★靖国参拝に見る「姫君」と「下女」の役割分担ー(田中良紹氏)

戦後71年目の終戦記念日、安倍内閣で靖国神社を参拝したのは

高市早苗、丸川珠代の女性2閣僚であった。

萩生田官房副長官は衆議院議員の肩書で参拝したが、

2人はいずれも大臣の肩書を記帳して参拝した。

そして例年参拝を続けてきた稲田朋美防衛大臣は公務出張を理由に参拝を見送った。

フーテンが組閣人事の際に予想した通り、

安倍内閣における女性閣僚は靖国参拝をアピールする役割を負わされている。

そしてそこには「姫君」と「下女」との役割分担があり、

将来を嘱望される「姫君」は主君アメリカへの配慮から参拝を見送るが、

代わりに「下女」が参拝することで露払いの役割を演じている。

安倍総理本人は第一次政権で中国に対する配慮から参拝を見送り、

第二次政権になって13年12月にようやく念願の参拝を果たしたが、

主君アメリカから「失望」を表明され、そこから一転してアメリカの「調教」に甘んずるようになった。

日本人の多くは靖国問題を中国、韓国との関係だけで捉えるが、

同盟国アメリカも主要閣僚の靖国参拝を望ましくないと考えている。

そのため安倍総理は後継者に選んだ「姫君」を参拝させない仕組みに取り込み、

一方で右派勢力の批判をかわすため「下女」に防波堤の役割を負わせた。

だから改造人事は靖国参拝が女性閣僚起用の条件だったのである。

それにしても靖国参拝をこれほどまでにセンシティブにさせたのは

1985年8月15日の中曽根総理による公式参拝である。

それまで歴代総理は靖国参拝を恒例にしてきたが、どこからも批判の声は上がらず、

A級戦犯合祀が公表された後でも大平、鈴木、中曽根と三代にわたり総理は参拝を続けてきた。

ところが85年の終戦記念日に中曽根総理は公用車を使用し、内閣総理大臣の肩書を記帳し、

玉串料を公費から支出する公式参拝に踏み切る。

しかも後継と目される竹下、安倍の両大臣を左右に従えての堂々たる参拝であった。

これに中国共産党が初めて非難の声をあげ、中曽根総理は翌年から靖国参拝を取りやめた。

以来、小泉総理が参拝するまで靖国参拝はタブー視され、

とりわけ公式参拝はその後一度も行われることがない。

85年の8月15日にフーテンは竹下大蔵大臣の河口湖の別荘に呼ばれていた。

その日、竹下氏は「みんなで靖国神社を参拝する国会議員の会」の会長として午前中に参拝を済ませていた。

ところが中曽根総理の要望で午後に再び靖国神社を参拝させられたのである。

夕刻、別荘に到着した竹下氏にフーテンが「1日に2回も参拝するのはおかしくないですか?」と質問すると、

竹下氏は「マ・ン・ガだ!」と嫌な顔をし、そのまま黙り込んだ。

中曽根総理の公式参拝は竹下氏にとって不愉快な出来事だったと感じ、それ以上の質問は憚れた。

総理大臣の靖国参拝を復活させたのは小泉純一郎氏だが、

小泉氏はそれまで靖国神社に参拝したことなど全くなく、

ただ圧倒的に優勢とみられる橋本龍太郎氏に対抗して自民党総裁選に立候補したことから、

自民党総裁に当選すれば必ず靖国参拝を行うと公約して遺族会の票の獲得を狙った。

選挙公約であるから総理在任中の小泉氏は靖国神社を参拝し続けた。

しかし中曽根氏のように公式参拝を行ったことは一度もない。

アメリカも小泉氏が右翼思想の持ち主でないことを知っているので大目に見たが、

中国と韓国はそうはいかなかった。そのため対日関係はぎくしゃくし続けた。

第一次安倍政権はそのぎくしゃくからの脱却が最優先課題となり靖国参拝は見送られた。

それは安倍総理周辺の右派勢力を落胆させる。

そのため第二次政権の安倍総理は靖国参拝を必ず実行しなければならない立場にあった。

ところが小泉総理と異なり安倍総理の右翼思想を警戒するアメリカは安倍総理の靖国参拝を強くけん制する。

来日した米国務長官と米国防長官はわざわざ千鳥ヶ淵の戦没者墓苑を訪れて献花し、

アメリカ政府の意思を見せつけて安倍総理に靖国参拝をしないよう促した。

それでも安倍総理が靖国参拝を強行するとアメリカ政府は異例ともいえる「失望」の表明を行う。

その時の経験から参拝を断念した安倍総理は、自分と最も思想的に近い稲田氏にそれを真似させたのである。

安倍総理が長期政権を狙うのであれば、そうやってアメリカに迎合し、

国内の右派勢力を逆に「調教」する必要がある。

かつて森元総理が「視野の狭い右翼思想の持主」と看做した安倍総理は、

今や靖国参拝をアピールする女性閣僚と参拝させない女性閣僚を手のひらに乗せ操る術を

身に着けるところまできた。

しかし問題はそのような小手先の政治術だけでは済まないところにあるとフーテンは考える。

8月8日に天皇は「お言葉」を発し明治以来の皇室典範の改正を求めていることが分かった。

また靖国神社でも戊辰戦争の官軍の戦死者だけを祀る神社として創建されたことに

徳川家末裔の宮司から異論が出されている。

いずれも明治維新時の歴史観をそのままにして良いのかという問題提起である。

昨年は戦後70年という節目のため先の大戦や平和憲法を巡る議論に注目が集まったが、

今年からはそのレンジをさらに延ばし、明治維新以来の日本の歴史を再検証して

近代日本の戦争と平和を、天皇制や靖国問題を切り口に考えるべき時にきていると思う。

これは単に政権の座にあるものに求められた課題ではない。

野党もそして国民も明治維新から始まる近代日本の姿を今一度見直す必要があることを理解すべきである。

「維新後レジーム」を見直す中で「戦後レジーム」からの脱却、

すなわち属国体制からの脱却を考える時なのだと思う。

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