★法も正義もないこの国の司法・検察の実情ー(植草一秀氏)

受託収賄罪などに問われた岐阜県美濃加茂市の藤井浩人市長に対する控訴審で、

名古屋高裁は11月28日、一審の無罪判決を取り消して

懲役1年6月、執行猶予3年、追徴金30万円の逆転有罪判決を言い渡した。

高裁判決は、「プール浄水設備導入をはたらきかけるため現金30万円を渡した」などとする

業者供述の信頼性を認め、検察側の主張に沿った判決を示した。

これに対し、藤井市長は公判後の記者会見で「まったく受け入れられない」と反発。

弁護団は速やかに最高裁へ上告する方針を示した。

この事件における証拠は、贈賄側の

「プール浄水設備導入をはたらきかけるため現金30万円を渡した」

だけであるが、一審ではこの証言を信用できないとして無罪判決が示されていた。

ところが、高裁では、この証言を「信用できる」として、一転有罪判決を示した。

しかし、藤井市長や弁護団が主張するように、高裁の逆転無罪判決は、

一審判決を覆すだけの十分な証拠調べを行った上のものでなく、

適正な手続きを欠いた不当な判断であると言える。

「逆転有罪にする」ことが最初に決められて、判決が示されたものであると評価せざるを得ない。

いかなる判決が示されようとも、

「心証」

という一言で片づけられてしまう。

このことが、日本の司法を暗黒に陥れている。


普通の人々は、裁判所は中立公正の存在という「幻想」を抱いている。

しかし、これは事実と異なる。

裁判所は政治権力に支配される、権力機関の一翼である。

したがって、裁判所は、中立公正の立場から、法と正義に照らした判断を示す存在ではない。

政治権力の意向を受けて、歪んだ判断を示す特性を有しているのが裁判所の実態なのである。

すべての個人は、このことをしっかりと銘記しておく必要がある。

そして、

裁判所の判断を絶対と思わず、

裁判所の判断は、「一つの判断」であると考えるべきである。

「絶対視しない」ということが「相対化する」ということである。

裁判所の判断を「相対化」することが何よりも重要だ。


ナチスドイツのような国があったとする。

この国で警察に捕まり、裁判を受けて有罪とされて、刑罰を科せられたとしよう。

そのときの評価は、

「刑罰を受けた者が絶対に悪い」

にはならない。

「ナチスドイツの判断と行動が間違っているかも知れない」

と判断するのが適正ということになるだろう。

これが「相対化」して裁判所判断を見る姿勢なのだ。

裁判所の判断だからと言って絶対視できない。

むしろ、警察や裁判所の判断が間違っているのではないか。

こう考える姿勢が「相対化する」ことの結果なのだ。

日本の裁判所は中立公正の存在ではない。

法と正義を守る、守護神の存在ではないのだ。

政治権力の支配下にある、もとより歪んだ存在なのだ。

だから、裁判所の判断を絶対視しないことが大事である。

それは「一つの判断」に過ぎないし、多くのケースで「歪んだ判断」なのだ。


とりわけ、政治権力の意向が絡む事案では、この傾向が極めて強くなる。

小沢一郎氏の秘書が有罪判決を受けた事案もそうである。

私が有罪判決を受けた事案もそうである。

そして、今回の藤井市長の事案もそうである。

政治権力の意向を受けて、裁判所の判断が根底から歪められるのである。

判決は法的拘束力を持ち、重大なものであるから、冤罪被害者の被害は計り知れない。

後藤昌次郎弁護士が

「国家にしかできない犯罪。それは戦争と冤罪である」

の言葉を遺されたが、まさに、戦争にも匹敵する、国家による重大犯罪が冤罪である。

今回の事案では、郷原信郎弁護士が見事な弁護をしているが、

国家権力がこれを潰しにかかったという側面が極めて強い。

最高裁で適正判断が示されることが望ましいが、

「裁判所が歪んでいる」

という前提に立てば、過大な期待も持てないのである。

実害があるから裁判に力を注ぐ必要はあるのだが、

最終的には、裁判所判断が正しくないことがいくらでもあることを、私たちは知っておかねばならない。


藤井市長が巻き込まれている事案では、贈賄を行ったとしている側が

「30万円を賄賂として藤井市長に渡した」

と供述していることだけが、唯一の直接証拠である。

贈賄者は設備会社「水源」社長中林正善氏で、2015年1月16日に、

贈賄罪と、金融機関に対する詐欺罪で懲役四年の実刑判決を受け、現在服役中である。

藤井氏が巻き込まれている贈収賄事件に関する

「30万円を渡した」

という供述は、合計4億円近くもの融資詐欺(公文書偽造・同行使等を手段とする)のうち

2100万円の事実しか立件されていない段階で行われたものである。

藤井氏の弁護人を担当している郷原氏はこの点に関して、

「闇司法取引の疑い」

があるとしてきた。

郷原氏のブログ記事から、関連する部分を転載させていただく。


「警察が市長に対する贈収賄事件の捜査に着手して以降、融資詐欺の余罪が

すべて不問に付されていたことに疑問を感じた弁護人は、

公判前整理手続において「闇司法取引の疑い」を予定主張に掲げ、

関連証拠の開示を受けたところ、

当然起訴されるべき悪質な融資詐欺・公文書偽造・同行使等の事実が多数あることが確認された。

弁護人が、それらの事実を告発したことで、

検察官が、8ヶ月も放置していた4000万円の融資詐欺事実を追起訴せざるを得なくなったことなどを

