【泰】タンマカーイ(寺)危機:タイ仏教の氷山の一角 Prachatai 16/03/2017



 プラユット暗殺に使われる武器を押収した事件については既に報告した(<a href="http://summingup.seesaa.net/article/448307899.html" target="_blank">こちら</a>)。そしてその中で赤服とタンマカーイ寺との関係についても触れた。大規模な機動隊の急襲に関わらず、寺の指導者は逃亡して行方を掴めず、嫌疑の証拠は見つからなかった。やがて機動隊と寺僧や信者との押し合いが続いて、社会問題化した。それはタイ仏教界の問題をえぐり出す、というのが<a href="http://prachatai.com/english/node/7008" target="_blank">表記</a>だ。全国津々浦々に立派な仏教寺院が建ち、30余万人の僧侶がいて、仏教行事も盛んなタイ国だが、残念ながら世俗に塗れて仏教に生きることが希薄なようだ。
《骨子》
1。軍政はタンマカーイ寺の元座主逮捕でタイ仏教が純化するだろうと考えるけれども、専門家は世俗主義と政治的寛容の欠如が圧倒的な宗教にとって本当の脅威だと指摘する。

2。2016年3月10日、チェンマイ大学の社会学人類学学部がセミナー「タンマカーイ危機、社会的危機か」を主催した。講師団は進行中のタンマカーイ寺苛めを議論し社会にとって適切な解決策を提案しようとした。講演者が、タイ国仏教への本当の脅威はタンマカーイでなく、圧倒的な仏教組織ーサンガ評議会※だと合意した。※英語のthe Sangha Councilに従ったが、現行サンガ法での最高組織は大長老会議だ。

<strong>サンガ評議会の歴史</strong>
3。アピンヤ・フェンフサクン、チェンマイ大学社会学人類学学部の講師はサンガ評議会がタイ社会で世俗主義の出現を妨げてきたと述べた。

4。サンガ評議会は国中のタイ仏教僧を統べるヒエラルキー的組織だ。同評議会が設立されたのは国王ラーマ五世の統治下で、仏教を近代化せんがためだ。しかしながら、国家権力が或る宗教組織の実在を保証し、それに他の宗教組織への優越性を与えるのに使われた、とアピンヤは観察した。

5。また彼女はサンガ評議会が仏教純化の目標を持って現れたと加えた。それ故「本物の仏教」から逸脱すると見える宗派或いは宗旨は抑圧されねばならない。タンマカーイはそうした逸脱の明瞭な事例だ、繁栄と人気の故だ。しかしながら、同評議会はこれらの所謂「逸脱した」仏教宗派の拡散が変わりゆく社会への同評議会の適応失敗の所為だと決して認めてこなかった。

6。彼女は非伝統的な仏教宗派を国家と社会の亀裂を埋めるために出現した市民社会組織と比較する。日伝統的宗派は伝統的な解釈に不同意の信者に代替的解釈を提案する。政府の解決策が非効率的だと気づく時、市民社会組織が社会問題への解決策の提案に努めるように。

7。アピンヤは軍政のタンマチャヨ逮捕作戦が何の問題解決にもならんだろうと指摘した。問題あるサンガ評議会の構造が触れられぬままだかrだ。タンマチャヨのようなもっと多くの個人とタンマカーイのようなもっと多くの宗派が出現するだろう、何ものも人々が自分の展望から宗教を解釈するのを防げないからだ。

8。タイ国家がどんな宗教組織にも一線を引き信じるものを人々に決定させることを彼女は提案した。国家は宗教の自由を保証し、人々が政治的寛容性を持って一緒に暮らすのを学べるように宗教的解釈に関する自由な議論を許さねばならない。

9。サンガ評議会の諸問題はパーマハー・プーンチュエイによってさらに説明された。仏教僧として、彼が観察したのは同評議会が仏教の中核的価値を破壊したことだ。同評議会が僧侶に年功とダルマ(法)の知識に基づき僧の冠位を以って報いるので、大半の僧がダルマ学習に集中し仏教の中核的実践の一つである瞑想実践を少なくする。

<strong>国家機構としての仏教</strong>
10。ピンヤパン・ポジャナラワン、ランパンのラジャパット大学人間社会学部講師は、宗教が国家から分離されると想定されるけれども、仏教はいつも極め付きの国家機構であり続けてきた。アショカ大王の時代、国王がインド上に影響力を広める言い訳に使われた。またアショカは反対者を異端者と思いなすことで抑圧するのに仏教を使った。類似のことが即今タイ国で起こっている、とピンヤパンは観察した。

11。タイ国の教育システムで、仏教はどんな他の宗教よりも多くの空間を持つ。タイ国家には学生の中核的価値観として仏教の道義性を確立する試みの中で寺と学校を結びつける政策がある。タンマカーイが今日日非常に人気のある理由はこれらの政策を通じてより若い世代に到達できるからだ。

12。国家が仏教にどんなチェック&バランス・システムもなく、特に財政問題に関して優先度と資源を与える。マネーロンダリングの主張に直面する寺はタンマカーイだけでない。他の有名な寺や僧も汚れた金の所有や違法な土地囲い込みという主張に直面する。

13。タイの国家に消費税があるなら、国家がこれらの資源を社会に配給できるように宗教税もあるべきだ、とピンヤン氏は付け加えた。彼の結論。国家と宗教とは全面的に分離され得ない。国家の役割はしかしながら人々の信仰の制御でなく富の再分配だけであるべきだ。(止め)
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 最近、若者を中心にキリスト教志向が増えてきているそうだ。既存寺院・僧侶がニーズに応えていないからで、クーある度に仏教の国教化が要求されるのも、仏教側の危機感の表れであり、間違った処方箋だ。

 元来、仏教僧は世俗を捨てた出家、富も権力も名声も捨てた筈だ。そして「己こそ寄る辺」、国家に依存する思想はない。国教化すれば、僧は出家者でなく国家公務員になってしまう。現在でも国王が在家代表として仏教を保護している。宗教関係予算のダントツが仏教なのは言うまでもない。

 大乗では一日耕さざれば一日食わずと言う。僧衣は別名糞掃衣(ふんぞうえ)、商品価値のないものを纏い、食事も捨ててあるものを拾って食らうのが原点だ。病院に通う太った僧を屡々見る。タンブンを好いことに食を貪っていそうで嫌だ。福田を耕さず金田を耕すのは堕落だ。腐敗(かつての延暦寺を観よ)は寺にも及んでいるのだ。

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