選挙の総括と都知事選について思うこと


(1)選挙における「総括」の必要性について

選挙は、ボランティアを含めた多くの人とお金と時間をかけてやるものであり、この国が民主主義システムをとっている限り、国政レベル~自治体レベルまで、継続的に行われるものです。私は、選挙結果を次につなげるためにも選挙が終わった段階で、きちんとした総括が行われるべきだと思っています。

また、次に繋げるという意味で、選挙戦の総括は、勝ち負けに関わらず、必ず行われるべきだと思いますが、特に選挙に負けた時には、次に同じ失敗を繰り返さない、選挙に貢献してくれた多くボランティア・一票を候補者に投じてくれた有権者の納得を得て次に繋げるという意味でも、総括は必ず行われるべきだと思います。

総括は、選挙に携わった個人や組織レベルでも独自に行えば良いと思いますが、個人や組織は、それなりにしか選挙に関われない訳ですから、総括もそれなりのものにしかなり得ません。
もちろん、それを頭ごなしに否定するのは、おかしいと思いますし、個人や組織レベルでの総括も、尊重されるべきだと思いますが、多くの人とお金と時間をかけて戦う選挙だからこそ、選挙に関して責任がある選挙対策本部が、選挙に携わった個人や組織の意見を踏まえ最終的に総括を行い、外部に対して公表すべきだと思います。


(2)選挙の総括に必要と思われることと、今まで行われてきた選挙総括に対する評価

選挙の総括を行う際に必要なこととしては、
① 選対本部が、全ての活動に対して評価が出来るよう、事前準備から事後の対応まで携わった様々な人から、出来る限り意見を聞く
② 次に生かすことが目的なので、「改善」を意識し、批判的な意見をネグレクトしないというスタンスを徹底する
ことだと思います。

私は、今まで10回以上の選挙を手伝ってきましたが、残念ながら、選挙の総括というものが、納得する形で行われたことは、一度もありませんでした。(もしかすると、私が知らないところで公表されていて、見落としている可能性もありますので、その場合には、ご容赦下さい。)

その原因の1つは、選挙に立候補が決まった段階では、すでに選挙対策本部が立ち上がっており、選挙戦の手伝いをする場合に、ほとんどボランティアという立場での参加になるため、総括に参加する状況にはなりえないということです。
ただし、出来るだけ現場の状況を把握し、早めに改善するために、よっぽどのことがない限り、最初から最後まで現場に着くようにし、現場にいる責任者や選対本部の人間に現場の改善策をフィードバックするようにしています。それによって、仮に総括が行われた場合に、反省点として反映してもらうことを期待していますが、選対本部から出された選挙総括の中で、反映されていると感じたことは今までにないというのが率直な感想です。
一度だけ、選対の中心のメンバーの方にお声がけをいただき、総括会議に参加させていただいたことがあり、選対本部長を務められた国会議員の方に対して、直接、現場サイドで起きた問題点などをフィードバックしたことがありますが、その際に、現場では知りえなかった、選対本部の内幕を教えてもらい、はじめて納得したということがありました。

原因の2つ目ですが、批判的な意見が出た場合には、その批判の原因を明らかにすることによって、選対本部内部での責任の所在を明確にする必要が出てくるために、選対内での人間関係を悪くしないために意識的に批判的な意見をネグレクトする傾向があるということです。
現場サイドで起きる問題でも、選対本部に問題があることがよくありますが、この時に、選対本部の責任を回避する傾向が見られます。
とくに、選挙で負けた際に総括を行う場合には、選挙で負けて心理的にダメージがある中で、さらに、責任追及する形になるので、人間関係に影響が出ることを避けたいという心理が働き、責任追及を避ける傾向になると思います。ただし、これではきちんとした総括を行うことが出来ないだけでなく、問題の所在すらうやむやになり、次の選挙に向けての改善に結びつけることが出来ません。
これは、総括の本来的な目的に反しています。
このような形で行われた総括が既成事実化すれば、問題がうやむやになるだけでなく、当事者として批判的な意見を述べた人の選対への不信感に結びつきますので、中途半端な総括でよしとするのであれば、総括自体をやらない方がまだよいと思います。
例え、負けた選挙であっても、次の選挙に向けての改善に結びつけるという本来の目的に沿う形で、前向きに総括が行われることが望まれます。


(3)今回の都知事選についての所感

今回の都知事選は、鳥越候補の現場ボランティアとして、7月17日の町田、7月30日の町田、中野、池袋、新宿駅西口以外はすべての街宣現場に参加しました。
現場レベルでしか選挙活動を見ていませんでしたので、選対本部の中の状況(組織の役割分担や戦略)も最後までよくわからないままでしたが、以下に所感という形で、選挙戦の感想をまとめます。

