★利権第一・政治利用第一の五輪はいらないー(植草一秀氏)

リオデジャネイロで開催されたオリンピックが幕を閉じた。

閉会式には小池百合子東京都知事、安倍晋三首相が競うように登場した。

しかし、こんな姿を喜んだ主権者は多くない。

アスリートが切磋琢磨してスポーツに打ち込むことは素晴らしいことだが、

そのアスリートを取り巻くすべてのものが醜悪である。

結局、巨大な利権に企業も人間も群がり、政治屋はオリンピックを政治利用する。

スポーツマンシップは利権と打算によって薄汚れたものにされてしまう面が強い。

このオリンピックについて、NHKが仰天解説した。

さすがは『日刊ゲンダイ』

8月22日付本紙で早速この問題を取り上げた。

「五輪メリットは「国威発揚」 NHKが憲章と真逆の仰天解説」

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/188253/1

「ビックリ仰天した視聴者も多かっただろう。21日のNHKの番組「おはよう日本」。

オリンピックを扱ったコーナーで、「五輪開催5つのメリット」としてナント!

 「国威発揚」を挙げていたからだ。」

「おはよう日本」に登場した刈谷富士雄解説委員は、

「何のためにオリンピックを開くのか。

その国、都市にとって何のメリットがあるのか」

と投げ掛け、五輪のメリットとして真っ先に

「国威発揚」

を示したのである。


『日刊ゲンダイ』が指摘するように、

この見解は、オリンピック精神の根本原則を示す「オリンピック憲章」の考え方の真逆のものである。

ゲンダイはこう記す。

「JOC(日本オリンピック委員会)のホームページでも「オリンピズムってなんだろう」と題したコーナーで、

こう記している。

〈『人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会を奨励する』というオリンピック憲章の精神は、

戦争や独裁政治、国威発揚とは相いれない〉」

JOCの「オリンピズムってなんだろう」と題したコーナーは、こう記述している。

http://www.joc.or.jp/olympism/education/20090201.html

「(オリンピック憲章の)第1章では、オリンピック競技大会についてさらにこんなことが書いてあるよ。

オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。

Q.それってどういうこと?

A.つまり、オリンピックは国同士の競争ではなくて、その競技に出場する選手やチーム同士の競争です、
と定めているんだ。

Q.でも、表彰式では勝った選手の国の国旗をかかげたり、国歌を演奏したりしているよ。

A.それは、メダルを獲得した選手たちをたたえるための、ひとつの方法としてやっているんだ。

お父さんも含めて、みんなはメダルの数を国別で数えたりして、
ついついオリンピックを国同士の競争のように見てしまいがちだろう? 

でも、オリンピックで勝利をおさめた栄誉は、あくまでも選手たちのものだとオリンピック憲章では定めていて、
国別のメダルランキング表の作成を禁じているんだよ。


ゲンダイはこれらの事実を踏まえて、こう記す。

「オリンピックを国威発揚の場にしたのがナチス・ドイツだ。

聖火リレーの導入やサーチライトを使った光の演出など、

ヒトラーは権力を世界に見せつけるため、徹底的に政治利用した。

その反省から生まれたのが、オリンピック精神の根本原則を示した「オリンピック憲章」だ。」

NHKの刈谷富士雄解説委員はオリンピック憲章が定めるオリンピックの意義の真逆の方向で

オリンピックを捉えて、なんと「国威発揚」をオリンピックの第一の意義として解説したのだ。

さすがは「あべさまのNHK」だけのことはある。

表彰式で君が代が流れると、日本選手が君が代を斉唱していたが、7月3日の結団式で森喜朗氏が、

「どうしてみんなそろって国歌を歌わないのでしょうか。

国歌も歌えないような選手は日本の代表ではない。私はそう申し上げたい」

と発言した場面が重なり、極めて嫌味のあるものになってしまった。

結団式では「国家独唱」だから参加選手は「独唱」を聴いていたわけだが、

森氏としては、やはり「国威発揚」のオリンピックに出場するのだから君が代を歌えということだったのだろう。

スポーツは良いものだし、スポーツマンシップも良いものだが、こうしたスポーツを金銭利用したり、

政治利用する周辺の行動は不快以外のなにものでもない。

政治利用、金銭利用のオリンピックなら、東京で開催する必要などまったくない。


安倍晋三氏もゴルフ三昧の夏休みで勉強不足であるだろう。

わざわざ地球の裏側まで行って、民間業者の商品を宣伝演出する必要もないと、

多くの主権者が感じているだろう。

社会保障制度に対する支出だけは容赦なく切り刻む。

要介護2以下の被介護者に対する補助が冷酷に打ち切られる。

その一方で、五輪に巨大な国費を投入するのは、優先順位を間違えている。

政府は何のために存在するのか、という根源的な問題への姿勢が問われているのだ。

安倍政治は

「戦争推進」



「弱肉強食奨励」

だ。


所得がゼロの国民からも税率8%で税金をむしり取り、それを五輪や、軍事費や、米軍基地建設に投入する。

庶民には大増税だが、大企業には減税に次ぐ減税を振る舞っている。

本当は祭りもイベントもいらない。

そんなお金があるなら、所得保障と、医療と介護と年金に回すべきだ。

能力に応じて課税し、調達した税金で社会保障を賄う。

それ以外には、最低限の国防と、警察と外交だけをやればいいのだ。

「小さな政府」という言葉があるが、

「無駄を省く」

という意味での「小さな政府」は良いことだ。


しかし、政府がやるべきことはやる。

それが政府だ。

政府がやるべきことは、

「最低水準の保証」

である。

「最低水準の保証」

を実現するには、

「能力に応じた負担」

を求めなければならない。

消費税ではなく、総合課税による累進税性による所得課税が基本になる。

この財源で、

所得保障、医療、介護、年金を行う。

所得保障、医療、介護、年金を切るのではなく、

これらを拡充するのだ。


これらに大きな財源が必要なら、それ以外の支出は全面的にやめるべきだ。

イベントも祭りも、必要不可欠なものではない。

それこそ、

「自助」

でやればいい。

民間企業がスポンサーになってやればいいのだ。


財務省は「財政危機」を叫ぶが、「真っ赤なウソ」である。

財務省は、利権にならない財政支出を切りたいだけなのだ。

利権にならない財政支出とは、

社会保障支出のことだ。

社会保障支出を切って、

政治利権

官僚利権

になる政府支出だけを拡大している。

本当に財政危機で、財政再建なら、天下り機関を全部廃止するべきだろう。

同時に、天下りを全部廃止するべきだろう。

財務省がそのような行動を示したことは一度もない。


そして、安倍政権はオリンピックを政治利用するのをやめるべきだ。

NHKも安倍政権も、オリンピック憲章を読み直して、メダルの数の競争をやめるべきだ。

誰が勝ってもいい。

敵も味方もない。

財政支出とメダルの数をリンクさせるのをやめるべきだ。

世界の国々は、そのような低次元の行動をやめつつある。

だから日本のメダルが増えたことにも気付かない。

メダルの数を競うより、オリンピックの精神を一から学び直すのが先決である。

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