★山岸章連合元会長の訃報に思うー(天木直人氏)

4月16日の各紙が山岸章氏の訃報を一斉に報じた。

 いうまでもなく山岸章氏は連合をつくり初代会長におさまった人物である。

 それから30年あまり経ち、労働組合だけでなく、政治が大きく変わり、

労組も政治も行き詰まった中での訃報である。

 象徴的だ。

 山岸氏の評価については、もちろん賛否が分かれる。

 しかし、訃報につきものの賛辞ばかりが紙面をにぎわしている。

 すなわち、非自民を貫き、はじめての非自民連立政権(細川政権)の立役であったと。

 そして、細川政権のもう一人の立役者である小沢一郎氏が山岸氏の功績を絶賛する記事があった。

 そんな山岸氏の訃報に関する4月16日の紙面の中で、

私は日経新聞の峯岸博という記者が署名入りで書いた「評伝」の次のくだりに注目した。

 すなわち山岸氏は峯岸記者に

「小沢一郎さんから『政権奪取のため全面支援してほしい』と畳に手をつかれた」と教えたという。

 山岸氏の母の通夜と葬式に、小沢氏が国会開会中にもかかわらず

長時間参列したことでこころが動いたと話したという。

 そして、夢の自民党政権打倒のため小沢氏と手を結び、

社会党を説得した山岸氏が接着剤となって、非自民連立政権が1993年に出来たのだ。

 私が、その峯岸記者の「評伝」の記事で注目したのは、その後に続く次のくだりだ。

 そんな立役者の山岸氏は、しかし、1993年8月に細川政権が出来た後、

次第に笑顔を見せなくなったという。

 権勢をふるった小沢氏が、市川雄一・公明党書記長、米沢隆・民社党書記長と連携を深め、

社会党を排除して行ったからだ。

 なんと細川政権が出来た後で山岸氏が小沢氏と会ったのは2回だけだったという。

 小沢一郎、市川雄一、米沢隆のトリオ主導の政権運営を、

「ワンワンライス」と呼んで苦々しく見つめていたという。

 そして峯岸記者は、いまから5年半前に久しぶりに山岸氏を自宅に訪れた時、

山岸氏がこう語っていたことを明らかにしている。

 「小沢さんには平気で捨てられたよ」

 これは一体どういうことなのか。

 山岸氏は去り、再び非自民党政権の連立政権づくりが政局の話題になっている。

 政治史には、我々一般国民が理解できない裏があるということだ。

 政治は一般国民にとって透明・公正でなければいけない。

 既存の政党・政治家の利害や名誉欲や思惑で動いてはいけないのである。

 私が既存の政党・政治家により政治を全否定する理由がそこにある。

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