★税務署長と地元有力者の納税癒着をバラシタ高橋洋一→(天木直人氏)

高橋洋一というわけのわからない経済評論家がいる。

 高橋洋一という人物がわけがわからないのではない。

 高橋洋一は元大蔵(財務)官僚であり、現在は嘉悦大学の教授をしている身元のはっきりしている人物だ。

 わけがわからないと言うのは、彼の立ち位置だ。

 財務省を批判して飛び出し、江田憲司などと脱藩官僚を名乗って政府批判をしているかと思えば、

竹中平蔵などと意気投合し、あるいは内閣参事官になったりして権力に媚びを売る。

 どっちなんだ。

 その事を私は直接本人にぶつけた事があったが、その答えがまた、わけのわから曖昧なものだった。

 その高橋洋一がきのう8月19日号の夕刊フジのみずからの連載コラム「『日本』の解き方」で書いていた。

 日銀レポートが内閣府のGDP統計について疑問を呈し、内閣府が反論したらしいと。

 そして日銀のレポートは、「消費増税をしても景気への影響は軽微だ」などと、

政府(財務官僚)の御用学者が泣いて泣いて喜ぶようなものだと、日銀を批判している。

 この発言は、高橋洋一のダブルスタンダードの反権力の顔が表にでているようだ。

 しかし、私がこのメルマガで言いたい事はその事ではない。

 彼は書いている。

 GDPの試算のポイントの一つは税収統計であると。

 しかし、これまでも税務統計とGDPには乖離があったと。

 納税者がどの程度、真面目に申告するかどうかで税収が変わって来るからだと。

 そして、GDPの算出は、支出面と分配面の双方から算出でき、

支出面から試算する内閣府のGDPと、分配面から試算する日銀のGDPは、

本来は同じであるべきだが、分配面の試算では税収統計が使われるので異なることがある。

 論争になっている2014年度は、消費増税など税の話題が多かったため、納税者がよりまともな申告をした。

 だから日銀のGDP数値は内閣府の数値より大きくなるのだと。

 私は注目したのは、このようにGDP統計の違いを述べ、

日銀と内閣府のGDPの違いを解説したあとで、

高橋が自ら地方の税務署長をした時の体験を次のようにあからさまに書いていたところだ。

 「・・・その時(高橋氏が税務署長になった時)、

地方の有力者から『若い署長さんが来たので、ご祝儀に今年は税金を払います』と言われた。

実際、その年の確定申告では、近隣の類似の税務署と比べても筆者の税務署の税収は多かった。

後でわかったことだが、本省キャリアの署長は若いので、

しばしば前例のない税務調査を行ったりするため、『ご祝儀』ではなく、

『むちゃなことをするな』という地元有力者の本意だったのだ。

いずれにせよ、納税者のスタンス如何で税収が左右されるのかと思った・・・」

 ここで高橋氏が書いていることは、まさしく財務官僚と地元有力者が癒着しているということだ。

 自らのスタンスで納税額をごまかせる者はいい。

 そして納税額をごまかしても、この地元有力者のように、お目こぼししてもらえる者はいい。

 しかし、大多数の国民は、びた一文、申告を容赦してもらえないのだ。

 税務署は一般国民には決してお目こぼししない。

 この国の最大の問題は、国民の間で不平等がまかり通っていることだ。

 しかも納税という国民生活の基本的なところにおいて、不平等がまかり通ていることだ。

 この高橋洋一の軽率な告白を、メディアは取り上げなければいけない。

 納税に対する不公平、不正義こそ、市民革命の引き金である事は、歴史が示すところだ。

 メディアはこの国の不正義、不公平な納税の現実を国民に知らせなければいけない。

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