★日本、米国の「奴隷国家」の系譜(『戦後史の正体』)
政治家や官僚は「米軍経費の受け入れ国負担、
日本7612億円、独1876億円、韓国1012億円、英280億円、サウジ64億円と
何故日本が断トツか説明できるか。-(孫崎享氏)

日米地位協定第24条では

「1 日本国に合衆国軍隊を維持することに伴うすべての経費は、

2に規定するところにより日本国が負担すべきものを除くほか、

この協定の存続期間中日本国に負担をかけないで合衆国が負担することが合意される」となっている。

この中、米軍経費の受け入れ国負担、日本7612億円、独1876億円、韓国1012億円、英280億円、

サウジ64億円と何故日本が断トツをどう説明できるか。

合わせて、米軍の日本での駐留は基本的に米国の世界戦略のためで日本防衛ではない。

2015-04-28締結の、「新たな日米防衛協力のための指針」は次の取り決めを行っている。

「 日本は、日本の国民及び領域の防衛を引き続き主体的に実施し、

日本に対する武力攻撃を極力早期に排除するため直ちに行動する。

自衛隊は、日本及びその周辺海空域並びに海空域の接近経路における防勢作戦を主体的に実施する。

米国は、日本と緊密に調整し、適切な支援を行う。

米軍は、日本を防衛するため、自衛隊を支援し及び補完する。

米国は、日本の防衛を支援し並びに平和及び安全を回復するような方法で、

この地域の環境を形成するための行動をとる。」

日本の防衛は「自衛隊が主体的に実施する」のである。

米国に言われたら、言われたとおりにふるまう、いわば奴隷国家的日本の在り様は、

占領時代、そして占領体制をそのまま維持し首相を続けた吉田首相からの自民党への流れに

継続したものである。安倍首相になり、それが一段と増幅された。

戦後の状況を著書『戦後史の正体』から引用したいと思います。

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日本は軍人をボスとする奴隷国で、軍人のボスから別のボス、つまり占領軍に切り替わっただけでした。

 米国の国務・陸軍・海軍から構成された調整委員会で

「連合国最高司令官の権限に関する通達」が検討されました。

一九四五年九月六日、(トルーマン大統領の承認を得て、この文書はマッカーサー元帥に送られました。

 「連合国最高司令官の権限に関する通達は、米国が日本をどのように占領するかについての基本文書です。

占領時代を理解するには絶対に読まねばならない文書です。

でもこの文書を目にしている人はほとんどいません。いったいそこにはなにが書かれていたのでしょうか。

第一項で「天皇および日本国政府の国家統治の権限は、
連合国最高司令官としての貴官〔マッカーサー〕に属する」と規定しています。

日本が米国の属国であることを明確にのべているのです。

さらに「われわれと日本国の関係は契約的基礎の上に立っているのではなく、

無条件降伏を基礎とするものである」としています。

ですから「貴官〔マッカーサー〕〕の権限は最高であり、日本からいかなる異論もうけない」としています。

第二項で「日本の管理は日本政府を通じて行なわれるが、

それはこのような措置が満足な成果をあげる限度内においてである。

そのことは、必要とあれば直接に行動する権利を妨げるものではない」としています。

「いざとなれば米国が実質的に統治する」。この点につき疑問の余地はまったくありません。

この権限を背景にマッカーサー元帥は絶大な権力を振るいます。

マッカーサー自身、次のように書いています。

「私は日本国民に対して事実上の無制限の権力をもっていた。
歴史上いかなる植民地総督も征服者も、私が日本国民に対してもったほどの権力をもったことはなかった」

「軍事占領というものは、どうしても一方はドレイになり、他方はその主人の役を演じ始める」
(『マッカーサー回想記』)(編集者へ・参考・本ではドレイとなっています)

天皇も総理大臣も、マッカーサーからみれば「ドレイ」なのです。つまり自主的には判断ができない存在です。

しかし「ドレイ」だからといって、イコール悲惨な生活ということにはなりません。ドレイは財産です。

しっかり働いてもらわなければならないので、虐待されるとはかぎりません。

古代ギリシアでも十九世紀の米国でも、財産であるドレイが丁重にあつかわれるケースは数多くありました。

さらにいえば、ドレイには上級ドレイ(日本人支配層)と下級ドレイ(一般市民)が存在し、

前者が後者を支配するという構図が存在します。

 吉田首相は、上級ドレイが下級ドレイに尊大に接する様子を一般の人びと相手によく演じていました。

しかし、夜陰にまぎれ、帝国ホテルにこっそりとしのびこんで、

主人であるウィロビーと会っていた姿は国民にはみせていません。

かろうじて犬丸帝国ホテル社長のような人が見ているだけです。

 トルーマン大統領は次のように書いています。

「マサチューセッツ工科大学の総長コンプトン博士は、帰国後ホワイトハウスに来て私に説明した。

彼にまとめてもらった覚書は次のとおりである。

日本は事実上、軍人をボスとする封建組織のなかの奴隷国であった。

そこで一般の人は、一方のボスのもとから他方のボスすなわち現在のわが占領軍のもとに

切りかわったわけである。彼ら多くの者〔にとって〕はこの切りかえは、

新しい政権のもとに生計が保たれていければ、別に大したことではないのである」(『トルーマン回顧録』)

思えば吉田首相は、占領下の首相に実にふさわしい人物でした。

 日本人指導者が米国人に従属する構図は、米国人からはよく見えます。

ですから米国人は日本人に対してドレイという言葉を使います。

しかし日本の一般の人たちにはその姿が見えないのです。

そのため日本人のなかに誤解と錯覚が生まれてしまうのです。

占領時代、実質的に「自主」路線が選択される可能性はゼロでした。

しかしその一方で米国は、日本の首相が「自主的にふるまうこと」は容認していました。

吉田茂はこの点、大変な役者でした。日本国民に対しては非常に偉そうな態度をとりましたし、

米国に対しても互角にやりあっているようなポーズをとっていました。

しかし占領下で、米国の利益に反すると判断されたときには「自主的なもの」など存在できないのです。

日本降伏後の方針を定めた米国の初期対日方針には

「日本における現在の政治形態は利用するものであって、擁護するものではない」と明確に書かれているのです。

思えば吉田首相は、占領下の首相に実にふさわしい人物でした。

ある意味で占領中の彼の「対米追随路線」は、しかたなかった面もあるでしょう。

問題は彼が一九五一年の講和条約以降も首相の座に居すわりつづけたということです。

その結果、占領中の対米追随路線が占領後もまったく変わらず継続され、

ついには戦後六〇年間もつづくことになってしまった。ここが日本の最大の悲劇なのです。

日本には保守本流という言葉があります。

一般的に「吉田茂がひきいた旧自由党系の流れをくんだ、池田勇人、佐藤栄作などの官僚出身の政治家
(いわゆる吉田学校)を中心とした勢力」とされています。

基本的に保守本流とは戦後の日本政治そのものであり、その精神は今日まで脈々とつづいています。

その根本は「従米」なのです。

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