ウェブ上の口さがない人々でさえ慎しむ一言がある。

「大仰に戦前回帰というけれど、次の戦争に勝つなら問題ないのでは?」

ただの放言といえば、そうかもしれない。
でも、この身もふたもない「本音」をぶつけられたとき、どれだけの人が反論できるだろう?
この一言と、私たちはどう対峙すべきなのか?

一つには、太平洋戦争がはじまるよりも前の、小林多喜二の話などを語り継ぐことが重要なのだろうと思う。
あの戦争に勝とうが負けようが、多喜二は拷問死したのだということを。

もう一つには──中国や北朝鮮に怯える層は、仮に戦争が起きたとしても、それを「自衛」だと考えるだろう。
でも世界的に見ればどうか。
たとえば、当たりもしないパレスチナからのロケットに怯えるイスラエルの行動を見ればわかる。
それは「侵略」にほかならないのだ。

繰り返す。それは、侵略なのだ。

結果はどうか。日本は懲りずに大陸を再度侵略した、反省なき国として世界史に刻まれる。

翻るに、我々が「戦争」というときにイメージされるのは何か。日露戦争や満州事変か?
そういう人もいるだろう。
でも、多くの人が思い浮かべるのは、空襲警報や原子爆弾なのではないか? 心あたりはないだろうか?

極論すると、こう。
我々が「戦争」と聞いてイメージするのは「敗戦」であり、「侵略」ではないのだ。

であれば、我々がいうべきは、
「戦争を止めましょう」
ではない。強力な安全保障下での「敗戦」など、そもそも人々はイメージできない。

戦争を止めろ、ではない。
侵略を止めろ、なのだ。

何度だっていう。
侵略を止めろ。この一言が、いまいうべき一言なのだ。

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