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◆ 闘う者の歌よ、言葉よ、残れ! ◆ー(兵頭正俊氏)
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「乾杯」のイントロ部分に時代への批判をこめた長渕剛の歌が話題になっている。

12月7日の「2016FNS歌謡祭」でのことだ。

長渕剛が出演して、ギター一本の弾き語りで、時代への批判的メッセージを歌った。

イントロの歌詞は次のようなものだった。

一部字幕の歌詞と違っているが、かれが歌ったとおりに書き起こしてある。

歌詞のなかの「ウ・タ・ヨ・ノ・コ・レ」とは「歌よ残れ」の意味である。

「アメリカの大統領が誰になろうとも凶と出るか吉とでるかそりゃ俺たち次第じゃねえか
今日もマスメディアの誰かが無責任な話ばかりしている
正義のツラしてしったかぶりしているヤツの言うことを聴いている俺
これ以上答えのねぇ話なんか聞きたくねぇ歌の安売りするのも止めろ
日本から歌が消えてく  日本から言葉が消えてく


自らの言葉をつむぐ歌い手たちが

群れを成して魂の歌をつむぐならば

俺たちは歌によって

正しい道を見つけることが出来るのに

「ウ・タ・ヨ・ノ・コ・レ」
「ウ・タ・ヨ・ノ・コ・レ」
「ウ・タ・ヨ・ノ・コ・レ」


俺たちの東北・仙台・俺たちの九州・熊本、そして福島も頑張ってんだ
オリンピックもいいけどよぉ
若者の貧困、地域の過疎化どうする?
騙されねぇぜマスコミ
騙されねぇぜヒットチャートランキング
騙されねぇぜワイドショー

ところでけなげな少女の瞳が今日も銃弾に撃ち抜かれていく
岸に倒れた名もない兵士は母の名を叫んで死んだ
アジアの隅に追いやられてきたしなびきったこの島国で


屈辱の血ヘドを吐きながら俺たちは歌う」
https://youtu.be/Yckc8Yg1OnY

(引用終わり)


「今日もマスメディアの誰かが/無責任な話ばかりしている…歌の安売りするのも止めろ/
日本から歌が消えてく/日本から言葉が消えてく」。
これは覚醒した多くの人たちを代弁した言葉だ。政治家の命は言葉であるが、
その政治家によって言葉が扼殺される時代にわたしたちは生きている。


旧民主党の消費税増税反対。自民党のTPP反対。

日本から言葉が泣きながら去って行く。

政治家は国民の命と暮らしを決める者たちであるが、ここでまず言葉は処刑された。

日本のエリートのポリティカル・コレクトネスは、米国よりも極端で、

国民のためだからといいながら、国民の首を絞めてくる。

その悪を暴き、止めるのがメディアの責任なのだが、

日本のメディアは国民の首を絞める綱の一端を権力とともに握っている。

「騙されねぇぜマスコミ/騙されねぇぜヒットチャートランキング/騙されねぇぜワイドショー」。

ここまで歌いきったら立派というだけではない。

日本国民の不幸の元凶は東京の大手(「記者クラブ」)陰謀メディアにあるのだから、

悲惨な状況の核心を突いているのだ。


宗主国が9.11の自作自演のビル爆破で、すっかり病に冒されたからといって、

日本まで病気になることはなかった。しかし、すぐに病気は伝播してしまった。

しかも米国のオリガーキー(寡頭政治。

少数の富裕者階級が自己の利益のために行う政治支配体制)は植民地の事情を良く知っていて、

安倍晋三に日本破壊を命じた。

政治家がすっかりお行儀良くサラリーマン化してしまった。

現在の自公政治家は、ポリティカル・コレクトネスを駆使しながら、

まるで米国や官僚の操り人形を見ているようだ。

そんななか、12月9日午後の参議院本会議で行われたTPP採決で、

自由党の山本太郎、森裕子のふたりが「牛歩」をやった。

最後まで抵抗する、こういう闘いを、わたしたちは支持しなければならない。


どうせ多数決で可決されるのだから、といったら、委員会の質疑自体が成り立たない。

いや、衆参選挙後には、意味のない少数派の議員は登院しなくてもいいことになる。

「どうせ決で負けるのだから」。


若い人たちは知らないだろうが、以前は「牛歩」も国会ではよく見られたものだ。

議員の質も今よりは揃っていたように思われる。今はすっかりサラリーマン化してしまった。


世の革命家・世直し派は、すべて少数派から出発している。

それから仲間を少しずつ増やし、世界をひっくり返したのである。


そのプロセスでは、千鈞の重みをもつ行動も見かけは卑小に写ってしまうのである。

わたしたちはふたりの行動に拍手を送らねばならない。


山本太郎は牛歩戦術の後、「TPPの中身を知っている人はほとんどいない。

そのまま、すっと通るのはおかしい」と記者団に語っている。

知らないものを、安倍晋三のメンツのために通すとは、並足のポップな投票行動の方が無責任なのだ。


参院議長の伊達忠一が牛歩に対して「早くやれよ」とヤクザの本性を顕す一幕があった。

昔の自民党には真面目なカタギも少なくなかった。今は不真面目で無責任なヤクザが多い。


それにしても議長の品格というものがあろう。この国は病気になってしまったのである。

病気をうつした米国は、もしかしたら日本より先に快復に向かうかもしれない。


ジェファーソン・カーウィーは、「見捨てられた白人貧困層とポピュリズム」のなかで書いている。

(ジェファーソン・カーウィーはバンダービルト大学教授(歴史学))


