★対米従属を永久化する「なんじゃらほい」の改憲論議ー(田中良紹氏)

憲法施行70年に当たる今年、5月1日に安倍総理は憲法改正を目指す超党派議連の

大会に出席し、「機は熟した。節目の年に必ずや歴史的一歩を踏み出す」と

改憲に強い意欲をみせた。議連事務局によると現職総理が大会に出席したのは

初めてだという。

議連会長の中曽根康弘元総理は「現行憲法の70年は、我々に豊かさをもたらしたが、

憲法の欠陥とともに様々な問題に直面している」と挨拶した。

平和憲法が日本国民にもたらしたのは「平和」というより「経済的繁栄」である

というのがフーテンの年来の主張で、その点では中曽根元総理と認識を同じくする。

戦後日本の「経済的繁栄」は朝鮮戦争の勃発を受けて再軍備を要求した米国に対し、

平和憲法を盾にこれを拒否した吉田茂によって端緒を与えられた。

日本は同時期に再軍備を受け入れて徴兵制を敷いたドイツとは対照的な道筋をたどる。

日独に共通したのは、米国の外交官ジョージ・ケナンによって編み出された

「ソ連封じ込め戦略」により、「反共の防波堤」とされた日本とドイツに米国が

大々的な経済支援を与えたことである。

敗戦国のドイツはまもなく米国に次ぐ第二位の経済大国となり、

次いで日本がドイツを抜き第二位の座に上り詰めた。

しかしドイツと異なり再軍備を受け入れなかった日本は朝鮮戦争に出兵せず、

代わりに米軍のため武器弾薬を作る後方支援によって工業国として戦後経済を

スタートさせた。それが朝鮮特需とベトナム特需によって高度経済成長を加速させ

ドイツを追い抜く。しかしそれは東西対立の前線で軍事負担を負った

韓国や台湾の犠牲の上に成り立っていた。

一方、日本の再軍備に失敗したマッカーサーは国内治安を名目に警察予備隊を

作らせたが、それは米軍に訓練を施される事実上の軍隊で、

後に自衛隊となるが法制上は国内法に縛られる警察組織である。

国際法で行動する軍隊とはまるで性格が異なる。

またマッカーサーは憲法草案の制定過程で二度と日本が米国に歯向かえないよう、

9条2項に「戦力不保持」と「交戦権の否定」を盛り込ませ、

国家存立のための自然権である自衛権まで認めようとはしなかった。

後に自衛権は認められるが軍隊を認めない2項と事実上の軍隊である自衛隊は

矛盾する。

中曽根元総理が「憲法の欠陥」と言ったのはそのことだと思うが、

冷戦が終焉する直前から米国議会を取材していたフーテンは、

平和憲法によって「経済的繁栄」を追求する吉田路線は冷戦の終焉と共に

終わりが来ることを予感していた。

平和憲法が施行された時の総理は吉田茂である。

その内閣で農林大臣を務めたのは後に社会党左派の理論的支柱となる和田博雄で

農地解放に尽力した。

その年の施政方針演説で吉田総理は非武装中立の理想を熱心に説いた。

しかし冷戦の始まりと共に米国の姿勢は平和憲法から再軍備路線へと一変する。

吉田は米国に従い警察予備隊を創設しながら野党に護憲運動を奨励し、

それが冷戦時代の政治構図の基本となる。

「55年体制」で社会党は政権獲得より護憲を重視し、

自社が水面下で提携して米国に抵抗した。

軍事負担の最小化は経済成長に貢献し日本は豊かになった。

一方で米国は日本の平和憲法を変えさせようとしたこともあるが、

軍事で米国に全面依存する体制は永久に日本を従属させることを可能にする。

冷戦が終わり反共の防波堤が必要なくなれば、

日米安保体制は日本を豊かにするよりそれを梃子に日本から米国への富の移転を

可能にする。

それが冷戦後に予想された日米関係であった。

プラザ合意でドル安を容認するところまで日独は共通していたが、

日銀が米国から低金利政策を押し付けられバブル経済に誘導されたころから

日独の対応は異なる。ドイツは低金利政策を採らずに独自の道を歩み始め、

