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◆ 広島の「闇の奥」 (その1) ◆ー(兵頭正俊氏)
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オバマの「謝罪なき広島見物」は、広島被団協の「感謝」のはしゃぎのうちに終わった。

日本被団協の幹部には、沖縄の事件など眼中にもなかったらしい。

オバマへの「感謝」の連呼であり、夢中になるあまり、

元米海兵隊員で米軍属のシンザト・ケネフ・フランクリン(米国籍)が、

島袋里奈を殺害・強姦した事件など、念頭にもないようだった。オバマもまた沖縄にも謝罪しなかった。

広島被団協は、沖縄ばかりではなく、長崎被爆者への配慮もしなかった。

空間的な配慮の欠落ばかりではない。

広島被団協は、時間的にも過去を完全に捨て去っていた。

広島・長崎の死者たちは、71年経って、生き残った者が、謝罪など必要ない、

米国の大統領よ、来てくれてありがとう、と頭を下げる姿を、あの世からどう見ていたのだろうか。

わたしは、画面に映される原爆ドームが、かつて見たことがなかったほど恐ろしく見えた。

瞋恚の炎がゆらゆらと立ち上っているように見えたのだ。

してはならないこと、いってはならないことが、原爆ドームの前で進行していた。

日本人の変わり身の早さ、物忘れの早さ、理念への蔑視が露出していたのである。

オバマは語り始めた。

「71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。

閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。

なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか?

私たちは、それほど遠くないある過去に恐ろしい力が解き放たれたことに思いをはせるため、

ここにやって来ました。

私たちは、10万人を超える日本の男性、女性、そして子供、数多くの朝鮮の人々、

12人のアメリカ人捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来ました。

彼らの魂が、私たちに語りかけています。

彼らは、自分たちが一体何者なのか、そして自分たちがどうなったのかを振り返るため、

内省するように求めています。

広島だけが際立って戦争を象徴するものではありません。

遺物を見れば、暴力的な衝突は人類の歴史が始まった頃からあったことがわかります。

フリント(編注・岩石の一種)から刃を、木から槍を作るようになった私たちの初期の祖先は、

それらの道具を狩りのためだけでなく、自分たち人類に対しても使ったのです。

どの大陸でも、文明の歴史は戦争で満ちています。

戦争は食糧不足、あるいは富への渇望から引き起こされ、

民族主義者の熱狂や宗教的な熱意でやむなく起きてしまいます」

(引用終わり)

