★年明け衆院総選挙がある前提で戦術構築-(植草一秀氏)

日本政治を変えるには国会の議席構成を変える必要がある。

「安倍政治を許さない!」

勢力が衆参両院の過半数を占有する状況を作り出す。

そして、安倍政権に代わる新しい政権を樹立し、政治を刷新する。

2009年の政権交代の実例を踏まえれば、決して不可能なことではない。

「安倍政治を許さない!」政治勢力の結集を図り、選挙に勝つことによってこの目標が実現する。

敵は日自公勢力の分断を図る。

そのために、人為的に「第三極」と彼らが勝手に命名した勢力を創作し、

マスメディアに全面的な支援を要請してきた。

その結果として、「橋下維新」と呼ばれる勢力が生み出された。

橋下氏は大阪都構想の住民投票で敗北して政治生命を失ったはずだが、

偏向した日本のマスメディアがこの勢力を全面支援しているために、いまだに消滅していない。

こうした、敵方の工作活動が展開されていることを前提に、戦術を構築してゆかねばならない。

その際に問題になるのは選挙の時期である。

参議院の通常選挙は議席定数の半分が3年ごとに入れ替わる。

3年ごとの選挙が確定しているが、衆議院の場合は、衆院解散があるから時期を読むことが難しい。

天皇の国事行為としての衆院解散を、内閣が恣意的に利用することは適正なことではないが、

内閣に衆院解散権があることが既成事実化されており、現に歴代首相が解散権を利用してきた。


日本経済は低迷し続け、本年7月の参院選では、1人区選挙において、野党共闘が大いなる力を発揮した。

民進党などは、自力では25議席しか獲得できなかったが、野党共闘のおかげで7議席も議席を上積みできた。

衆院選の選挙区選挙は小選挙区で行われる。

当選者が1人の選挙で、夏の参院選を踏まえれば、野党共闘が広がりを示すことは間違いないだろう。

参院選について言えば、安倍自民は2013年選挙と比べると、2016年選挙はかなり後退した。

つまり、安倍政治はすでに退潮現象を示しているのである。

本年7月10日の選挙を、衆参ダブル選にしなかった最大の理由は、安倍氏に自信がなかったことにある。

日本経済が急浮上する道筋は示されておらず、

2018年12月に任期満了を迎える衆議院の総選挙がいつ実施されるのかは不透明である。

野党勢力は「選挙はまだ先」モードに突入し、緩んだ空気が広がっている。

しかしながら、この状況が逆に要注意であると考えられる。

2016年末、あるいは2017年初の衆院選の可能性は消えていない。

最大の注視が必要なのがプーチンロシア大統領の訪日である。

プーチン大統領は12月に来日し、12月15日に山口県で安倍首相と会談を行う予定である。


この日ロ首脳会談で、日ロ平和条約締結の方向が固まれば、

安倍首相は、これを宣伝して衆院解散総選挙に突き進む可能性が高い。

安倍首相の頭の中を支配する三つのことがらとは、

自民党総裁任期の延長

TPP批准

憲法への緊急事態条項加憲

である。

TPPについては、秋の臨時国会での批准を目指していると見られる。

米国の大統領候補が反対し、万が一、米国が批准することがあるとすれば、

それは必ずTPPの内容修正後になると見られる。

したがって、日本が拙速にTPPを批准する必要性は皆無だ。

この段階でのTPP批准は、究極の「売国政策」ということになる。

だが、安倍氏はこれを目指して暴走を試みるだろう。

憲法改定の第一弾に取り上げられると予想されるのが

「緊急事態条項」加憲である。

安倍独裁政治を完成させるための「悪魔条項」である。

憲法改定の究極の目標が「緊急事態条項加憲」にあると考えられる。

だが、これには少し時間がかかる。

そして、自民党総裁任期延長問題がある。

安倍氏は2020年に首相でいることを最重要目標に位置づけていると見られるが、

これをすんなり実現するには、衆院の総選挙で勝利することが何よりの近道になるだろう。

こうした流れのなかで、12月15日のプーチン・安倍山口会談が浮上した。

実は日ロ平和条約締結の下地はすでに出来上がっていると考えられる。

1月総選挙シナリオを否定せずに、

「常在戦場」

「早期決戦ありうべし」

の前提を置き、迅速な対応を進める必要がある。


日本政府は1945年7月26日に発せられたポツダム宣言を8月14日、

日本政府は駐スイス及びスウェーデンの日本公使館経由で連合国側に通告。

8月15日に国民に発表された(玉音放送)。

そして、9月2日、東京湾内に停泊する米戦艦ミズーリの甲板で

