アクシーズ・ジャパン証券


アクシーズ・ジャパン証券株式会社

所在地
東京都中央区日本橋本石町1丁目2番1号
東洋経済ビル7F

ディレクター 濱田雅行

https://web.archive.org/web/20010408164550/http://www.axesjapan.com:80/profile.shtml

円建て部分もドルに転換し、
住宅抵当権付き債権(MBS)専門の運用会社
クリントン・グループが運用する。

https://web.archive.org/web/20010415101745/http://www.axesjapan.com:80/inv-bk.shtml

クリントン・グループは96、97年に年率30%、
ヘッジファンド危機の発生した98年も年率12%の高成績を残している。

こうした 実績とリスクを劣後債に集中した仕組みから、
普通債の部分は英格付け会社のフィッチIBCAからダブルAの格付けを得た。

アクシーズ証券グループは98年に日米で同時に設立された独立系のベンチャー型証券会社。

http://web.archive.org/web/20060214082114/http:/www.axesjapan.com/inv-bk.shtml

「アジア 特に 韓国における情報網を持っている。」

https://web.archive.org/web/20010415125614/http://www.axesjapan.com:80/voice.shtml

実はクリントン政権当初、1993 年 1 月に
私は国際経済政策担当の商務次官補に就任しない かと誘われまして、
クリントン政権に加わることを考えたのですが、
個人的な理由で辞退 しました。

しかしその後も政権の中に友人が多くいることもあって、
対日政策を含めてク リントン政権を注意深く見守って来ました。

(中略)

1997 年末から 1998 年初めにかけてアメリカでは、
タイ、マレーシア、インドネシア、韓国を中心に
アジア金融危機の打撃を受けたアジア各国に対して
一体、日本が回復の ために貢献できるのか否かに関して、
行政府でも議会でも財界でも
日本に対しての期待と いらだちが高まりました。

そのため 1997 年末から 1999 年にかけて
再度対日政策上の政策 転換がありました。

つまり米国政府は日本のマクロ経済政策に焦点を当て、
日本経済が内 需の喚起を通してたち直ることによって
アジア諸国からの輸入が増加し、
その結果アジア 諸国の回復を促し
さらに世界経済の持続にも貢献するよう、
日本に対して減税やインフラ 投資を行うよう要請しました。

https://web.archive.org/web/20030409152854/http://axesjapan.com:80/pdf/Fukushima01.pdf

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