「民主党と共和党は互いに、貧しい白人労働者階級が苦境にあるのは、相手のせいだと互いに主張したがる。

実際には、両党ともこのグループへの目配りを怠ってきた。

2008年の大統領選挙でバラク・オバマは次のように主張している。


「ペンシルバニアのいくつかの小さな町、それに中西部の多くの小さな町では、

もう25年も雇用が失われ、それに代わるものは何も生まれていない。

彼らはクリントン政権にも、ブッシュ政権にも無視された。

歴代政権はみな、これらのコミュニティーをどうにか再生すると言ってきたが、それは現実になっていない」


これに続けてオバマが語ったことは政治問題になった。

「そうだとすれば、彼らが苦々しい思いをしているのは驚きではない──

自分たちの苛立ちを説明する方法として、銃や宗教に固執し、自分たちとは違う人々への反感、

あるいは反移民感情、反貿易感情にしがみつくのは驚きではない」


この発言にはどこか見下したような響きがあった。

これは、オバマが大統領就任後、明らかに貧しい白人労働者階級に恩恵をもたらす政策を掲げても、

このグループの支持を得られない事態を予兆する伏線だった。


実際、その意図がどうであれ、オバマの任期中に白人貧困層の境遇に大きな変化はなかった。

一方、非白人有権者が増えたことによって、

民主党は、伝統的に支持者の多い「青い」州で教育水準の低い白人有権者の支持を獲得しなくても、

手堅く勝利を収められるようになった。


2016年の民主党全国大会では、さまざまな人種が集う美しい光景がみられたが、

そこには「私たちは白人(貧困層)を見限った」というメッセージが隠されていると感じた視聴者もいただろう。


対照的に、共和党、少なくともトランプが共和党の大統領候補指名を勝ち取るのを後押ししたグループは、

白人層を中心に据えたキャンペーンを展開した。

郡レベルの人口動態と2016年の共和党予備選の結果を比較検証した

ニューヨーク・タイムズ紙のニール・アーウィン記者とジョシュ・カッツ記者は、次のような結論を示している。


すべての郡で、トランプの支持率は高卒未満の白人の割合、

国勢調査の祖先の項目で「アメリカ人」と答えた住民の割合、トレーラーハウスに住む人の割合、

キリスト教福音派の割合、そして1968年の大統領選で人種隔離を主張した

ジョージ・ウォレスを支持した人の割合と強い相関性がある。


しかしトランプの支持率と、「オールド・エコノミー」関連雇用への依存率、

そして低い労働参加率の間にも強い相関関係があった。

だからこそトランプは、経済ポピュリズムを選挙運動の大きな柱に据えた。


その中心が保護貿易と連邦社会保障給付の維持だった。

そうすれば貧しい白人労働者階級も、親や祖父母の世代が戦後享受したような安全と繁栄を得られると、

トランプは約束した」(『Foreign Affairs Report』2016 NO.12)

(引用終わり)