東西ドイツの統一を経て国家の軸足を対米従属から欧州統合へと移した。

一方の日本は米国に「アジアの冷戦は終わらない」と言われ

中国と北朝鮮に敵対する体制を持続、米国の軍事戦略にコミットする度合いを

強めていく。米国製兵器を買わされ自衛隊と米軍との一体化が強化される。

しかし米国は市場規模の大きさから中国との経済関係を崩そうとは考えない。


平和憲法が日本の「経済的繁栄」につながることはなく、

むしろ平和憲法が米国への従属体制を強めさせ米国への富の移転を可能にする。

現行憲法には他にも衆議院と参議院との関係や総理が解散権を勝手にできる問題など

民主主義の観点から見直した方が良いと思われる諸点がある。

そこからフーテンは憲法改正を考えた。2004年には『国のゆくえ』(現代書館)

という本も出版した。

ところが安倍政権は2年前に米国が要求する集団的自衛権の行使を認める安保法を

成立させた。それまでの日本政府が「集団的自衛権を持ってはいるが使えない」

としたのは、国際法で行動する軍隊でない自衛隊を米軍の戦争に巻き込ませないための

政治判断である。

日本の再軍備に失敗した米国はそれを苦々しく思っていた。

しかし安倍政権が言いなりになったことで米国はいつでも自衛隊を参戦させることが

できるようになった。それなら平和憲法を存続させ従属体制を継続させる方が

得策である。米国が警戒すべきは自立のための憲法改正ということになる。

そうした時に安倍総理が「憲法改正の機は熟した」と意欲を見せ、

3日の憲法記念日には右派団体の会合にビデオメッセージを寄せ

「2020年の施行」に言及した。改正内容にも触れている。

9条の1,2項を存続させ、3項を追加してそこに自衛隊を明記し、

さらに高等教育の無償化を憲法に書き込むという。

聞いて「なんじゃらほい」と思った。少子高齢化が確実な日本が豊かさを失わず、

かつ日米地位協定や基地問題にみられる戦後70年にわたる従属体制から

いささかでも脱却する道を指し示すのかと思ったら、大衆迎合ポピュリズムの

選挙公約まがいの内容だった。

これまで自民党が党是として来た憲法改正には、

敗戦国としての苦しみを舐めた民族が「対米従属からの脱却」を意識している姿勢が

見られた。しかし安倍総理にそうした姿勢はいささかも見られない。

憲法で軍隊を持たないと言いながら実態は軍隊の自衛隊をごまかしながら、

今や自衛隊ではなく米軍のパーツに過ぎなくなった存在を、

9条の3項に明記すれば矛盾はなくなると考える思考のお粗末さには唖然とする。

またかつて民主党が高校授業料無償化を打ち出したのと似た話を憲法に盛り込む

という神経も分からない。ところがこの構想は既に公明、維新の賛同を得ており、

また民進党の一部も賛成しているというから以前から水面下で仕掛けられてきた

話なのだろう。

選挙で勝つことだけを考えるポピュリストが大衆に何が受けるかだけを

考えて練り上げた憲法改正案と思われる。

そしてこのポピュリストは多数を制すれば何でもできると考えている。

憲法改正を国民の総意に基づくものとは考えていない。

しかし民主主義の基本は多数を制することにあるのではない。

少数者の意見を取り入れるところにある。

ギリシア以前にアジアに生まれた民主主義は全員が一致するまで

何日でも議論を交わすことを前提とした。

ローマ法王を選ぶときにはその伝統が生きているが、

自民党にもその伝統があり部会では決して多数決を採らない。

その良き伝統が安倍政権によって裏切られている気がする。

憲法改正を期限を切って多数で決めようとすることなどもってのほかだ。

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