★傷だらけの2人にアメリカの衰亡を見せつけられるー(田中良紹氏)

アメリカ大統領選挙まで1か月を切る中で行われたヒラリー・クリントン対ドナルド・トランプの

2回目のテレビ討論はそのほとんどが個人攻撃に当てられた。

アメリカの選挙でネガティブキャンペーンは珍しくないが、

しかし大統領候補者同士の討論がここまで中傷合戦に終始すると、

冷戦の勝利から四半世紀を経たアメリカが衰亡に向かう様を見せつけられた気がする。

メディアの調査ではヒラリーの勝利と判断した国民が1回目と同じく多かったようだが、

仮にヒラリー・クリントンが初の女性大統領の座を勝ち得たとしても、

その行く手にはあまたの困難が待ち受け、しかも国内の分断状態を回復することは不可能で、

常に足を引きずられる大統領になると思う。

先月末にテレビ討論が始まるまで二人の支持率はほぼ拮抗していた。

それが1回目のテレビ討論でヒラリーの支持率がトランプを引き離し、

さらに2回目のテレビ討論が始まる2日前に、

10年前のトランプによる女性侮辱発言がワシントン・ポスト紙に報道された。

「有名人なら女性と何でもできる。女性器をさわれる」というトランプ発言を録音したビデオを

ポスト紙が入手したのである。

誰が持ち込んだか知らないが、

トランプ追い落としを狙う誰かが絶妙のタイミングで新聞社に提供したと思われる。

ヒラリー支持者の提供と考えるのが普通だが、今度ばかりはそうとも言えない。

セックス・スキャンダルを持ち出せばトランプもクリントン元大統領の疑惑で反撃し、

双方が傷つくことになるからだ。

そもそもトランプに切り崩された共和党内には反トランプ感情が少なくない。

トランプよりヒラリーに投票すると公言する共和党員もいる。

この報道で共和党内にはトランプを撤退させるべきとの声が高まり、

トランプは絶体絶命のピンチに立たされた。

これに対しトランプは自らの発言は「男同士が仲間内で話すよくある軽口」だが、

ヒラリーの夫であるビル・クリントン元大統領は実際に女性をレイプした過去があると

予想通りの反撃を開始した。

トランプはビル・クリントンにレイプされたと訴える女性3人とともに記者会見を行い、

その3人を討論会場にも招いた。

そしてトランプは「軽口」よりISのテロから米国を守ることの方が重要だと、

話を「イスラム過激派の脅威」に転じ、

ISのテロを増長させたのはオバマ政権時の国務長官であるヒラリーの責任が大きいと反論したのである。

これが米国民の倫理観にどう映ったかはこれからを見ていくしかないが、

過去の大統領選挙でビル・クリントンがセックス・スキャンダルの直撃を受けて危機に陥ったとき、

夫人であるヒラリーが共に記者会見するなど擁護の姿勢を見せて乗り切った。

クリントンは大統領になってからも修習生とのホワイトハウス内での性行為が発覚し、

特別検察官が任命されてスキャンダルのもみ消し疑惑やアーカンソー州知事時代にさかのぼる

土地取引疑惑などが捜査された。

しかしこの時にクリントン大統領の支持率は下がらず、

政治家のセックス・スキャンダルに寛容なフランスから「やっとアメリカも成熟国家になった」と

評価されたことがある。

トランプはビル・クリントンと比較させることでこの危機を乗り切ろうとしているが、

ヒラリーは「トランプには女性だけでなく移民やイスラム教徒などマイノリティを侮辱して恥じない。

そこに大統領の資質に欠ける人間の本性がある」と女性好きとは異なる資質の問題にして

追及していく構えである。

討論ではヒラリーがよく言えば堅実、悪く言えば決まりきった発言を繰り返したのに対し、

トランプは後に尾を引きそうな問題発言を連発した。

例えば「自分が大統領になったら司法長官に特別検察官を任命させ、

FBIが訴追を見送ったヒラリー国務長官時代のメールの公私混同疑惑を捜査させ、

刑務所に送り込む」と発言した。

トランプは特別検察官に言及することで

クリントン大統領時代の疑惑を捜査したスター特別検察官を思い起こさせようとしたのかもしれないが、

本来、特別検察官は大統領や司法省など行政府から独立した存在で、

ヒラリーは「トランプのような気質の人間が法律を仕切っていないことが良いことだ」と反論した。

またシリア問題でトランプは副大統領候補のマイク・ペンスと考えが異なることを明言した。

正副大統領候補が安全保障問題で考えが違うと表明するのは極めて異例である。

ペンス副大統領候補が「シリアやロシアに対テロ対策を妨害された場合に

アメリカはシリアに実力行使する」と述べたのに、トランプは「私は考えが違う」と明言した。

副大統領候補同士のテレビ討論で、民主党のティム・ケーン候補に勝ったと評価され、

トランプとは対照的に沈着冷静さを印象づけたマイク・ペンスを共和党内では

トランプに代わる大統領候補にしようとの声もある。

このトランプ発言が共和党内にどのような波紋を引き起こすか注目だとフーテンは思った。

このテレビ討論で「史上最も好感度が低い」と言われる2人の候補者が好感度を上げたとはとても思えず、

冒頭で書いたようにヒラリーが大統領に就任しても先行きは困難だと思わざるを得ない。

25年前に旧ソ連が崩壊し、

アメリカが冷戦に勝利したことで「パクス・アメリカーナ(アメリカの平和)の始まり」と言われたことが

嘘のような思いである。

その頃ワシントンに事務所を構えてアメリカ政治をウォッチしていたフーテンは、

世界を一極支配するためにまずは世界中の情報を収集・分析しようとするアメリカのエネルギーを感じていた。

ワシントン郊外に次々に建てられていく建築物がほとんどシンクタンクだったからである。

世界唯一の超大国となったアメリカは古代ローマ帝国による「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」のように

200年にわたる世界平和を目指すかと思われた。

しかしその夢を喪失させたのは、アメリカが超大国になったがゆえに始めた「グローバリズム」である。

グローバリズムはアメリカの国内産業を衰退させ、

中国などの新興国に経済成長の契機を与えることになる。

まずはクリントン政権がIT革命によってグローバリズムを推し進め、

経済で優位にあった日本を追い抜くため日本より低賃金の中国とのパートナーシップを強化する。

一方でアメリカ的価値観の押しつけが中東イスラム世界の反発に遭い、

9・11テロがアメリカ本土を襲うと、ブッシュ・ジュニア政権は民主化を大義名分に

イスラム世界と軍事的衝突を引き起こし、ベトナム戦争より深い泥沼にアメリカを引きずり込んだ。

多国籍企業は利益を得るため低賃金労働者を求めて新興国に進出し、

それが米国内の産業を衰退させ中間層の没落を招く。

そして米国内に反グローバリズムを生み出しトランプやサンダースを政治の世界に押し上げたのである。

従ってこの大統領選挙は民主党対共和党の戦いではなく

グローバリズムを巡るアメリカのあがきがヒラリーとトランプの姿を借りて戦われている。

そのどちらもがアメリカの衰退過程を表現するとフーテンの目には映っている。

常識的にはヒラリー優勢の選挙選だろうが、

トランプやサンダースをここまで押し上げた米国民の民意を読み切れなかったフーテンとしては、

まだ何が起こるか分からないという気持ちで大統領選の行方を見ている。

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