Koa0a

Koaoa · @Koa0a

28th Apr 2017 from TwitLonger

当時、内田氏は 都議会自民党幹事長として売り出し中だったが、 今ほどの権力はなく、公共工事の仕切り役は、 都議会公明党のドン・藤井富雄氏だった。


「公明党、創価学会よどこへ行く」( 週刊東洋経済 eビジネス新書 )

p.35

革新系である美濃部亮吉都政の後半に与党に転じてから、
青島幸男都政の時代を例外として、公明党はずっと与党の一角を占める。

p.36

バラマキ色強い経済政策。看板「軽減税」にも黄信号

公明党で元北海道議の横山信一・参院議員(比例区)によると、
「公明党の果たす役割がすごく大きかった」と誇る政策の一つが
北海道新幹線の延伸だ。

(中略)

与党協議に関わった横山氏は
「自民党の北海道連の意見が
まとまっていなかったこともあるが、
札幌延伸をリードしたのは明らかに公明党。

函館に新幹線を上陸させれば、後はなんとかなると、
『青函(青森と函館)同時開業』を公明党が言い出したときが
(事態が動き出した)転換点だった。」と振り返る。

(中略)

「JR北海道の坂本眞一相談役が(北海道南部の)
長万部での着工時の懇親会で乾杯のあいさつをした。
そのときに、『北海道新幹線の功労者を私たちは忘れない。』
と言って、冬柴氏の名前を挙げてくれた。」と、横山氏は語る。

http://56285.blog.jp/archives/49650766.html
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国土交通省で「天下り」が完全復活した。

その中心的人物が、石井啓一国交相だという。

石井大臣は1958(昭和33)年、東京都豊島区生まれ。

早稲田中・高から東京大学工学部卒業。

81(昭和56)年に建設省に入省し、
道路局国道第二課橋梁係長、
道路局路政課課長補佐を経て、
1992年に退官した。

 93年7月、自民党宮沢内閣時に行われた
第40回衆議院議員総選挙に
旧東京5区(定数3)から
公明党公認で出馬して初当選している。

 要するに「バリバリの元国交省キャリア」が、
かつて自分が勤務していた省で大臣となり、
天下りを復活させたことになる。

http://www.yellow-journal.jp/politics/yj-00000295/
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当時、内田氏は
都議会自民党幹事長として売り出し中だったが、
今ほどの権力はなく、公共工事の仕切り役は、
都議会公明党のドン・藤井富雄氏だった。

藤井氏は、05年に政界を引退し
仕切り役、調整役の座を内田氏に禅譲。

(中略)
老朽化した築地市場の移転は、
石原氏の前任の
青島幸男知事の時代に持ち上がったが、
その構想を推進したのは、
東京都港湾局長時代の石川雅已・現千代田区長で、
臨海副都心開発部長として石川氏を支えたのは、
前川あきお・現練馬区長だった。

山田氏は、後述するように
両氏をOBとなっても物心ともに支えた。

つまり豊洲移転は、
石原都政の前に都の官僚が
議会や市場関係者に対する根回しを行い、
推進してきたのだ。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50989
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公共事業絡みで口利き

公明・藤井都議が都幹部などに

コンサルタント会社を紹介 長男が「顧問料」もらう

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2004-01-08/01_02.html
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創価大学生のおもな就職先
http://56285.blog.jp/archives/49851484.html

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