★トランプ、米国から基地を撤退すべきだの発言。「どうぞどうぞ」。
占領体制終了時、本来撤退すべきなのに居残ったのが今日の米軍。
まず歴史を知ろう。ー(孫崎享氏)

日本の安全保障を考える時に米軍の役割を理解する必要があります。

そのためには歴史を見ておく必要があります。

まず第一に米国は日本の独立時「われわれが望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ

駐留させる権利」を勝ちとり、それが今日まで続いています、

1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾することで、戦争を終えました。

1945年9月2日、日本は「ポツダム宣言ノ条項ヲ誠実ニ履行スル」とする降伏文書に署名し、

戦争が正式に終了しました。

ポツダム宣言の第12条を見てみたいと思います。

「十二、前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ

平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ」

 日本に独立国家が出来た時は「占領軍は直ちに日本国より撤退する」と決められています。

 日本が軍国主義と決別し、独立できる国になったら、外国軍はいなくなるのは、

国際的常識であったと言えます。

 日本の独立後、外国軍、米軍は撤退したでしょうか。

 撤退しませんでした。

 日本が1951年9月8日「サンフランシスコ平和条約」に署名した時は、冷戦の真っただ中でした。

長距離弾道ミサイルがまだ開発されていません。爆撃機が重要な時期です。

米国は、ソ連周辺の国々、日本、パキスタン、イラン、トルコ、ドイツに強固な空軍基地を作りました。

米国にとって、日本の独立後も米軍基地を維持することが極めて重要になります。

 問題は、どのような条件で基地を維持するかでした。

 この問題は私の『戦後史の正体』に書いてありますので、それを見てみたいと思います。

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トルーマン大統領は一九五〇年九月十四日、新聞記者との会見で

『対日講和条約のため、関係諸国と予備交渉を開始するように』という指示を出した」と発表します。

翌九月十五日、ニューヨーク・タイムズ紙は責任ある人からの情報として、

対日講和の次のような方針を報道しました。

〇再軍備に制限を設けない。経済と通商の自由を最大限認める。国連加盟などの参加を促進する

〇米軍が日本に駐留する許可を得る。

ここで米軍が日本に駐留することが独立の条件になってきます。

こうして米国側も用意ができ、日本側も用意ができたところで、

一九五一年一月二五日、ダレス国務省政策顧問が訪日し、日米交渉が開始されます。

 ここでダレスがどのような姿勢で日本との交渉にのぞんだか、この点はきわめて重要です。

豊下楢彦著『安保条約の成立』は次のように書いています。

「一九五一年一月二六日、日本との交渉に先立ち、

ダレスは最初のスタッフ会議において『われわれは日本に、われわれが望むだけの軍隊を、

望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保できるだろうか、これが根本問題である』と指摘した」

 歴史学者のシャラーも『「日米関係」とは何だったのか』のなかで同じことを書いています。

そしてダレスのスタッフたちは「つづく二週間半をこの回答を得るためについやした」と。

つまり一九五一年二月の段階で、

米国は日本から「われわれが望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」を

勝ちとったということです。

私たちはいま、過去の歴史をふり返っています。

しかし、先にE・H・カーの言葉を引用したとおり、過去の歴史を学ぶのは現在を理解するためです。

そこで質問です。

ダレスが日本との講和条約を結ぶときにもっとも重要な条件とした

「われわれが望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する」という

米国の方針は、その後どうなったでしょうか。

いまでも変わっていないのです。

その後、日本側から「われわれが望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ

駐留させる権利を確保する」ことを変えようとする動きが出ると、そうした動きはかならずつぶされてきたのです。

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