★日本の民主主義を前進させる「天皇のお言葉」を捻じ曲げようとする政治家たちー(田中良紹氏)

日本の民主主義を間違いなく前進させると思う「天皇のお言葉」を捻じ曲げようとする勢力が

与野党の中に存在する。

その勢力は「天皇のお言葉」に「速やかに応える」ため「時間のかかる」皇室典範の改正には手を付けず、

特別立法による一代限りの生前退位を実現させようとしている。

この勢力をフーテンは「民主主義の敵」と考える。

天皇のビデオメッセージを何度見直しても、天皇が願っているのは一代限りの生前退位ではない。

常に国民に寄り添い国民の安寧と幸せを祈る「象徴天皇制」が安定的に継続していくことを願っている。

それは明治からの天皇の在り方を根本的に見直し、

古代から日本の歴史に刻み込まれてきた「天皇の道」を今一度振り返ることで、

「象徴天皇制」を未来につなげようとする願いである。

そしてそれは日本の民主主義を前進させることはあっても決して後退させるものではない。

「お言葉」の直後ブログに書いたが、イギリスのジョージ5世は議会の貴族院と庶民院が対立した時、

庶民院の側に立つことを宣言し、それが貴族院に決定権を失わせ、

イギリス議会は初めて本格的な民主主義の議会となった。100年ほど前の話である。

明治以来の天皇は現人神として絶対君主のように思われたが、

実のところは薩長藩閥の官僚支配に政治利用されてきた存在である。

日本民主主義の源流となる自由民権運動は国会の開設を要求し、

第一回の選挙で選ばれた衆議院議員が官僚政府の予算案を否決するが、

政府は天皇の大権を理由に否決を拒み、議員の切り崩しを図って強引に予算を成立させた。

「東洋のルソー」と呼ばれた思想家中江兆民はこれに怒り、衆議院議員の職を辞すが、

天皇を支配の道具に利用した官僚政府は徹底して民主主義の勃興を弾圧、

それが自由民権運動家を急進的な運動に追い込む。

兆民の弟子である幸徳秋水は無政府主義者となり、

明治天皇暗殺の容疑をかけられて死刑となるが、事件には官僚政府による捏造の疑いがあった。

明治天皇は日清戦争にも日露戦争にも反対したが、官僚たちはその声を聞かず、

昭和になると今度は軍部が天皇を政治利用する。

こうして戦前の天皇は官僚と軍部による民主主義抑圧の強権政治に利用され続けた。

しかし古代から続く天皇制の本質は大和言葉で「うしはく」と表現される強権政治にあるのではない。

むしろ国民に知らしめ、国民とともに判断する「しらす」の政治にあることを

フーテンは片山杜秀著『失われたファシズム』(新潮選書)で知った。

『古事記』では、大国主神らが領土領民を力で支配する「うしはく」の政治を行っていたが、

天照大神はみんなで情報を共有し、みんなで協力しながら国づくりをする「しらす」の政治を掲げて

国譲りを迫る。大国主神は納得して国を譲り、以来、天皇制の本質は「しらす」になった。

こうして外国が力による政治を行うのに対し、日本ははるか昔から君民一体の政治を行い、

その体制を変えないために万世一系の伝統的権威を中心に据える思想が生み出された。

力による変化を避けるためである。

ところが徳川幕府を倒すために尊王を掲げた薩長は力で幕府を倒し、力で日本近代化を推し進め、

天皇を現人神と国民に信じ込ませるパフォーマンスで、伝統とは逆の「うしはく」を行う。

それなのに「しらす」で西洋の覇道に勝てると妄想し自滅したのである。

今上天皇がビデオメッセージで国民に語り掛けられたのはまさしく「しらす」のやり方である。

天皇は国民に自らの考えを知らせ、国民の判断を仰ぎながら道を探している。

「しらす」に戻ることが「象徴天皇制」を末永く続ける道だと考え、

明治政府が政治利用のために作り上げた皇室典範を改正することを願っている。

アメリカ政治を10年余見続け、その関連でイギリス議会にも触れたことのあるフーテンは、

日本国内で語られる民主主義に違和感を感ずることがしばしばある。

例えば「民主主義は多数決」と言う人を見ると「正気なのか」と反論したくなる。

多数決で決まった結論は一つの目安に過ぎず、決して正しい結論というわけではない。

むしろ少数意見を尊重し可能な限りその内容を取り入れるのが民主主義で、

選挙で国民の多数から支持された政策でも、それをよりよくするために修正を行うのが議会の務めである。

国会は「国権の最高機関」と言われるが、

しかし国民は国会における多数党の横暴に目を光らせなければならない。

イギリスにはBBC,日本にはHNKという公共放送があるが、放送の質がまるで異なる。

BBCは政権批判を徹底してやるが、NHKはこれまで一度も政権批判をしたことがない。

それは放送免許を総務省からもらい、予算を国会で承認されなければ執行できない仕組みがあるからである。

国会がいわばNHKの株主総会に当たり、多数党は大株主と言うことになる。

大株主に逆らえる企業がないようにNHKは常に与党の言いなりにならざるを得ない。

BBCはなぜ政権批判ができるのか。それは王室から免許を貰っているからである。

そのため政治の干渉から守られ、国民の側に立つ放送が可能である。

日本には天皇制と民主主義を対立的に捉える人もいるが、しかし欧州には立憲君主国が多く、

それらの国はみな日本より数倍も民主的である。

天皇制と民主主義は調和が可能であり、むしろ政治の横暴から国民を守ることもできる。

フーテンは「天皇のお言葉」を聞いて、

国民に寄り添うことを末永く安定的に継続していく天皇の強い意志を感じ、

そのためには明治政府が「しらす」を天皇制の本質と認めながら、

政治利用によって「うしはく」を推し進める結果になった旧皇室典範からの脱却が必要だと考えた。

ところが先日、与野党の立場を問わず政治家や憲法学者らが「時間がない」ことを理由に、

「まずは一代限りの生前退位」という議論をしているテレビ番組を見た。

どうやら政治の世界は落としどころとして特別立法でお茶を濁すつもりでいるようだ。

中には皇室典範の改正をするにしても、

肝心な部分は特別立法で定めることにすればよいという悪辣な意見もあった。

日本の近代には伝統を破壊し天皇を政治利用してきた苦い歴史がある。

その歴史と決別し本来の伝統を取り戻していかないと、

日本は国際社会から尊敬されなくなるとフーテンは思う。

そのことを天皇は国民に語り掛けられたのではないか。

天皇が示されたタイムリミットは平成30年、

2年間の時間的余裕があるのに特別立法でお茶を濁そうとする輩は「民主主義の敵」だと

フーテンは断ずることにする。

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