① 全体を通しての感想「最後まで勝てる選挙になっていなかった」
全体を通しての感想としては、「最後まで勝てる選挙になっていなかった」と言うことです。
選挙戦の前半は、まだ、組織体制が整っていないこともあり、様々な問題が噴出することがよくありますが、組織体制が整うに連れて、問題が改善していくケースがよくあります。今回の選挙においては、街宣スケジュールの改善、街宣現場の改善、候補者教育、スピーチ内容など、最終週まで問題が残り、勝てる選挙になっていなかったというのが印象です。
これは、立候補までの準備期間が短かったということが原因としては大きいのではないかと思いますが、その他にも選対本部内に原因があったのではないかと私は思っています。選対が機能していれば、もう少しまともに選挙を戦えたのではないかと思います。

有権者が今回の都知事選挙をどのように捉え、どのような基準で候補者を選択するのかという基本的な評価が事前に行われず、「野党統一候補」という運動側の事情で、結果として不透明と言われても仕方がないプロセスの中で選ばれた候補を、政策がよく煮詰められてない状況で立候補させたのは、まさにプロダクトアウトであり、有権者にとってはどうでも良いこと、むしろスタート時点でマイナス条件の中での立候補だったかもしれません。
鳥越候補を候補者として擁立したからには、選対本部が責任を持って、選挙戦を戦い抜くために勝つための組織を作り、候補者としての意識を持って選挙戦を最後まで戦い抜けるように戦略を練り、それを有権者へのアピールの場である街宣現場やSNSなどのコミュニケーションツールに反映し、選挙に携わる全てのスタッフにも意識付けをする。それではじめて候補者が選挙に戦える状況が整うと思います。残念ながら、鳥越さんの擁立後に戦略的にそういうことが行われているとは、全くと言っていいほど感じられなかったというのが率直な感想です。

② 選対本部についての感想
選対本部の中にいただけではありませんので、選対がどのようになっていたかはっきりわかっているわけではありませんが、選挙期間中に選対についていくつか疑問を感じることがありました。
これは最初から最後まで一貫して感じていたことですが、
・選対本部で誰が責任者なのか?(選対本部長が誰なのか?)
・遊説日程・場所決定、演説内容、広報などを誰がどのようにして決めているのか?
・現場の責任者は誰なのか?
について、最後までよくわかりませんでした。
たかだか現場レベルのボランティアでしかありませんでしたので、知る由もなく、また、知らなくて良いことなのかもしれませんが、選対本部のそばにいながら、意思決定者が誰だかよくわからない状況が最後まで続いたと言うことは、選対内でも指揮系統がはっきりしていなかったのかもしれないと思っています。
街宣現場においては、共産党がメインで仕切っている街宣現場では、民進党が積極的にサポートしている印象が感じられず、逆に民進党の仕切りの現場では、共産党が積極的にサポートをしている印象が感じられませんでした。
また、選対本部には、各政党ごとのスペースがありましたが、夜遅くまで、政党の担当者が詰め、全体で情報を共有しながら、勝つための話し合いを行って、戦術をブラッシュアップしているという印象は受けませんでした。
「野党共闘」で闘う選挙の現場に入ったのは、今回はじめてでしたが、最初からこの選対で大丈夫なのかな?と思った印象は、残念ながら、最後まで拭うことが出来ませんでした。

「候補者を勝たせるための選対になっていない」こんな体制で勝てる程選挙は甘くないと私は思います。

③ 市民団体と選対本部の関わり方
私の印象ですが、今回は、市民レベルは選対の外でのサポートという位置づけだったのではないかと思っています。
新橋のゆりかもめ口の街宣など、ここの現場は「総がかり行動」の主催なのかな?くらいで、「市民連合」が選対の中に入って、選挙対策に関わっていたという印象はありませんでした。
SEALDsに関しても、SEALDsとして選対の中に入っているというわけではなく、個々のメンバーがそれぞれの意思で手伝っていたという印象です。選挙戦初日にSEALDsのメンバーがスピーチしましたが、これは、当日、現場にたまたま当人が来ていて、選対から急遽お願いされて行われたようです。(当人談)
また、最終週になって選対事務所でオープンで開かれた対策会議は、SEALDsのメンバーの一人が呼びかけて開催されたものでしたが、選対に頼らずにボランティアレベルで何が出来るかを話し合う目的で開催されたものでした。そこに、初日に選対に頼まれてスピーチをしたSEALDsのメンバーも同席していましたが、ミーティングを主催したメンバーから、人手がなくて回らないから手伝って欲しいという要請があり、前日くらいから手伝いに入っていたということでした。
参院選からの流れでSEALDsの主要メンバーが鳥越さんの応援をしていたようですが、あくまで、個人レベルの参加で、個々の関与の仕方もバラバラだったというのが実態だったと思います。
今回の選挙は、北海道5区の補選で池田まきさんが立候補した時のように市民団体が活動の中心を担っているのではなく、政党の選対本部とは別に市民団体や勝手連が存在し、選対本部とはある程度距離を置きながら活動していたというのが実態だったのではないかと思います。

