★国民生活でなく利権バラマキが第一の日本財政ー(植草一秀氏)

5月10日の衆議院財務金融委員会で、

民進党の鈴木克昌衆議院議員が安倍政権の経済政策運営について正鵠を射た鋭い問題提起を示した。

問題は安倍首相が伊勢志摩サミットで主要国の経済政策協調をまとめ上げようと、

ドイツのメルケル首相などに

「積極財政のすすめ」

を展開しているが、当の日本の財政政策が「積極」ではなく「緊縮」になっていることだ。

他国の経済政策にまで口出しして、

「積極財政をやってくれ」

と言いながら、その発言者の国の財政政策が緊縮になっているのなら、

安倍首相は世界の笑い者になってしまうだろう。

しかし、これが笑い話で済ませる状況でないのだ。

国の財政政策スタンスを判定できるのは一般会計と呼ばれるものだ。

ここにすべてが集約される。

その一般会計の主要計数は以下のものである。

2015年度 

歳出 当初  96兆3420億円

補正   3兆3213億円(増額)

補正後 99兆6633億円

税収 当初  54兆5250億円

補正   1兆8990億円(増額)

補正後 56兆4240億円

である。


これに対して、2016年度当初予算の計数は以下の通りである。

歳出  96兆7218億円

税収  57兆6040億円

2016年度当初予算と2015年度補正後予算を比較すると

歳出が 2兆9415億円 小さく

税収が 1兆1800億円 大きい。

マクロ経済に与える影響では、これを

4兆1215億円の緊縮予算

と表現できる。

安倍政権は熊本地震への対応として7780億円規模の補正予算を

5月中にも成立させる方針を示しているが、これを差し引いても

3兆3435億円の緊縮財政

になる。

第二次安倍政権が発足した当初、安倍政権は積極財政を打ち出した。

このときに安倍政権が編成した補正予算規模は13.1兆円だった。

これは「積極財政」で、日本経済は野田緊縮財政不況から脱出することができた。


しかし、現時点で安倍政権が実行している財政政策は

「緊縮財政」

であり、

「積極財政」

ではない。

その「緊縮財政」を実行している安倍首相が、ドイツのメルケル首相に

「積極財政をやれ」

と上から目線で指示を出している。

ドイツは日本の財政政策の実態を正確に掴んでいないから、

いまのところ反論していないが、日本の財政政策の実態を知れば、

「お門違いの政策指図」

だとして反発を強めるだろう。

誤解のないように補足するが、バラマキ財政をやれと言っているのではない。

景気が悪いときに緊縮財政を実行するのは間違いだと指摘している。

そして、もう一つ重要なことは、財政支出の中身だ。

この点についても、鈴木克昌議員は、極めて意義のある政策提言を示した。

それは、

「利権支出を切って、プログラム支出を増やせ」

というものだ。

財政では、全体の規模を「緊縮」、「中立」、「積極」のどの方向に設定するのかという

「マクロ」の判断も重要だが、

財政支出を具体的に何に仕向けるのかという「ミクロ」の判断がより重要である。

鈴木議員は、このミクロの財政政策に焦点を当てて、

「利権支出を切り、社会保障を軸とするプログラム支出を拡大せよ」

と述べた。まさに正論である。


日本の財政規模はとてつもなく大きい。

これだけの財政規模があれば、国民生活をしっかりと支えることが、本来は可能なはずだ。

ところが、国民のくらしはどうだろう。

いまや日本は、世界有数の貧困大国に転落している。

日本のひとり親家庭の子どもの貧困率は58%で、OECD加盟国中、最悪の部類に入る。

デンマークの4%、スウェーデンの6%と比較しても、日本の劣悪さが鮮明である。

日本は世界第3位の経済大国である、

大企業の企業収益が過去最高を更新している

などと、安倍首相は自慢するが、それだけの経済大国なら、

すべての国民が豊かさを感じて暮らせるような社会にするべきではないのか。

日本社会が、この意味での「豊かさ」を実現できていないのは、予算の使い方に問題があるからだ。

予算を「利権支出」にばかり充当する。

地方に行って、度肝を抜くような豪華建造物は、ほとんどが公共施設である。

公務員の職場である県庁や県警本部、あるいは裁判所の建物が豪華絢爛になっている一方、

放課後に子供がすごす学童クラブの建物があばら家同然といった事例がいくらでも列挙できる。

構造が逆さまなのだ。

公務員の職場など、質素で素朴にして、社会保障の支出を優先するべきなのだ。


社会保障の支出は国民の懐に向かい、

公務員施設、天下り関係機関への支出は公務員や公務員OBの懐に向かう。

政治屋は、キックバックのある利権バラマキ公共事業を何よりも好む。

このために、日本財政は規模が大きいのに、国民生活をまったく豊かにしていない。

鈴木克昌議員は次の指摘をした。

「安倍政権は少子高齢化を問題視しているにもかかわらず、現実には、

保育所に入所を希望しても入所できない待機児童が多数存在する。

高齢者の福祉を実現する介護施設が不足している、

1人親世帯の子どもの貧困が深刻化している、

大学に進学している若者の奨学金債務が過大になっている、

などのさまざまな問題が山積している。

これらの国民生活、社会保障・福祉の拡充に向けて、

裁量支出ではなく、

制度そのものを拡充する

「プログラム支出」

を拡充するべきだ」


財政政策論議に欠けてきたのはこの論議である。

巨大な財政支出を

社会保障支出

格差是正

所得再分配

のために積極活用すべきなのだ。

政府は1%の富裕層をさらに富裕にするために存在しているのではない。

政府は、相対的に厳しい状況に置かれている国民の生活を安定化させる、

最低水準を引き上げるために存在しているのだ。

この部分こそ、

「弱肉強食か、それとも共生か」

という、論争点である。

決めるのは主権者である国民だ。


斎藤美奈子さんが

「NO」を訴える政策よりも

「YES」を訴える政策が大事だ

と主張している。

その通りだと思う。

主権者が希望と夢を持てるビジョンの提示が大切だ。

その視点から提言を示す。

「戦争と弱肉強食=NO!」

「平和と共生(SAY)YES!」

これを掲げて選挙を闘おう!

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