★国会軽視の安倍政権を象徴する動き、
憲政記念会館取り壊しが検討されているというー(孫崎享氏)

国会の周辺の一等地に憲政記念会館がある。

 この高台は、江戸時代の初めには加藤清正が屋敷を建て、その後彦根藩の上屋敷となり、

幕末には井伊直弼大老が居住した。

明治時代になってからは参謀本部・陸軍省がおかれた。それぞれの時代を象徴する場所である。

1970年わが国が議会開設80年を迎えたのを記念し、

議会制民主主義についての一般の認識を深めることを目的として、ここに憲政記念館が設立された。

この会議場は民主主義の確保を目指し、今日でも様々な会合が催されてきた。

この憲政記念館がどうも取り壊されるらしい。

記念館解体の理由は、重要な外交文書などを保管する公文書館の蔵書収容量が

まもなく満杯状態になるからだ。より広い敷地を求めて移転先として白羽の矢が立ったのが、

記念館の敷地である。

公文書館と言うものが、都心の一等地にくる必要がどうしてあるのか。

日本では、重要文書を記録にとどめる習慣はない。重要な文書であればらるほど、破棄する。

そんな伝統を持つ国の公文書館の意義は極めて少ない。

国会の周辺には、国会図書館がある。ここには毎日多数の研究者が通って、研究を続けている。

他方、日本の政治を学ぶ人々で、公文書館に通って、研究書をまとめた人がどれ位存在するか。

公文書館の広大な土地が必要なら、それこそ、現在の千代田区北の丸公園3番2号の土地を他に提供し、

郊外に広大な土地を購入すればいい。

この動きに異論を述べた人がいる。

「議会政治の父」尾崎行雄(咢堂)の孫にあたる著名な通訳者、原不二子さんである。

「民主政治の象徴が踏みにじられる思いです。

かつて陸軍省や参謀本部が置かれていた土地に記念館を建てたのも不戦の誓いが込められているからです。

いまやそれが怪しくなり、武器輸出三原則も撤廃されています。尾崎の孫として、もう黙っていられません」

本件に関する報道

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週刊朝日  2016年11月4日号

「憲政記念館」取り壊し案浮上 尾崎行雄の孫が「待った!」

立憲政治のシンボルが解体の危機にある──。

国会議事堂近くにある憲政記念館(東京都千代田区)を取り壊し、

新しい国立公文書館と一体化して建設する計画案に対し、

「議会政治の父」尾崎行雄(咢堂・がくどう)の孫にあたる著名な通訳者、原不二子さんが

「解体反対」の声を上げている。

「民主政治の象徴が踏みにじられる思いです。

かつて陸軍省や参謀本部が置かれていた土地に記念館を建てたのも不戦の誓いが込められているからです。

いまやそれが怪しくなり、武器輸出三原則も撤廃されています。尾崎の孫として、もう黙っていられません」

 憲政の歴史や国会の資料を展示する憲政記念館は1970年、

日本の議会政治が80周年を迎えたのを機に設立された。

日本に憲政を根付かせるために尽力した尾崎行雄を記念して

60年にできた尾崎記念会館を増築して建てられた。

 記念館解体の理由は、重要な外交文書などを保管する公文書館の蔵書収容量が

まもなく満杯状態になるからだ。より広い敷地を求めて移転先として白羽の矢が立ったのが、

記念館の敷地だった。両施設をそれぞれ存立させる「別棟案」もあるが、

衆院議院運営委員会の小委員会は5月に床面積を最も広く取れる「一棟案」とする方針を決めた。

「記念会館の建設時には、政治家や財界人の献金ばかりではなく、

中高生からの寄付もありました。

政府は一銭も出しておらず、市民の浄財で造られたことを忘れてはなりません」(原さん)

 広く各国からも記念品が寄せられた。

敷地内に立つ三面の時計塔は三権分立をイメージしたもので、スイスから寄贈された。

 公文書館を所管する内閣府に問い合わせた。

「まだ『一棟案』に正式に決まったわけではありません。

反対の声があるのでしたら、勘案して計画を進めます」(公文書管理課)

 情報公開制度に詳しい獨協大学法学部の右崎正博教授はこう見る。

「立憲主義を大事にするという意味でも、合併して記念館の意義を縮小させるようなことは

あってはなりません。一方で、日本では公文書館の存在が諸外国と比較してあまりにも軽視されてきた。

公文書を保存するか廃棄するかは、基本的には各行政機関の判断に委ねられ、

都合の悪いものは国民の目にさらされることなくどんどん捨てられているのが現状です。

施設が両立する道を探ってほしい。

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