★インパール・満州国から続く人格教養欠落上層部ー(植草一秀氏)

「戦争を美しく語る者を信用するな。彼らは決まって戦場にはいなかった者

なのだから」

これは、評論家の沢木耕太郎氏が、映画『父親たちの星条旗』で

クリント・イースドウッド監督が伝えたかったメッセージだとして表現した言葉

である。

NHKスペシャルが「インパール作戦」の実態を伝える番組を放映した。

国家の上層部、軍の上層部の大半が

「自分ファースト」

であり

「教養が欠落」

している。

この伝統を日本はしっかりと守っている。

現在に通じる「自分ファースト」と「教養の欠落」が支配する日本の支配層。

これが国民を不幸にしている。

国民がこの事実に気付いて、上層部を変えることをしなければ、

結局、国民自身が傷つくだけである。

自分を安全な場に置いて、国民や兵士を虫けら同然に扱う。

そのような者に限って、危険が迫ると、我先に安全な場所に逃げ出すのである。

残念ながら、これが現実。

これが「上層部」の実態である。

例外的に人格、見識ともに優れた者が上に立つ場合がある。

しかし、それは例外でしかない。


中日新聞が8月15日紙面でなかにし礼さんのインタビュー記事を掲載した。

日本軍が中国に侵略し、1932年に満州国を建国した。

しかし、国際連盟はこの国を認めなかった。

いまでいう、イスラム国のような存在である。

日本政府は国策として、農村部から移民団「満蒙開拓団」を送り込んだ。

約27万人の国民が送り込まれた。

日本は国際連盟を脱退し、孤立を強め、無謀な戦争に突入していった。

1945年8月8日、ソ連が対日宣戦を布告。

南進を開始し、満州に侵攻した。

このなかで、軍人とその家族は軍用列車でいち早く逃亡を図った。

満蒙に送り込まれた開拓団が列車にしがみつくと、将校は、

「離れないと指を切り落とすぞ」と軍刀をかざし、

貨車のなかにいたなかにし礼氏に「その手を振り払え」と叫ぶ。

なかにし氏は命令に逆らえば自分も殺されるなかで、

指一本一本をもぎとるようにはがしていった。

満蒙に送り込まれた国民は、関東軍によって棄民された。

そして、日本政府は「居留民はできるかぎり現地に定着せしめる」という

外務省の訓電によってさらに棄民された。


無謀極まりないインパール作戦を強行した牟田口廉也中将は、

「5000人殺せば敵地を取れる」

と言い放っていたが、危険が迫れば、自分だけが誰よりも先に現地から逃亡した。

戦後になっても、自己正当化し続けるぶざまな姿を晒し続けた。

「自分ファースト」と「教養の欠落」者が上に立つことほど恐ろしいことはない。

弁護士の梓澤和幸氏は新著

『改憲 どう考える 緊急事態条項・九条自衛隊明記
 ありふれた日常と共存する独裁と戦争』(同時代社)

https://goo.gl/DaxDm9

に、こう記す。

「私の父母の体験、その体験で傷ついたまま報われることのなかった戦後と、

東北の村から出てきた二〇歳の青年が伝える、お母さんとその家族がなめた辛酸には

共通するところがある。

その共通性とは、「為政者の敷いたレールを、これでいいのかと、

自分に問うことなど一度もなかった」ということである。

自分に問い、疑うことさえない。個人が全体にがっしりと組みこまれた現実。

ふつうに暮らし、疑うこともせずに言われるままに店を閉じ、

兵営に赴き、その兵営で子どもの不条理な死を聞いて卒倒した父。

住み込みの店員さんの東北の村の母は、不安と孤独をかみしめながら、

出征する夫を送り、そして戦後の公報を受けとった。

ここにあるのは、運命にただひたすら従うほかなかった人々の人生である。

そして、その対極にあったのは、家庭から大黒柱を無償で抜きとり、

兵営に召集し、さらには一家の財産を奪って軍事に動員する「国家」という

強大な力である。」

国が道を誤れば、愚かな者が為政者になれば、

それによって、何の罪のない人々のすべてが損なわれてしまうのである。

民主主義体制の国にあっては、国のあり方、誰を為政者にするのかを決める

権限を持つのは国民である。

主権者である国民が、意識して、誤った政治体制、誤った為政者を

生み出さないようにしなければならない。

これを実現できなければ、悲劇は繰り返されることになる。


ソ連軍の侵攻と同時に、関東軍は国民を棄てて、我さきに逃亡した。

国民は切り棄てられたのである。

兵站(へいたん)を考慮しないインパール作戦の失敗は必定であった。

軍上層部は兵士を仲間と考えていない。

自分の名誉栄達を得るための「捨て駒」としか考えていない。

牡丹江からハルビンに逃亡する軍用列車がソ連軍の機銃掃射に襲われたとき、

われ先に逃げたのはふんぞり返っていた少佐らしい軍人だったとなかにし礼氏は語る。

その戦争の代償として私たちが手に入れたものが「日本国憲法」である。

なかにし氏はこう語る。

「あの戦争でアジア全体では二千万人以上が亡くなった。

大変な犠牲を払い、ついに手に入れた最高の憲法ですよ。」

「大きな歴史のうねりの中で生まれた。

本当に奇跡的な、最高の芸術作品だと思います。」


梓澤和幸氏は新著『改憲』で警鐘を鳴らしている。

とりわけ、緊急事態条項の危険性を強く訴えている。

梓澤氏は

ありふれた日常の裏側で、急激な勢いで「事態」が進行していることを

「急迫不正の事態」であると受け止めているのだと思う。

「強大すぎる力を権力がもったときに必然的に起こる暴走。

その危険を先に察知したものは、力をつくして人びとにこれを伝えなければならない。

だから私は書く。

自分自身とこれからを生きる青年に向けて書く。」

と語るその言葉を、私たちが自分の問題として捉えなければならない。


「棄民」について、なかにし礼氏は、福島でも同じことが繰り返されていると

指摘する。

「福島の原発事故が起きて、当時は民主党政権でしたが、

あのときの情報を開示しない状況から思い付いたのは「棄民」でした。」

「今は除染されたから帰れ、帰らないと補助金はあげられないなんて

棄民を絵に描いたようなものです。」

福島原発事故が発生した2011年3月11日。

この日の夜には「メルトダウン」が完全に想定されていた。

しかし、菅直人首相-枝野幸男官房長官は、早期の避難命令を発しなかった。

原発周辺の住民を棄てた=棄民したのである。


なかにし礼氏は現代日本の政治状況について次のように述べる。

「「美しい日本」「取り戻す」。

そうした抽象的な言葉で何に回帰したいのでしょうか。

日本の理想はまだ実現していません。

この憲法の名の下にこれから実現するべきなのです。

なのにその努力を怠り、反省すべきを反省せず、戦前の軍国主義を勘違いして、

そこに「美」を求めるのはとんでもない反動です。」

「小泉政権のころから「日本は悪くなかった」という国民意識の改革のようなものが

始まり、そうした洗脳が十年近くかけて実を結んできたわけです。

国民意識の変化は怖いですよ。」


上に立つ者を「偉い」とする感性から破壊してゆかなくてはならない。

本当に「偉い」者を上に立たせることが大事なのだ。

上に立とうとする者ほど、上に立つ資格がない場合が圧倒的に多いことを、

私たちはよく知っておく必要がある。

そして、

「自分のために、すべての者を投げ出す者」

ではなく、

「すべての者のために自分を投げ出す者」

を為政者に押し上げることを考えなければならない。

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