重視した一審裁判所は、

「闇取引」自体は否定したものの、贈賄証言の信用性を否定する背景事実として

「虚偽供述の動機が存在した可能性」を指摘して、市長に無罪判決を言い渡した。」

上記設備会社社長の贈賄事件の捜査が着手されると、

設備会社社長の融資詐欺事案の余罪が不問に付されたのである。

融資詐欺の事案について、郷原氏は次のように記述している。

「インターネットで業者に頼んで作ったハンコを使って、

地方自治体の部門長や病院理事長とかの名義の文書を偽造し、

架空工事をでっち上げて融資を受けた融資詐欺の被害額が数億円ある。

そして、それと同時期に、勤務先の病院で事務長の立場で合計1億5000万円を横領していた。

一度途中で発覚し、それまでの横領額の一部を返済したあと、残りは分割返済することにして、

そのまま病院に勤務していたが、しばらくしてまた横領を始め、

年間5~6000万円ものお金を、借金の返済や、キャバクラやクラブでの豪遊代に使ったとのことだった。」


設備会社社長は、この融資詐欺の容疑で勾留中に贈賄の自白を始めたものである。

しかし、これと並行して融資詐欺事案の余罪が不問に付されたのである。

警察、検察は、この供述だけを頼りに贈賄事件を立件したのである。

しかし、一審裁判長は、贈賄証言の信用性を否定する背景事実として

「虚偽供述の動機が存在した可能性」を指摘して、市長に無罪判決を言い渡した。

適正な判断であったと言えるが、高裁が審理も十分に尽くさずに、逆転有罪の判決を示した。

高裁は職権で設備会社社長の証人尋問を実施した。

その際に、検察による証人テストの実施を行わないとの条件が付された。

一審では、検察と設備会社社長が入念な「証人テスト」を行ったと見られる。

「証人テスト」とは、検察側証人と検察による事前の「打ち合わせ」のことである。

法廷での証言において、「事前のリハーサル」を何度でも繰り返すことが認められている。

検察による犯罪「創作」のなかで最大の役割を果たすのが、この「事前リハーサル」なのだ。


高裁による設備会社社長の再尋問においては、「証人テスト」無しが決められた。

その目的は、証人が、自分の記憶を頼りに供述を行うことで、真相に迫るというものだった。

ところが、この効果をぶち壊しにする行動が取られたことが発覚した。

郷原氏のブログより、関係個所を転載させていただく。

「今回の中林の証人尋問は、通常の一審での証人尋問とは異なり、

控訴審裁判所が、事前の記憶喚起などを経ないで、

中林の現時点での「生の記憶」を確かめるために実施されたもので、

そのような尋問の目的から、

裁判所は、検察官に「証人テスト(証言内容について事前に確認して打合せを行うこと。

検察官がこれまで多くの事件で用いてきた。)は控えてもらいたい」との異例の要請を行った。

また、「記憶喚起のために事前に資料を送付すべし」との検察官の意見も退け、

簡略な尋問項目等を送付するのみにとどめ、詳細な資料提示は、

公判廷での証人尋問において行う方針が示されていた。

ところが、今日の中林の証言によれば、融資詐欺・贈賄の罪で服役中、

今回の証人尋問の実施について裁判所から正式の通知を受ける前に、

中林自身の裁判で弁護人だった東京の弁護士から、尋問事項に関連する資料として、

贈賄に関する捜査段階の供述調書と、

藤井市長に対する一審無罪判決の判決書(通常、その事件の検察官・弁護人などの当事者以外の者が
入手できるものではなく、判決要旨も、報道関係者に、報道目的に限定して配布されるのみであり、
藤井市長事件と関係のないこの弁護士がどのような方法で入手したかは不明である)を

受刑中の刑務所に送ってもらい、事前に読んだ上で、本日の証人尋問に臨んだとのことだった。

なぜそのような資料を元弁護人の弁護士から送ってもらったのか、

弁護人から質問されても、曖昧な証言に終始した。

結果として、中林は、藤井市長の一審での証人尋問とほとんど同じ証言を行った。

その内容のほとんどは、中林が入手した資料に書いてあることであり、

今回の中林の証人尋問の実施の目的の大半は損なわれることになってしまった。」


結局、設備会社社長の「生の記憶」を確かめるとの目的は達せられなかった。

この状況下で、逆転有罪の判断を示そうとするなら、

少なくとも藤井市長ならびに、有力な関係者に対する尋問も行う必要がある。

このような手続きを一切飛ばして、名古屋高裁の村山浩昭裁判長は逆転有罪判決を示した。

この背景について、「闇株新聞」氏が重要な指摘をされている。

それは、証券取引等監視委員会委員長の佐渡賢一氏の後任に内定しているのが

長谷川充弘・広島高検検事長であり、

この長谷川充弘氏が藤井市長を無理筋で逮捕・起訴した名古屋地検の事件当時のトップだった

という事実である。

このことが、なぜ、今回の無理筋逆転有罪判決に結びつくのかについては、

さらに背景の説明が必要であり、この点は再論することとするが、

要するに、長谷川充弘氏に傷をつけないために、名古屋高裁が「忖度」して、

今回の無理筋有罪判決を示した疑いがあるということだ。

闇株新聞紙は東芝の不正会計問題の立件との絡みで、このことを紐解いている。

いずれにせよ、法も正義もないというのが、この国の実情なのである。

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