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20th Aug 2016 from TwitLonger

長信銀についての簡単な説明


■長信銀の生存メカニズム


興銀・長銀は、
どのような特殊銀行であるかを述べて おこう。

52年に長信銀法が成立した。

業務の内容は竹俣構想に似ている。

当初は興銀・長銀の2行だったが、
57年に日本債券信用銀行(日債銀)が加わり3行にな った。

興銀は日債銀の設立に協力し、
20名近い行員を日債銀に出向させた。

後に日債銀の頭取になり(198 2∼87年)、
豪腕を振るった頴川史郎は興銀出身だ。

興銀は、当時日債銀を
系列金融機関の1つだと考えていた ようだ。

長信銀は金融債を発行し、
設備資金を供給する銀行だ った。

金融債には利付債と割引債の2種類があり、
中心 は5年満期の利付債だった。

長信銀が発足と同時に目覚 ましい成長を遂げたのは、
この金融債を発行する特権を 持ち、
長期の設備資金を融資する専門銀行だったからだ。

それは戦前の興銀そっくりの特殊銀行であり、
戦前の 興銀が国家政策に協力して
軍需産業への融資を拡大して 発展したと同じように、
長信銀は重要産業の育成と
その 国際競争力の強化という国家政策に協力して、
融資を伸 ばし急成長した。

当時、日本経済は高成長期だったから
企業の設備投資 意欲が強く、資金需要が旺盛だったが、
国民の所得が低 く、貯蓄が少なかったので、
実勢金利は高かった。

長信 銀の貸付金利は実勢金利よりも相当低かったから、
借り 入れを希望する企業が殺到した。

石炭、電力、鉄鋼、海 運等の重要産業の大企業を中心に
長期貸し付けが飛躍的 に伸びた。

https://www.vmi.co.jp/info/bestvalue/pdf/bv18/bv18_12.pdf

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