日本政府全権の重光葵と大本営(日本軍)全権の梅津美治郎及び連合各国代表が、

宣言の条項の誠実な履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した。

戦争終結=日本敗戦の日付は1945年9月2日である。


ポツダム宣言第8項に次の記述が置かれた。

八、「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル
諸小島ニ局限セラルヘシ

この意味は、

8.カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに
我々の決定する諸小島に限られなければならない。

というものである。


ここに出てくる「カイロ宣言」とは、

第二次世界大戦中の1943年に開かれたカイロ会談(Cairo Conference)を経て示された宣言のことである。

連合国の対日方針などが定められた。

このなかで、敗戦後の日本の領土について、次のように記述された。

「同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ
又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ
日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ」

このなかの、

「満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコト」

との記述が、中国が尖閣諸島の領有権を主張する一つの根拠となっている。

話を日ロの関係に戻す。

日本の国際社会への復帰、見かけ上の独立回復の契機となったサンフランシスコ平和条約で

日本は千島列島の領有権を放棄している。

サンフランシスコ平和条約は

日本と連合国との戦争の終結、日本の主権の回復、千島と南樺太の放棄、

沖縄や小笠原諸島をアメリカの信託統治に置くことなどを定めたがソ連などは署名しなかった

サンフランシスコ条約2条C項は、

「日本国は、千島列島並びに日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した
樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」

としている。

北方4島のうち、国後、択捉については、

「サンフランシスコ条約2条C項で日本が放棄した千島列島に含まれる」

というのが、日本政府の判断であった。


1956年10月に、鳩山一郎首相がソ連を訪れ、「日ソ共同宣言」が採択されて国交回復が実現した。

このなかで、歯舞諸島、色丹島が平和条約締結後に日本に引き渡されることが合意された。

平和条約の締結、そして、2島の引き渡しは現実味を帯びたが、ここに米国の横やりが入った。

日ソの友好関係構築を嫌う米国が平和条約締結阻止に動いたのだ。

日ソ交渉が断続的に行われている最中の1956年8月、

ダレス米国務長官が日本の重光葵外務大臣と会談し、

日本が2島引き渡しで日ソ平和条約締結に進むなら、沖縄を永久に返還しないと言い渡したと言われている。

「ダレスの恫喝」と呼ばれている。

これを背景に日本の対ソ交渉の主張が転換する。

「サンフランシスコ条約2条C項で日本が放棄した千島列島は国後、択捉を含まない」

という新主張である。

「北方四島は日本固有の領土」

の主張が広がる。

当然のことながら、日ソの交渉は完全に噛み合わなくなる。

米国の悪辣な手法がくっきりと浮かび上がる。


歴史の経緯が丹念に掘り起こされ、

『戦後史の正体』

が明らかにされて、このような問題が次第に明らかにされてきた。

この「歴史事実」に照らせば、日ソ平和条約締結が可能な状況が生まれている。

プーチン大統領はこの問題を決着する意向を有しているとも見られている。

とりわけ重要なことは、原油価格急落でロシア経済が極めて厳しい状況に置かれていることだ。

2島引き渡しと引き換えに日本から巨大な経済援助を獲得するのなら、ロシアとしても乗れない話ではなくなる。

こうした状況を踏まえると、12月の首脳会談で平和条約締結への道筋が提示される可能性はある。

この場合、安倍氏は衆院選挙の選択をするだろう。

「年明け総選挙の可能性はある」

前提で、今後の戦術を構築する必要がある。

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