市村 悦延 · @hellotomhanks
28th Jul 2016 from TwitLonger
★鳥越醜聞を書いた週刊新潮と杉山問題を書かない週刊ポストー(天木直人氏)
きょう発売の週刊新潮(8月4日号)もまた鳥越醜聞を書いた。
週刊文春に書かれたから、週刊新潮も後追いで書いたのではない。
週刊文春が書いたからこそ、週刊新潮も書かざるをえなかったのだ。
週刊新潮の記事の書き出しはこうなっている。
「・・・文春は先週号(7月21日発売)で
鳥越俊太郎都知事候補「女子大生淫行」疑惑との記事を掲載・・・
実を言うと、本誌はこの話を取材していたのだ・・・」
すなわち、この鳥越疑惑のスクープは、とっくの昔に週刊新潮がいち早く取材し、原稿までつくっていた。
しかし、週刊新潮曰く、記事にする直前に本人とその男ともだちから、
「やはり記事にしないでほしい」と強く要望されて断念したという。
それなのに文春が今頃になって絶好のタイミングでその原稿と同じ事を書いた。
最初にスクープした週刊新潮としては、メディアのプライドとして書かざるを得なかったのだ。
ことほど左様に、メディアは競争心とスクープ記事に対する思い込みが強いのだ。
そこで思い出されるのが週刊ポストの杉山外務事務次官の醜聞報道だ。
週刊ポストは20年ほど前に、当時は外務事務次官の秘書官だった杉山氏が、
外務事務次官の外交機密費を私的に流用していた疑惑を、お子様ランチの領収書をつけて大々的に報じた。
その杉山氏がついに外務事務次官になり、メディアの一部が当時の週刊ポストの記事を引用して書いた。
こんな官僚が外務省のトップになって大丈夫かと。
おりから舛添東京都知事の公金流用が大問題になったばかりだ。
国民の怒りの大合唱の中で舛添氏は辞任に追い込まれた。
今度は杉山氏の番だ。
外務省のトップになった以上、いくら20年前の事だからと言って不問にするわけにはいかない。
だからメディアは書いたのだ。
メディアが書き始めた以上、週刊ポストが書かないはずがない。
なにしろ真っ先にスクープ報道した週刊誌だ。
私はてっきり週刊ポストは満を持して大きく書くに違いないと思った。
それがメディアの本来の姿であり、スクープ報道したメディアのプライドである。
ところが、その後週刊ポストは杉山次官の醜聞について、一切書こうとしない。
間違いなく安倍政権と取引したに違いない。
すなわち安倍政権に貸をつくった見返りに、安倍政権から何かを得たのだ。
そうでなければこの不自然さを理解できない。
鳥越醜聞について週刊新潮が書いた事を見て、私は書かない週刊ポストに思いをはせた。
杉山次官の醜聞は鳥越都知事候補の醜聞の比ではない。
鳥越醜聞は都知事選に対する選挙妨害程度でしかないが、
杉山次官の醜聞は安倍首相の任命責任に直結する大醜聞だ。
それを知っているがゆえに週刊ポストが書かなかったとしたら、
週刊ポストはメディアの使命を捨てたということだ。
週刊ポストが今後いくら安倍政権を批判する真似をしても、私は一切信用しない事にしている。