★「運命の人」西山太吉氏と意気投合した日ー(天木直人氏)

きのう11月12日、新幹線を乗り継いで小倉に西山太吉氏を訪ねた。

 西山さんと会うのは、「村山談話を維持・発展させる会」の仲間と一緒に北京を訪問した昨年春以来だ。

 正午にリーガロイヤルホテル小倉で待ち合わせ、昼食をともにしながら話し合った。

 私の目的は、もちろん新党憲法9条を結党した事の報告と、その実現に協力要請することだ。

 インターネットをまったく使わない西山さんは、私が新党をつくって今度の衆院選に臨むことなど、

まったく知らなかった。

 そして、即座にそんな馬鹿な真似はするな、一人で政党をつくって何ができる、

そんなことより自民党のリベラルに働きかけて安倍政治を変えさせることだ、という返事だった。

 まさしく森田実さんが2年前に私に語った言葉だ。

 自民党を変えるしかないと。

 しかし、あの時森田さんは、そんなことを言っても今に自民党に期待できる政治家はいるのか、

という私の質問にこう答えた。

 もはや自民党にはそれができる政治家はいなくなった。

 このまま安倍政治が行き着くところまで行くしかない。

 その後に新たな動きが始まるのを待つしかないと。

 そのあまりの悲観的な見方に私は失望したものだ。

 西山さんとは、それ以上政治について議論することを止めて、

トランプショックの後の日本外交について語り合った。

 当然のことながらに日米同盟はどうなるか、どうすべきか、という話に議論は集中した。

 日本が米国から自立できるとしたら、

おそらくトランプショックが最後のチャンスだろうということで完全に意見が一致した。

 そして、日本が米国から自立できるカギは、

日中関係の改善と沖縄を米軍の基地から解放する、とう二つだという事でも完全な意見の一致を見た。

 西山さんの原点は、宏池会番の政治記者にある。

 沖縄密約の告発も、石橋首相の時にできそうだった対米自立が、

岸政権の安保条約改定によって一気に対米従属に向かった、その危機意識のなせるわざだったのだ。

 そして、いまや宏池会は自民党から消え、安倍一強となった。

 話していくうちに、自然と話は政治にうつり、西山さんは前言を翻し、

安倍一強の中で、自民党の中から対米自立を唱える政治家を見つける事はもはや無理だと言い始めた。

 私は、時間を忘れるほど、新党憲法9条構想を語った。

 日本が日米軍事同盟の呪縛から逃れ、憲法9条を変える方向ではなく、憲法9条を掲げて、

自衛隊を米軍から日本を守る専守防衛の自衛隊に再構築し、

なによりもかつて日本が侵略した中国、北朝鮮を含む東アジアの非戦、不戦体制をつくる方向で対米自立する、

それしかない、それを堂々と主張できるリベラル政党を日本の中につくるしかない、そう訴えた。

 最後は、そんな日本を見ないまま死んでいった者たちのためにも、

自分は生きているうちに新党憲法9条をつくって、国民の手で日本を米軍から解放したい、

そう西山さんに訴えてた。

 別れ際、西山さんは私の手を握り、天木さん、やりましょう、私も応援するよ、と言ってくれた。

 その日はよく晴れた日で、帰りの新幹線からは傾きかかって日がやがて夕陽になりつつあった。

 すっかり疲れ果ては私はその夕陽をぼんやり眺めていた。

 そして、同じように疲れ果てて夕陽を眺めていたことがあったなあと記憶をたどった私は、ようやく思い出した。

 大使としてレバノンに勤務して間もない頃、

私は米国のデビッド・サタフィールドと名乗る駐レバノン大使を訪れパレスチナ問題の解決のために果たす

米国の役割の重要性について彼と議論したことがあった。

 いつまでたっても議論はかみ合わず、その後中東担当の国務次官補に栄転した彼は、

最後は、中東の事を何もわからない新米の日本大使はもっと勉強してから出直して来いといわんばかりに、

笑って私を見送った。

 くたびれ果てた私は、運転手が運転する大使車の後ろに身を横たえて、

中東に平和がいつ訪れるのだ折ると地中海に沈みゆく夕陽を眺めて思った。

 今度は違う。

 米国に頼らず、自分で動く。

 日本をいつの日か米国の軍事占領から解放してみせる、という希望がある。

 そして、米国はかつての米国ではなくなりつつあるという歴史の大きな流れが生まれつつある。

 なによりも、「運命の人」を、最後はそれしかないといわせた新党憲法9条がある。

 そう思っているうちに新幹線は新大阪に着いた。

 そこから乗りかえて京都の家に着いた頃にはすっかり暗くなっていた。

 夕方のニュースはトランプの米国が始動したと報じていた。

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