★白日の下に晒されている歴史の闇-(植草一秀氏)

田中角栄元首相が逮捕されて40年の時間が流れる。

1976年7月27日

田中角栄元首相が逮捕された。

日本政治の転換点である。

田中角栄氏に関する著作が刊行され、新たな「角栄ブーム」が生じているが、

40年前の田中角栄逮捕の真実に迫る著書が刊行された。

平野貞夫元参院議員による

『田中角栄を葬ったのは誰だ』(K&Kプレス)

https://goo.gl/qFxnP0

である。

石原慎太郎氏が

『天才』(幻冬舎)

https://goo.gl/CDjCnp

を刊行してベストセラー化しているが、

上掲書に収録された平野貞夫氏と佐髙信氏による対談のなかで、佐髙氏は次のように述べている。

「角栄の秘書だった朝賀昭氏が書いていますが、

石原慎太郎が都知事選に出る時に、中曽根から角さんのところに挨拶に行った方がいいと言われて、

石原は砂防会館の事務所に挨拶に行くわけです。

石原はその数ヵ月前に、角栄の金権政治を批判して

「君、国売り給うことなかれ」とか、偉そうなことを書いていました。

だから門前払いを食わせてもいいのに、角栄は招き入れるわけでしょ。

それで軍資金を渡して、帰り際には「足りなくなったらまた来いよ」と言ったという。

それなのに、石原はいまさら偉そうに「天才」なんて本を書いて、

角栄からは金をもらわなかったなんて書いている。

あれは死人に口なしですよね。

偉そうに、そんなわけねえだろうと。

お前が書くな馬鹿野郎と思いますね。」


『天才』よりも百倍は面白い。

平野貞夫氏による『ノンフィクション』衝撃作である。

平野氏は本書のプロローグで次のように記述する。

「ロッキード事件の本質を、

田中角栄が「アメリカの虎の尾を踏んだ」と論じることは、事件の本質の一端に肉薄している。

71年前、わが国はポツダム宣言を受諾して、先の大戦に敗北し、

建国以来初めて外国の軍隊によって占領されるという屈辱に甘んじた。

以来、敗者である日本は国家の根幹である安全保障はもちろん政治や経済も、

勝者アメリカの従属下にあった。

在日米軍基地、日米安保条約、日米地位協定を見るまでもなく、

現在も日本は一貫してアメリカの従属下にあることは、賢明な読者の首肯するところだろう。

田中政治は一面、対米従属から脱して日本の自立を目指すものであった。

ロッキード事件は、日本の自立を志向する田中角栄がアメリカの逆鱗に触れた、

つまり「アメリカの虎の尾を踏んだ」ことからアメリカがロッキード事件を仕掛けたと見る識者もいる。

この「ロッキード事件=虎の尾論」は、真実の一面をついていることは間違いないだろう。

しかし、私は「虎の尾論」を具体的に証明する証拠と能力を有しない。

私にできること、そして私がなすべきことは、「対米従属シンドローム」に侵された日本の権力者たちが、

憲法や刑事法規を冒涜して、田中角栄を葬ったことを論証することである。

つまり、日本の国家権力そのものが、異形異能の政治家田中角栄を葬ったことを論証することである。

私は、田中角栄を葬った「国家権力の犯罪」を論証することによって、

日本政治が混迷に陥っている真の原因を明らかにしたいと願っている。

それが、わが国の議会政治の表と裏で苦闘してきた私の使命だと信じているからだ。

本書は小説ではない。真実の記録である。」

本書タイトルにある『田中角栄を葬ったのは誰か』

の答えが、本書のなかに明記されている。

恐るべき歴史の真実も明らかにされる。ご高読をお勧めしたい。


本書の刊行に合わせ、そして、田中角栄元首相逮捕から40年の日時に合わせて

7月26日にシンポジウムが開催される。

主催者に代わり、多くのみなさまのご参集を呼びかけたい。

◇◇◇ シンポジウム『田中角栄』 ◇◇◇

期 日:平成28年7月26日(火)6時~8時(予定)
    5時半開場

場 所:憲政記念館講堂
    〒100-0014 東京都千代田区永田町1-1-1
    TEL 03-3581-1651  FAX 03-3581-7962

主 題:『田中角栄を葬ったのは誰だ』刊行を記念して!

主 催:日本一新の会・(株)K&Kプレス

事務局:(株)K&Kプレス(田中シンポ係)

参加費:無 料

― 次 第 ―

1)ゲストスピーカー

小沢 一郎生活の党共同代表
石井 一 元自治大臣(交渉中、『冤罪』の著者)
大下 英治(政治評論家)

2)シンポジウム(パネラー)

佐高 信 (評論家)
早野 透 (前朝日新聞コラムニスト、予定)
平野 貞夫(著者・元参議院議員)


本書のなかに以下のような記述がある。

「私は、「ニューヨーク・タイムズ」紙のメモに目をやる。

「CIA資金が一つ以上の政党に流れている」

このニュースが報じられた時、一つ以上というのは自民党と民社党ではないか、と囁かれていた。

(そういえば、確か、似たような話を聞いた覚えがあるな・・・・)

私は本棚から民社党のファイルを引っ張り出した。

以前、民社党に絡んだ噂を労働組合に詳しい評論家から聞いたことを思い出したのだ。

(中略)

