★何度も言うが民主主義の基本は多数決ではないー(田中良紹氏)

民主主義の基本は多数決にあるのではない。

国民の多数の判断が正しいという保証はどこにもないからだ。

従って民主主義は多数が選んだ者に権力を与えるが、

一方で「多数は間違いを犯す可能性がある」との前提に立つ。

そのため民主主義は多数が選んだ権力をチェックする様々な仕組みを必要とする。

例えば三権分立が必要である。民主主義以前の、

力で行政権力を手にした時代に三権分立はない。

権力者は思い通りに政治を行うことが出来た。

が同時に力で権力を奪われる宿命にある。つまり権力の交代には血が流れた。

民主主義は血を流さずに権力を交代させる仕組みである。

国民の多数から選ばれた者に行政権力を与えるが、

多数の選択が正しい保証はないから、

行政権力は司法と議会によってチェックを受けなければならない。

司法は法律に基づいて行政権力をチェックする。

議会は国民の少数派を代表する者との議論によって行政権力をチェックする。

つまり多数の支持で権力を交代させるが、それが絶対的ではないというのが

民主主義の民主主義たる由縁である。

ところが安倍政権とその周辺はこの民主主義の基本を全く分かっていない。

さらに日本国民の大多数も全く理解できていないとフーテンは思う。

国民の多数が支持することは正しいという危険な幻想の中に日本国家はある。

民主主義の選挙の中から多数の支持でヒトラーは誕生したことを歴史は教えているが

日本人にはその感覚が乏しい。

かつて特定秘密保護法が参議院の特別委員会で強行採決された翌日、

読売新聞政治部次長の署名入り記事が朝刊一面に掲載された。

「民主主義 誰が『破壊』? 多数決の否定はおかしい」という記事だった。

「多数決に従わないのは憲法違反で民主主義の破壊」という論旨に

フーテンはのけぞった。そんなバカなことを恥ずかしげもなく書く新聞が

世界の民主主義国のどこにあるか。

早速ブログを書いて批判したが、

読者の反応も「学校で民主主義は多数決と教えられた」というもので、

この国の民主主義教育のアサハカサに深刻な思いをした。

この時フーテンが最も問題にしたのは国会での議論の中身である。

政府は野党の質問にまともに答えず、意図的にかみ合わない議論を続けさせ、

時間切れを待って自公維の数で押し切る。

かつてフーテンが政治取材の一線にいた自民党万年与党時代にこんなことはなかった。

冷戦崩壊後に見続けた米国議会にも勿論ない。

ところがそれがその後の安保法制でも繰り返され、

また今回の「共謀罪」でも繰り返されようとする。

国際社会には見せられない恥ずべき議論だが、

そのことが安倍政権にも大多数の日本国民にも分かっていない。

多数決は正しいという幼稚な認識に支配されているためだ。

「共謀罪」を巡り国連のプライバシー権に関する特別報告者ジョセフ・ケナタッチ氏と

菅官房長官のやり取りはそれを象徴している。

ケナタッチ氏は安倍総理に書簡を送り、法案がプライバシー権の侵害に当たらないかと

質問した。国連関係者から質問されれば答えるのが普通である。

ところが菅官房長官は法案が多数の国民に支持されているかのように言い、

逆にケナタッチ氏のやり方は「不適切」だと強い抗議を行った。

これに驚いたのはケナタッチ氏である。

質問に答えてくれるどころか自身が否定されたかのような対応に

「世界基準の民主主義国としての道に歩を進めるべき」と反論した。

おそらく安倍総理とその周辺が陥っている勘違いは選挙で4回勝利し、

かつ内閣支持率が高いという、多数の支持を得られている自信が背景にある。

そこから自分たちが考える政策は多数に支持されていて、

多数に支持される政策は正しいという全く世界基準とは外れた子供じみた論理になる。

しかし同じ議院内閣制を採る英国を見れば、

国民の過半数に支持された与党の党首が内閣を組織するところは同じだが、

だからと言って政府与党の政策がそのまま強行されることはない。

英国は政党の政策を選ぶマニフェスト選挙を行っている。

選挙に勝てば政策も国民に支持されたことになる。

多数の支持が正しいなら英国に議会は必要なくなる。

なぜ議会が必要か。それは少数意見を取り入れて修正するためである。

そのため議会で真剣な議論を交わす。

少数意見の尊重にこそ民主主義の基本はあるということを英国は教えてくれる。

一方、戦後の日本が強く影響を受けた米国は大統領制である。

大統領と議員は国民から別々に選ばれる。

そして米国は政策を選ぶマニフェスト選挙ではなく個人を選ばせる選挙を行う。

議員は政党の政策に縛られない。つまり党議拘束がない。

従って大統領の政策に与党が賛成、野党が反対という訳ではない。

そのため採決の結果がどうなるかは最後まで誰にも分らない。

それだけに議会の議論は真剣かつ重要なものになる。

日本のようにかみ合わない議論を続けて時間を稼ぎ、

あとは過半数を超える与党が採決を強行することはない。

トランプ大統領就任以後の米国政治を見れば分かるが三権分立は機能している。

トランプ大統領は国民の支持を得て大統領に就任した。

そのことは尊重されるが、だからと言って選挙公約に掲げたことが

すべて認められることにならない。

司法は移民の入国規制を認めず、また議会もオバマケアの見直し法案を撤回させた。

ロシアとの不適切な関係が問題となりトランプ大統領がFBI長官を電撃解任すれば、

司法省は特別検察官を任命して捜査を続行させる。

大統領選挙ではネガティブ・キャンペーンの激しさに米国の民主主義も

ここまで落ちぶれたかと思ったが、しかし権力のチェック・アンド・バランスは

まだ有効に機能している。

実はフーテンは米国のメディアをそれほど高く評価していない。

売れてなんぼの世界でありやらせやデマにあふれている。

しかし日本のメディアに比べれば多彩な意見が保証されており

まだましだとは思っている。それがトランプ政権の圧力を受け、

逆に大統領批判のメディアが売れているというから

米国民の民主主義はまだいくらか健全である。

問題はこの国の民主主義である。

根本が世界基準から外れているのに民主主義と思っているその馬鹿さ加減にある。

国会の議論の馬鹿さ加減を問題にせず、何かといえば小選挙区制になったために

「安倍一強」になったと選挙制度のせいにする馬鹿が多数いることだ。

小選挙区制が悪いならなぜ英国も米国も政治がおかしくならないのか

胸に手を当てて考えてみれば良い。英国も米国も小選挙区制の国だが、

勝手なことをする権力が出てこないようにする民主主義は

日本に比べて数段に正常である。

中選挙区制に戻せば国民が政権交代に参画できなくなり、

比例代表制にすれば小党が乱立して政治が混乱し、

ナチスの台頭を許したワイマール共和国の過ちを繰り返すことになる。

日本政治の現状はそんなところに問題があるのではなく、

まだ政治家も官僚も国民も政権交代の政治を習熟していないところに問題がある。

そして根本は何度も言うが国民の多数が判断したことには

間違いの可能性があることを理解していないことだ。

民主主義は多数決ではない。

少数意見の尊重と多様性を認める社会を創るところに基本がある。

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