リハビリのみちるSS


 食べかけのパンをこちらに差し出した彼女はにまりと笑って、食べますかなんて聞いてくる。お腹が空いてないからとだけ返すとその手はそのまま彼女の口へ運ばれていった。
 なんてことのない夏の昼過ぎ。がたがたと喧騒を奏でる教室のエアコンではこの暑さに対抗しきれず、目の前のクラスメイトもぱたぱたと手で自分を扇いでいる。暑くないのと聞くとパンがあるので大丈夫ですと返された。理屈がさっぱりわからないし扇ぐたびにそのパンくずがこぼれているのもどうかと思うのだけれど、いまさら突っ込もうとも思わない。
 彼女のこんな調子はうちの学年で知らない人はいない。というか学校でもかなり有名だと思う。そりゃそうだ、仮にもこれだけ整った顔立ちの少女が毎朝大量のパンを抱えて登校してくるのだから嫌でも目立つ。しかもお昼にはそれが全て消えているし。購買でまた同じくらい買い直してるし。
 そんな目を引きがちな彼女とどうして教室に二人なのかといえば、まあ単なる委員会の用事で待機中なのだった。先生が戻ってくるまで教室で暇をつぶす、学生らしい空白の時間。気まずいとまでは言わないが、なんとなくやりづらい。

 不意に隣でがたりと音がした。目線をやると、パンがなくなってしまいましたと彼女が立ち上がっている。確かに机の上には紙袋ばかりで、あれだけの量はどこへ消えたのだろうという疑問がどうしても浮かんだ。購買にでも行けばと言いかけて、夏休みの間は閉まっていることに気づいて口を紡ぐ。
 彼女はしばらく鞄の中をごそごそと漁り、飴一つ持っていないことがわかるとため息と一緒に座り直した。先ほどまでの笑顔が途端に悲しげな表情に変わって、少し驚く。いつもこんな風に落ち着いていればもっと男子にも人気が出るんじゃないだろうか、などとなんとなく思った。いや、いつもの彼女はそれはそれで愛されているのだけれど、あれはなんというかペットのような扱いなので。よくパンで餌付けされてるし。
 少し続いた沈黙の後、また隣で彼女が立ち上がった。今度は先ほどより強めに。何かと思っていると一緒にパンを買いに行きましょう、なんて笑顔で言う。軽く面食らった僕が、待ってるから一人で行ってきなよと伝えると一緒の方がいいです、とか言うからまた驚いてしまう。一緒に選んだ方が楽しいですよと彼女は、いつもの笑顔で続けた。そんな彼女に僕は少しだけ鼻をならし、じゃあ行こうかとだけ告げて席を立つ。
 途端に元気になった彼女に先導されながら街を歩く。時折振り向いて急かすように笑う彼女を見て思うのは、この笑顔を誰か一人に向けたらきっと誰も敵わないんだろうな、なんて。

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