どの国が、どのようにして原爆を投下したのかは語られない。責任の主体と謝辞に繋がるからだ。

米国は神の国であり、例外的な存在だとする「アメリカ例外論(American exceptionalism)」は、

冒頭から「71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変」したと、

オバマの口から解き放たれた。

多くの日本人にはわからなかっただろうが、白人の多くはヨハネ黙示録を思い返したのである。

第一の封印が解かれて、

勝利と偽りの平和を象徴する白い馬に乗った騎士が征服のために空から下りてくる。

第二の封印が解かれると、地上に戦争をもたらす赤い馬にまたがった破壊の騎士が舞い降りてくる。

第三の封印が解かれると、荒廃の黒い馬に乗った、飢饉をもたらす騎士が現れる。

第四の封印が解かれたときに現れる騎士こそ、蒼ざめた馬にまたがった死神であり、黄泉を連れている。

この原爆投下のイメージの展開が、「白人の重荷」(ジョゼフ・ラジャード・キプリング)を担って、

オバマが広島という「闇の奥」にやってきた目的だった。

「なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか?」。謝罪にきたのではない。

「私たちは、それほど遠くないある過去に恐ろしい力が解き放たれたことに思いをはせるため、

ここにやって来たのだ。」

オバマは、日本人のみならず、数多くの朝鮮の人々、

そして12人のアメリカ人捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来たのである。

こうして広島・長崎の被爆死は相対化された。

死者の魂は、わたしたちに語りかける。死者たちは、自分たちが一体何者なのか、

そして自分たちがどうなったのかを振り返るため、内省するように求めているのだという。

ここで原爆投下の現実から心の問題にすり替えられた。

問題は内省化した。さらに一般化し、広島を対象化しよう。

「広島だけが際立って戦争を象徴するものではありません。

遺物を見れば、暴力的な衝突は人類の歴史が始まった頃からあった」のだ。

どうして広島だけを特化し、米国人が謝罪することがあろう。

あとは一般化された戦争の罪が語られるのだが、語るほどに、

ハイチ、リベリア、ソマリア、アフガニスタン、イラク、シリアと、

世界中で起きている戦争が米国によって起こされ、

米国によって進行している現実をオバマは無視していく。

そのことにオバマ自身が気付いていない。

まして参列していた被団協の幹部たちは感動するばかりで何も考えられない。

オバマは語り続けた。

「より高い信念という名の下、どれだけ安易に私たちは暴力を正当化してしまうようになるのか。

どの偉大な宗教も、愛や平和、正義への道を約束します。

にもかかわらず、信仰こそ殺人許可証であると主張する信者たちから免れられないのです。

国家は犠牲と協力で人々が団結するストーリーをこしらえ、優れた功績を認めるようになります。

しかし、自分たちとは違う人々を抑圧し、人間性を奪うため、

こうしたものと同様のストーリーが頻繁に利用されたのです。

科学によって、私たちは海を越えて交信したり雲の上を飛行したりできるようになり、

あるいは病気を治したり宇宙を理解したりすることができるようになりました。

しかし一方で、そうした発見はより効率的な殺人マシンへと変貌しうるのです。

現代の戦争が、こうした現実を教えてくれます。広島が、こうした現実を教えてくれます。

技術の進歩が、人間社会に同等の進歩をもたらさないのなら、

私たち人間に破滅をもたらすこともあります。

原子の分裂へとつながった科学的な変革には、道徳的な変革も求められます。

だからこそ、私たちはこの場所に来るのです」

(引用終わり)

気をつけねばならないのは、この美辞麗句、のほほんとした日本人をうっとりさせるこの言葉が、

「アメリカ例外論」で、米国だけは切り離されていることだ。

世界に訓示はするけれど、米国だけは例外で、この悪をやってもいいのである。

だから、オバマは冒頭で戦争を現実から切り離し、内面化し、一般化したのである。

今や、その一般化から米国だけは切り離され、道徳が語られる。

なぜ切り離されねばならないのか。それは戦争の悪を謝罪しないためだ。

こんな重要なツイートを見つけた。

「junko

ワシントンポスト
「広島だけではない。アメリカは多くの犯罪について謝罪していない」
http://bit.ly/1TGDchW

★ベトナム戦争での枯葉剤の使用
★イランでの1953年のクーデター
★西アフリカとの奴隷貿易 etc」

(引用終わり)

このリンクはぜひ辿って読んでいただきたい。

とりわけコンゴへのベルギーと米国の介入では、2千万人余の黒人の命が奪われている。

ついにオバマは米日関係の「物語」に辿り着く。

「あの運命の日以来、私たちは自らに希望をもたらす選択をしてきました。

アメリカと日本は同盟関係だけでなく、友好関係を構築しました。

それは私たち人間が戦争を通じて獲得しうるものよりも、はるかに多くのものを勝ち取ったのです。

ヨーロッパ各国は、戦場を交易と民主主義の結びつきを深める場に置き換える連合を構築しました。

抑圧された人々と国々は解放を勝ち取りました。

国際社会は戦争を防ぎ、核兵器の存在を制限し、

縮小し、究極的には廃絶するために機能する組織と条約をつくりました。

それでもなお、世界中で目にするあらゆる国家間の侵略行為、あらゆるテロ、

そして腐敗と残虐行為、そして抑圧は、私たちのやることに終わりがないことを示しています」

(引用終わり)

現在の日米関係が「希望をもたらす選択」の結果であり、

「アメリカと日本は同盟関係だけでなく、友好関係を構築しました。

それは私たち人間が戦争を通じて獲得しうるものよりも、はるかに多くのものを勝ち取った」というのは、

米日の安保密約の「闇の奥」を、そして米日1%の利権の暗さを物語っている。

「はるかに多くのものを勝ち取った」のは米国であり、

それは日米地位協定に見られる植民地並の扱い方に象徴的に現れている。

矢部宏治が『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』のなかで書いていた。

「そもそも現在の自衛隊には、独自の攻撃力があたえられておらず、

哨戒機やイージス艦、掃海艇などの防御を中心とした編成しかされていない。

「盾と矛」の関係といえば聞こえはいいが、けっして冗談ではなく、

自衛隊がまもっているのは日本の国土ではなく、「在日米軍と米軍基地」だ。

それが自衛隊の現実の任務だと、かれら(自衛隊の隊員 注 : 兵頭)はいうのです。

しかも自衛隊がつかっている兵器は、ほぼすべてアメリカ製で、

コンピューター制御のものは、データも暗号もGPSもすべて米軍とリンクされている。

「戦争になったら、米軍の指揮下にはいる」のではなく、「最初から米軍の指揮下でしか動けない」

「アメリカと敵対関係になったら、もうなにもできない」

もともとそのように設計されているのだというのです」

(引用終わり)