この情報を聞いた時、私は半信半疑だった。

信じたくないというのが正直な感想で、私のメモにも、噂話を意味する「三角印」が降ってあった。

が、「ニューヨーク・タイムズ」紙の記事とセットにすれば、俄然、信憑性は高まる。」


平野氏は歴史の「事実」について、膨大なメモを作成しており、

その膨大なメモに従って、歴史を正確に再現されている。

プロローグにある

「本書は小説ではない。真実の記録である」

という言葉に、本書の凄みがある。

そして、その「事実」に基づく記述が、巨大な波紋を投げかけることになることは間違いない。


10年前に、平野氏は

『ロッキード事件――葬られた真実』

を講談社から刊行されている。

その内容が田中角栄元首相逮捕からちょうど30年の日に当たる2006年7月27日の朝日新聞朝刊に

特ダネとして掲載されることになった。

7月26日には担当の朝日新聞のA記者から電話で、

「最終確認のためのゲラを今夜FAXで送る」との連絡も入った。

ところが、深夜になって、記者から

「上司からの指示で掲載しないことになりました」

との連絡が入った。

その代わりに、朝日新聞は8月5日夕間で、平野氏「舞台裏」出版の記事を掲載したが、

肝心の天野医師の手記や証言にはまったく触れないものだった。

それほどまでに、平野氏が明らかにした真実の衝撃は大きかったのである。


プロローグで、平野氏は本書執筆の動機について触れている。

「重要なことは稀代の大衆政治家田中角栄がロッキード事件によって葬られたという事実、

この戦後政治の悲劇がなぜ起きたのかの真相を究明することではないのか。

知らねばならないことは、田中角栄を葬ったのはいったい誰なのか、

ロッキード事件の隠された真実とは何か、ということなのだ、と私は考える。」

「児玉ルートは当時の自民党幹事長中曽根康弘につながり、

丸紅ルートは田中角栄の「刎頚の友」である小佐野賢治を通じて田中につながることになる。

だが不思議なことに、約21億円という巨額のコンサルタント料を受け取り、

政界工作を行ったとされる児玉ルートが、事件発覚後わずか10日ほどで事実上、

捜査の対象外になってしまったのだ。

児玉誉士夫が脳梗塞の後遺症のため重度の意識障害を起こし、

証人として国会における証人喚問に応じられないという理由からであった。」


「なぜいま、私が本書を刊行するのか、その理由を述べたい。

昭和51年2月にロッキード事件が発覚し、国会が混迷の極みに達し、

「ロッキード国会」と呼ばれた時期、私は前尾繁三郎衆議院議長秘書を務めていた。

この異常な時期、私は政治家や政党の動きを膨大なメモに残している。

このメモを公表し事件の実相を明らかにする義務があるということだ。」

「まず第1は、事件の最重要証人である児玉誉士夫の証人喚問がなぜ不可能になったのかということである。

後述するが、児玉誉士夫の主治医が証人喚問の直前に、

意識障害をもたらすセルシン、フェノバールを児玉に注射し、

国会証言を不可能にする「政治権力の犯罪」があったということを明らかにすることである。」


「第2は、朝日新聞がこの注射の件について私から取材し、予定稿を掲載前日に私に示しながら、

直前になってボツにした事実を明らかにしたかったからだ。

田中角栄逮捕から30年目、今から10年前の平成18年7月に、

私は講談社から『ロッキード事件――葬られた事実』を上梓した。

この中で主治医が意識障害を起こす薬を児玉誉士夫に注射した事実を明らかにしているが、

当時朝日新聞社会部がこの事実を知って、私を取材した。

朝日新聞は、10年前の7月27日付の朝刊紙面で児玉証人喚問が不可能になった背景を記事にして

掲載する予定だった。

私は予定稿を見せられていたが、

掲載前夜になって担当記者から「上司からの指示で掲載しないことになりました」との電話があった。

結局この記事はボツになった。

当時私にはピーンと来るものがあった。

これも事実を明らかにされては都合の悪い政治権力による、政治謀略に違いないと感じたのだ。

このマスコミに関わる問題については、後半で詳述する。」


「三木武夫首相がロッキード事件を利用し、田中角栄を政界から葬ろうとした執念。

中曽根康弘幹事長が自分に降りかかる疑惑から逃れるための陰謀と巧妙な政治工作。

こうした要因が絡まり、田中角栄逮捕への道筋が作られることになる。

国会正常化は三木首相が狙っていた衆院解散の手を封じたが、

三木はこれを奇貨として、最高裁、検察、さらにアメリカと結託し、

ロッキード社前副会長コーチャンらに対する「嘱託尋問」を実現する。

嘱託尋問はわが国の憲法はもちろん、刑事法規に違反する。

国会正常化が嘱託尋問を実現し、田中逮捕への道筋を作っていく。


当時、私は議長秘書として、常に前尾議長の近くにいた。

前尾議長は法務大臣を務め、法務行政に通じ、法務官僚からも信頼を得ていた。

前尾議長は田中角栄の無実を信じていた、と私は思っている。
 
なぜ前尾議長が国会正常化にこだわったのか。

私が真相を知ったのは前尾議長が退任してから4年7ヵ月後、逝去する2週間前のことだった。

昭和56年7月7日、七夕の夜だった。

前尾さんはこう述懐した。

「ロッキード国会をどうしても正常化したかったわけは、

天皇陛下から核拡散防止条約の国会承認を強く要請されていたからだ」

この夜、前尾さんが語った最後の一言が遺言となった。

「ロッキード国会で僕がどれほど悩んだか。

平野君、君が知った事実や必要な事柄などを記録に残しておいてくれ。

それが田中角栄君に迷惑をかけた、せめてもの僕の思いだ」

私が今回『田中角栄を葬ったのは誰だ』を上梓した最大の理由は、この前尾さんの遺言であった。

ロッキード事件の真相を明らかにし、同時に混迷する日本政治の腐食を剔抉する。

それによって、健全な議会政治の復権を実現することこれが私の願いである。」

ほとんどの日本国民が知らない歴史の真実がある。

その真実をいまこそ、すべての日本国民が知っておかねばならない。

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