(孫崎享氏)★日本は結局、戦前から戦後、変わらない国なのだ。
昭和天皇、政治家-岸信介、吉田茂等、検察―井本、新聞―正力松太郎、
裁判官―田中耕太郎最高裁長官(戦前東大学法学部長)
経済界も解体後復帰、安倍政権に繋がる。
GHQのノーマン(後、自殺)が不変を喝破

私達は第2次大戦前と戦後の日本は切れていると思っている。

だが、何故か誤解してきた。実際は太く、繋がっているのだ。

先ず昭和天皇。処分、退位なしで何故継続できたか。占領軍の統治に利用できたから。

逆に言えば、占領軍の統治に協力する人間なら、生き残りは容易だったのだ。

多くの人は、吉田は反軍と思っているがそうではない。

国際協調を貫いていた外務省が、吉田茂次官の時に軍と協力に切り替えたのだ。

終戦直前、終戦工作を模索し睨まれただけだ。

戦後の日本は「実は変わっていない。一部の軍人を提供するだけで切り抜けた」と

喝破したのはノーマンだ。

ハーバート・ノーマンは1909年カナダ人宣教師の子として軽井沢町で生まれる。

カナダの外交官。1945年GHQに対敵諜報部課長。

昭和天皇とマッカーサー会談のGHQ側通訳。

1956年駐エジプト・カナダ大使。ソ連のスパイの嫌疑をかけられ、自殺。
『ハーバート・ノーマン全集』(『ハーバート・ノーマン全集』
(岩波書店、(1977))掲載論評から引用)

A:「日本民主化の進展」(ニューヨーク外交協会における講演の概要)

・現在日本で遂行されている改革を永続させ、深く根づかせるような伝統に

何があるのかを観ておくことが適切であると思われる。

別の言葉で言えば、軍国主義、官僚制、民衆の従属性、

確固とした知的均一性の日本とは別にもう一つの日本があるかということでもある。

 封建的抑圧あるいは軍国主義に対する実質的証拠がこれまであったか。

 1945年の降伏にもとづく諸事情も徳川幕府打倒以後の時期と比べてみることは

適切である。すなわち、いずれの場合にも人民は改革運動を自ら開始することはせず、

かえって、根源的な力は上から来たこと、初めはそれが軍事官僚であり、

現在では最高司令官及び占領軍である。

B:「敗戦直後の日本の政治」(ノーマンの死後に発表された)

・現下の日本政治の無定形状態

 一般の気分は当惑と手探り状態。

 多年にわたって積極的な政治活動から排除されていたため、

日本国民は村落や近隣集団は別にして、自主政治(セルフガバメント)の経験を

持っていない。

 官僚による伝統的な地位保全の努力。

・降伏後の日本の政治状況と1918年の降伏後のドイツとの比較

 類似点

 1:反動勢力に対抗する強力な民衆運動の不在、ドイツではそれがユダヤ人、
   あらゆるマルクス主義であった。日本では朝鮮人、共産党である可能性がある。

 2:頑強な反動勢力による敗戦のスケープ・ゴートの探求。

 3:人民を欺くため、反動勢力による自由主義的、民主主義的スローガンの使用。
   ドイツにおいては「議会主義」という言葉。
   日本においては「民主的」という言葉。

 4:寡頭支配体制が一部の構成員を犠牲にして他の者を助ける企て。
   日本では軍閥が犠牲にされる。

「考察」日本では民主主義的な動きと評価される明治維新と、

占領初期の改革のいずれも一般市民が実施したのではなくて、

かたや軍事官僚、かたや占領軍であった。

 そのことは別のことを意味する。

つまり、「軍事官僚」や「占領軍」が方向を変えれば

大衆の大きな抵抗もなく変更できることを意味する。

それは一方において明治維新後の軍人の台頭であり、

他方において、逆コースから今日に続く体制である。

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