「民主党と共和党は互いに、貧しい白人労働者階級が苦境にあるのは、

相手のせいだと互いに主張したがる。

実際には、両党ともこのグループへの目配りを怠ってきた」。

つまり、両党とも言葉が行動を伴わないのだが、ただ喋っているだけの専門家なら、

政治家の存在理由がない。


オバマのペンシルバニアへの発言など、ほぼ、かれの任期中の評価を象徴するものだ。

「わかっているが、やらない」。ただ言葉が美しいだけだ。広島見物時の言葉と同じだ。


「自分たちの苛立ちを説明する方法として、銃や宗教に固執し、

自分たちとは違う人々への反感、あるいは反移民感情、反貿易感情にしがみつくのは驚きではない」と

見下し、それでもやらないとすれば、トランプに投票するより仕方がないではないか。

ヒラリー敗因の深層はオバマが作ったのである。


オバマは、貧困白人層のみならず、出自の黒人層の貧困、人権すら向上させなかった。

ただ、軍産複合体の上に乗り、しかも個人的にはノーベル平和賞を取り、

矛盾した延命の道を模索しただけだった。


逆に、母体の民主党は、非白人有権者が増えたことで、その方に比重を傾けていった。

それがトランプの勝利に直結したのである。


その支持基盤が、「高卒未満の白人の割合、国勢調査の祖先の項目で「アメリカ人」と答えた住民の割合、

トレーラーハウスに住む人の割合、キリスト教福音派の割合、

そして1968年の大統領選で人種隔離を主張したジョージ・ウォレスを支持した人の割合と

強い相関性がある」というのは当然であるが、これは逆にトランプの危険性も物語るものだ。


この階層の具体的生活を改善しなければ、トランプの4年後の再選は危ない。

オバマとヒラリーのポリティカル・コレクトネスに絶望した階級であるから、

トランプの嘘もプラグマティックに確実に見破る。


現在、トランプとファシズムとの関連を危惧する向きもあるが、それはいささか性急すぎる。

トランプの拠って立つ支持基盤は白人貧困層であり、

かれらの生活を向上させることが、トランプの使命になる。


それも時間に限りがある。わずか4年間だ。その間にめざましい改善がなされなければ、

4年後には落選が待っている。

この一事を以てしても、トランプとファシズムとの相関は希薄なように思われる。

ジェファーソン・カーウィーは、この論文をこのように締めくくっていた。

「トランプが展開した選挙運動は、共和党に非常に大きな影響を与えるだろう。

「今から5─10年後には異なる政党(が誕生する)」と、

トランプは5月にブルームバーグ・ビジネスウィークのインタビューで語っている。

「労働者の政党が誕生するだろう。それは、過去18年間にわたって実質的な賃金上昇がなく、

怒れる人々の政党だ」


今回の選挙戦で突飛な発言を繰り返してきたトランプだが、この点では正しいかもしれない。

リベラル派(と多くの保守派)は、トランプ主義はアメリカを悩ます病だと言う。

だがトランプ主義は、もっと深遠な病理が目に見える現象として現れたにすぎない。


そのルーツは、アイゼンバーグの著書が示すように、アメリカの歴史の遥か昔に遡ることができる。


トランプの選挙運動は、アメリカ政治に長く存在した空白
(かつて貧しい白人労働者階級の利益があった場所に生まれた空白)を埋めた。

民主党か共和党のどちらか(または双方)が、

貧しい白人労働者階級が直面する問題に対処する方法見つけるまで、トランプ現象は続くだろう」

(引用終わり)


トランプを侮る論調は、世界に少なくない。多くは、かれの日常の「低み」を問題にしている。

しかし、知識人(政治家も知識人である)を論じるときは、

その観念の「高み」を問題にしなければならない。知識人を斬るときも観念の「高み」で斬るのである。


トランプは5月にブルームバーグ・ビジネスウィークのインタビューで、「労働者の政党が誕生するだろう。

それは、過去18年間にわたって実質的な賃金上昇がなく、怒れる人々の政党だ」と語った。


この言葉には、ほんとうは民主党も共和党も震え上がらねばならない。

「トランプの選挙運動は、アメリカ政治に長く存在した空白
(かつて貧しい白人労働者階級の利益があった場所に生まれた空白)を埋めた。

民主党か共和党のどちらか(または双方)が、

貧しい白人労働者階級が直面する問題に対処する方法見つけるまで、

トランプ減少は続くだろう」というジェファーソン・カーウィーの言葉は重い。


しかし、民主党も共和党も、その課題を解決するどころか、正面から取り組むことすらしないだろう。

すると、トランプの語った、貧困労働者の怒りを受け取る新党を、トランプは作らねばならない。


現在、世界各国の政治は、オリガーキーに支配されている。

米国の民主党も共和党も、オリガーキーに支配された組織であり、

もともと貧困層の救済など目指す政党ではない。


ここに、トランプの孤独がある。しかも米国大手メディアの、トランプへのバッシングは続いている。

ここに米国と日本の、トップの決定的な違いがある。

日本の場合は政治のトップとメディアとは寿司トモダチだ。メディアが完全に1%側にいる。


「今日もマスメディアの誰かが/無責任な話ばかりしている…歌の安売りするのも止めろ/
日本から歌が消えてく/日本から言葉が消えてく」。

これはトランプの言葉であって、安倍晋三の言葉ではない。


米大統領選中、トランプの演説でもっとも聴衆が沸いたのは、トランプのメディア批判だった。

だから米国にはまだ蘇生の可能性が残った。

しかし、限りなく暗いのは日本の現在である。

大手メディアがオリガーキーの洗脳・広報機関に成り下がり、国民の覚醒を妨げている。


こういう状況では、多様な国民の声をすくい上げていく良心的で勇気のある地方メディア、

非営利の独立系メディア、市民メディアなどが重要である。


そのひとつである、

吉田照美がパーソナリティーを務める文化放送「吉田照美 飛べ! サルバドール」(月~金曜・後3時半)が、

36年半の活躍に幕を下ろす。


こういう場合、本人が自ら辞めたいのなら、周りがとやかくいうことはない。

しかし、ネット上の誰もが、後ろから手をまわした権力の匂いをかいでいる。


「もうちょっと頑張りたかったけど」と記者に語った言葉、

「残念ながら、(打ち切りは)本当です」とのツイートからは、吉田の悔しさが覗く。

わたしたちは、吉田に明日のわが身を思った方がいい。

間違わない人間などいないのだから、批判を許さない権力者というのは、よほどの臆病者なのだ。

権力者も批判されて学び、成長したらいいのである。

安倍晋三について、未来の歴史家、物書きは、批判を封じて、日本を戦争に引き込み、

国を滅ぼした政治家と書くだろう。

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