★戦前の記者と今日の記者、同盟通信(共同の前身)、
「同盟通信は今と変わらぬ記者や組織のようで、
それで国を誤った道に導いてしまったようだ。
そうだとすると、我々は違った教訓を読み解かなければならない(石山永一郎)ー<孫崎享氏記事>

戦前、通信社に同盟通信があり、戦後、これが、共同通信と時事通信に分離した。

戦後、時事通信の内信部長の任にあった大屋寿雄が第2次大戦前、

自らが経験した日中戦争、欧州戦争、太平洋戦争について、

『戦争巡歴』という題で総ページ数、731という大部のものが今出版された。

 この本の冒頭石山永一郎共同通信編集委員が「教訓の宝庫」と題し一文を載せているがこれが興味深い。

 もし、戦前、同盟通信の記者が軍や政権の指示の下、

鉄の規律で上の命令に従って書いていたのなら評価は簡単だが、

そうした強い規律もなく、比較的自由に書けそうな雰囲気の中で記者は活動しており、

そうだとすると、同盟通信などが書いた報道で国を誤った道に導いてしまったとすると

事態はより深刻ではないかとの問題提起をしている。

つまり、今と同じような環境で記者が仕事をしていて「国を誤った道に導いてしまった」とすると、

そこから考えなければならないのは実に多いという趣旨である。「教訓の宝庫」の抜粋。

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・同盟通信の存在は共同通信に入社して以来、ずっと気になっていた。

しかし、長年、「戦争に協力した事実上の国策通信社」といった程度のおおざっぱな知識しか

持ち合わせていなかった。

・同盟通信とは過去の異質な組織との印象が私にあった。

同盟が解散した時点でその存在は葬られ、その「遺伝子」は引き継がれず、

同盟のあり方への反省の上に共同通信、時事通信とも戦後の報道機関として歩んできたという理解だった。

・大屋のこの記録を読むと、共同通信の海外特派員の日常には、

同盟時代の遺伝子が受け継がれているように思えてしまう。

・かつて私が想像した同盟通信社特派員とは、国策にもっとも忠実で、

記者というよりはむしろ、大使館付諜報員というイメージが強かった。

同盟特派員らは、検閲への抵抗はあきらめていても、

ジャーナリストであるとの自意識は決して捨てていなかったように読める。

・大屋に象徴されるように、同盟の社風は意外なほどリベラルで、人材も多くが有能で多彩だった。

社内言論もかなり自由であった。上下関係もさほど厳しくない。

・過去と今とを重ね合わせた時、むしろそういうところに私はどきりとさせられる。

同盟通信がまったく異質な組織であったら、

「戦争協力した過去と今は違う」と言い切れるだろう。

しかし、同盟が今とさほどかわらないリベラルな記者や幹部がいた組織であったならば、

戦争とメディアをめぐる教訓は別のものになる。

今とそう変わっていない組織や記者が国を誤った道に導いてしまった意味を考えなければならない。

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