選対本部と市民団体とのがどのようになっていたかはあくまで私の推測ですので、実態と合っていない可能性があります。もし、実態をご存知の方がいらしたら、訂正をお願いします。

④ 野党共闘に対する評価
私は、無党派候補を全野党が応援するという形の「野党共闘」を全否定はしません。ただし、野党共闘はあくまで、選挙を闘う上での手段の1つに過ぎず、野党共闘したからといって、選挙に勝てるというものではないと思っています。
これは、参議院選挙の結果からもある程度明らかになっていたことですが、今回の都知事選における「無党派」を取り込んだ小池候補の圧勝、鳥越候補の敗北の結果を見れば、明確になったのではなかと思います。
野党共闘は、あくまで選挙に勝つための1つの手段であり、選挙にプラスに働かないと判断される場合には、野党共闘にこだわるべきではありませんし、野党共闘という大きな枠組みの中で、他の戦術が疎かになるのは愚の骨頂だと思います。
また、現在の野党共闘のやり方は、あくまで運動サイドの理論であり、有権者にとっては、それほど大きな問題ではないという認識に立って、それぞれの状況に応じて、戦略が練られるべきだと思います。
今後は、今回の参院選、都知事選の結果を踏まえ、「野党共闘」という形態をとる場合の選挙戦略について、再考されるべきであると考えます。

⑤ ネット上で繰り返されてしまった誹謗中傷合戦について
今回の都知事選は、候補者擁立を巡るゴタゴタがあったため、選挙期間中から、ネット上で、宇都宮さんを応援していた人たちと鳥越候補を応援した人たちの間で、お互いをバッシングするようなやり取りが行われていたようですが、選挙後もいまだに尾を引いていると思います。心配していたことですが、ある意味、前回の都知事選のデジャブのような状況になっていることを非常に残念に思います。
「どちらが、どう言った」と言うことについては、私は興味がありませんが、お互いにとって、決してプラスになっていないと思います。
また、選挙に善意で参加されていた方たちが、このやり取りに巻き込まれ、嫌な思いをしているような現状を考えると、いたたまれない想いになります。
もちろん、ネット上で批判するなと言っている訳ではありませんが、ネット上でのやり取りは、字数の制限もあり、考えがきちんと伝わらない可能性があります。ネット上で批判をする場合には、やり取りをする前に、批判のための批判になっていないか(誹謗中傷になっていないか)、批判対象に対しての適切な形での批判・表現となっているのか、ということを冷静になって考えてから、やり取りをすべきだと思います。
そもそも、「選挙」は、有権者に与えられた権利を行使して、世の中に対して働きかけをして、より良くしようというものであり、本来、ポジティブなものであるはずです。
お互いを誹謗中傷するやりとりは、選挙になじまないだけでなく、その選挙に関わったことによって誹謗中傷合戦に巻き込まれた人たちが、「もう選挙に関わるのは嫌」みたいなネガティブな感情になることは、この国の民主主義にとって、決してプラスになるものではないと思います。
選挙に関わった一人一人が自らの行動を振り返って、自戒するべきではないでしょうか。

⑥ 選対本部の総括について
今回の都知事選についての総括は、市民連合が8月2日にHP上に「東京都知事選の結果についての見解」というステートメントを掲載したものの、未だに選対本部、政党からの総括が公表されていません。
民進党の岡田前代表は、都知事選の選挙期間中の7月30日に次の代表選に出馬しないことを表明し、8月5日に蓮舫議員が立候補を表明しましたが、立候補に際して行われた記者会見の中で、「野党共闘路線の今後については、基本的な枠組みを維持」と表明しました。
報道ベースでは、蓮舫議員は出馬前に細野議員と行った会談の中で、野党共闘に関して見直しで一致したという報道もありましたが、直近の選挙において、自分たちが支援者に対して打ち出した基本的な路線や選挙の結果の総括無くして、岡田代表の選挙期間中の不出馬表明や野党共闘の方向性についての態度表明が行われること自体が、政党側の論理であり、おかしいと思います。
多くの人に支援を要請しておきながら、選対本部や政党が、選挙の総括を行なわないことは、大衆と乖離した傲慢な態度と言わざるを得ません。
今後も野党共闘の枠組みを継続するというならば、この国の民主主義の発展のためにも正式な形で総括を行い、公表することを望みます。


以上、選挙の総括と今回の都知事選についての私の考えをまとめました。

選挙に携わった人たちが、選挙で得た経験をその後の活動に役立てることが出来るプラスの循環が作られることに強く期待します。

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