日本の自衛隊は植民地の傭兵である、と何度も書いてきた。

この現実は自衛隊の純粋な隊員たちが、もっともよく知るところであり、悔しがっていることである。

深刻なのは、「戦争法」が通ったことで、

これから自衛隊の傭兵としての展開が海外でなされるようになったことだ。

現実を無視したスピーチを、オバマはこう締めくくった。

「アメリカという国の物語は、簡単な言葉で始まります。

すべての人類は平等である。そして、生まれもった権利がある。

生命の自由、幸福を希求する権利です。

しかし、それを現実のものとするのはアメリカ国内であっても、

アメリカ人であっても決して簡単ではありません。

しかしその物語は、真実であるということが非常に重要です。

努力を怠ってはならない理想であり、すべての国に必要なものです。

すべての人がやっていくべきことです。すべての人命は、かけがえのないものです。

私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。

これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。

だからこそ私たちは、広島に来たのです。そして、私たちが愛している人たちのことを考えます。

たとえば、朝起きてすぐの子供達の笑顔、愛する人とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い、

両親からの優しい抱擁、そういった素晴らしい瞬間が

71年前のこの場所にもあったのだということを考えることができます。

亡くなった方々は、私たちとの全く変わらない人たちです。

多くの人々がそういったことが理解できると思います。

もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません。

科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています。

国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、

そのための知恵が広島から得られるでしょう。

世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。

なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。

それを全ての子供達に広げていく必要があります。

この未来こそ、私たちが選択する未来です。未来において広島と長崎は、

核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう」

(引用終わり)

ここでもオバマ自身が2004年の民主党全国大会でおこなって、

「オバマ現象」を引き起こした基調講演と同じアメリカンドリームが語られている。

広島では「アメリカという国の物語」とされているが、

「すべての人類は平等である。そして、生まれもった権利がある。生命の自由、幸福を希求する権利」

といった語り口は、同じものだ。

しかし、キング牧師の語った「人種差別、貧困格差、ミリタリズム」という三悪は、

すべてオバマの任期中に拡大強化された。

広島ではさらに美しく「私たちは「一つの家族の一部である」という考え方」が打ち出された。

これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語」だという。

もうこうなると、言葉と現実との肉離れは極限になってくる。

「家族の一部」なら、どうしてハイチ、リベリア、ソマリア、アフガニスタン、イラク、シリアがあり、

かつリビアがあるのだろう。この家族は、家族が父親の家庭内暴力に震え上がっているのではないか。

また、「家族の一部」なら、沖縄の翁長知事との話し合いなどは実現できたのではないか。

「朝起きてすぐの子供達の笑顔、愛する人とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い、

両親からの優しい抱擁」。これらをすべて奪ったのは、誰なのだろう。

夢のように美しい、信頼に満ちた未来志向。獲得すべき核兵器のない世界。

こんな素晴らしい米日関係を作ったオバマ大統領と安倍首相。

しかし、オバマの引退の花道は、植民地の犠牲において、

TPPと謝罪なき広島見物で作られたのではないのか。

戦後、日本が米国と取り交わしてきた、米軍が自衛隊を自由に使う指揮権密約を、

これから海外で起動させるために、謝罪なしの広島見物が必要だったのである。

謝罪すれば、核の使用は悪となり、核を使った自衛隊使用そのものができなくなる。

謝罪しなければ、自衛隊を使った核使用が可能になる。

これから日本は「完全にアメリカに従属し、世界中のあらゆる場所で、

戦争が必要と米軍が判断したら、その指揮下に入って戦う自衛隊」(矢部宏治 前掲書)を容認することになる。

そのためには、戦後を引きずる広島・長崎は邪魔だったのであり、

そのトゲを抜くために「謝罪なき広島見物」は企画されたのである。

広島でオバマの周辺にいた日本人は、すべて1%側の人間であった。

犬HKに登場してくる日本被団協幹部は、

口を揃えて(というかその傾向の人たちをあらかじめ犬HKが選んでいたのであるが)

「オバマの謝罪を求めない」被爆者が選ばれていた。

かれらは、まるでオバマのスピーチを事前に知っていたかのように「核なき世界」を訴えた。

それが大義であり、正義であるかのように語った。

自明のことを述べねばならないが、通常兵器を使った戦争も許されるのではない。

さらにナイフを使った沖縄の暴行殺人も許されるのではない。

日本被団協の幹部たちは、ことさらに核廃絶を強調することで、

オバマの謝罪無き広島見物を許容し、広島・長崎の被曝死者を捨てたのである。

さもあれ、日本政府が頼むから在日米軍は駐留しているし、

日本政府が謝罪しなくていいというから広島見物して核廃絶を謳って帰国した。

こういった日本支配の同じ欺瞞、同じ構造が繰り返されたのである。

これから広島(おそらく長崎も)は日米同盟深化の象徴になっていくだろう。

それは、さらに米国の核使用に、

すなわち米国軍産複合体に利用される広島・長崎に変質していくかもしれない。

オバマ演説の全文はここにある。
http://huff.to/24e04KN

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