けるのは野次馬だけになるだろう。
先日のプレカンでアダムリッポンはこう話した。
「過去、FPは芸術的に優れたものが勝つべきと考えられてきました。けれど今は、4回転をそれほど跳ばない僕でさえTESがPCSを上回ります。なので、ISUはパフォーマンススポーツとしてと技術面でのバランスを取ろうとしているのだと思います。」

②リッポンはGOE幅の拡大には賛成している。彼曰く、「完璧な+3のジャンプと、+2をもらったジャンプを見比べると、もっと大きな差があるべきというケースもあります。」
ジャッジが全てのGOEをうまく利用するようにしなければ変化は見られないだろう。PCSでは、際立つのを嫌がるあまりに真意かどうかにかかわらず周りに合わせて採点する傾向がある。
PCSは0.25きざみの五項目10点満点で採点される。先週のネペラ杯ではメドヴェーデワ選手にジャッジは8.5〜10点の採点をし、35個中30個は9.0〜9.75の幅に入っていた。たくさんのミスがあったイギリスのハリソン選手でさえ、PCSの幅は比較的狭く、5.0〜6.75、多くは5.5〜6.5の間にとどまった。
IJSが世界選手権で初めて導入された2005年、チンクワンタ氏になぜこれほど評価がバラけないのか尋ねたことがある。
答えは、「彼らはフェラーリを手にしたばかり。これから運転方法を覚えていく。」
これほど時間が経っても、彼らはまだギアチェンジを恐れている。
ジャッジは、そのようなパフォーマンスがあればTRに5点台、PEに9点台をつけることも恐れてはならない。だがそのような採点を見ることはない。
ありがたいことに、GOEにはPCSほどの知名度による偏向は見られない。未だに、過去にどんな成績を残したかによってPCSで救済するのは簡単すぎるのだ。

③メドヴェーデワやザギトワをはじめとするロシアの選手の、ジャンプを後半に集めることで得点を最大限に得ようとする努力は敬意に値する。
だがその過程で、11個のジャンプのうち10個を後半にするという極端さも見られている。フィギュアスケートには、「ウェルバランス」という評価項目が存在する。だがこれはエレメンツの最大数にしか言及していない。
しかし、4分間のうち半分は一つのタイプのエレメンツしか行わないプログラムにバランスがあると言えるだろうか?そしてアンバランスさを減点する方法はないのだ。
(皮肉なことに、後半ボーナスはもともとロシアの男子選手によく見られた前半にジャンプを固める方法への対抗策として提案されたものだ。)
後半のジャンプを3か4回に制限する案が、今夏のISU会議で論じられる可能性は高い。そうすることでTESを抑えることができ、バランスが取られることで芸術的に一定したプログラムを遂行することが可能になる。

③男子のFPのジャンプを7回に減らすことはすでに決定しており、それによりTESの占める割合は減少するだろう。
しかし、コーリエイドコーチやブライアンオーサーコーチが話す通り、30秒間の短縮は残りのエレメンツを4分間に凝集することとなり、振り付けや視覚的に魅力をもたせる動きを組みこむことは難しくなる。
一つのジャンプは減らし、プログラム時間は今のままにしてはどうか。(そして女子も4分半にする。)ただクロスをしているのでなければ、スケーターに自由に使える時間を設けるべきだ。
もしかしたら、スピンやステップを増やすのも良いかもしれない。良くやればボーナスポイントを少しつければよいし、必須エレメンツの合間に表現に重きを置いた時間を設けてもいいだろう。そうすればスケーターはミシェルクワンのスパイラルやボイタノのイーグルのように、一つの姿勢をより長く保持し目を引いたり印象的なパフォーマンスができるかもしれない。
私は高難度ジャンプが大好きだ。このスポーツをキラキラやヒラヒラしたシャツ以上に見ようとしない無知な人にもスポーツだということをわかってもらえる。
問題は、リアルタイムで3回転と4回転を瞬時に区別できるのはハードコアファンだけ、ということだ。もっとライトなファンを増やしたいのであれば、2014全米のジェイソンブラウンのクワドなしのフリーのように、ネットやSNSや会場でセンセーションを巻き起こすようなパフォーマンスができるよう、スケーターに余裕を与えることだ。
日本の羽生結弦が2017世界選手権で見せたように4クワドを完璧に飛びつつ動きや表現で観客を虜にできたのなら、息が止まるほどの素晴らしさを印象に残すことができるだろう。
もう少しスケーターに息をつく時間を持たせることで、観客は息ができないほど美しいものになるだろう。

④全体のメダルに加えて、技術的プログラムと芸術的プログラムにそれぞれメダルを与えるのはどうか?
この提案への質問の一つは、アスリートは片方だけにエントリーするのが可能か?ということだ。特に制限の厳しいオリンピックではどうだろう。

メディアサミットで、これらの変化に関して長洲未来はこれ以上ないほど簡潔で論理的にこう述べた。
「過去に囚われていてはいけない。」

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