【2016/03/06 安保法制の廃止を求める大阪デモ】スピーチ全文vol.5:寺田ともか


今、わたしたちはノリノリでサウンドカーの上に立って、デモをやっているわけですが、
きっとはじめは、こんなことをやって意味なんかあるんだろうかと思っていた人が多いのではないかと思います。

もしかすると、今画面の向こうから、ネット中継か何かで、そんな風に思いながら、このデモの様子を見ている人もいるかもしれません。

私の周りには、社会的な問題に関心の強い友達がけっこういました。
彼らは、世界のどこかで起きている問題を、いちいち自分に引き寄せて考えるので、いつも何かしらのことに心を痛めていたし、それに対して行動を起こそうとしていました。

私は、それ自体はとても良いことだと思っていたし、応援していたけれど、ただ、それだけでした。

私自身も、どうして社会は変わらないんだろうとか、どうして戦争は終わらないんだろう、みたいなことは、小さいころからの疑問として持っていたけれど、どうも、いわゆる意識高い系の奴らがあんまり好きじゃなかったし、ヘトヘトになってまでやっているのを見て、もっとスマートにやればいいのに、とか思いながら、まぁ無理しない程度にがんばってね、と言って見ていました。

でも、ある時それが、ものすごく恥ずかしいことであるということに気がつきました。

わたしは、この社会をつくっている主体の一人であるのに、観客席に座って、上からコートを眺めて、おい、もっと走れよって、
なんでそこでゴールを決められないかなって
まるで監督みたいに文句を言っていました。

だけど、わたしだってこの社会のプレーヤーの一人だったんです。

コートに出もせずに、本当は存在しない、安全な観客席に座っているつもりでした。

だけど、わたしにも、ボールは回ってきたんです。
汗にまみれて、泥だらけで、
たくさん傷がついたそのボールは、
わたしに、こう問いかけながら迫ってきました。

「民主主義ってなんだ」

もう逃げられないと思った。


それで、やっとわかってきたんです。
小さい頃からずっと思っていた、どうして社会は変わらないんだろう、どうして戦争は終わらないんだろうという問いは、わたし自身に向けられた課題であったと。

もう、まるで神様みたいに、とても高いところから社会を俯瞰して、プレーヤーを馬鹿にしたり、あるいは他人事のように応援したり、勝手に評価したりするのはやめようと思いました。

それが、何の意味もないものであることに気が付いたからです。

下手くそでも、笑われてもいいから、このボールを、わたしなりに、自分のやり方で、少しずつ前に進めようと思いました。

そして、はじめわたしがバカにしていた、
このデモや、市民運動といった地道な行動は、少しずつ、わたしを含め多くの人に、自分がこの社会を作っているプレーヤーであることを自覚させ、孤独に思考し判断する人間を増やし、それがひとつの大きな塊となって、野党が選挙協力をするまでの力になり得たのです。

そんなこと、まるで想像していなかった。

やってみなければわからないことが、たくさんあります。

だから今日私は、このデモが、私たちの想像を超えて、大きな力になり得ることを信じてここに立っています。


以前、自民党の国会議員の方が、憲法改正草案について、こんなツイートをしていました。

「国民が、権利は天から付与される、義務は果たさなくてもいいと思ってしまうような
天賦人権論をとるのはもう止めようというのが、私たちの基本的な考え方です。
国があなたに何をしてくれるか、ではなくて
国を維持するには、自分に何ができるか、を
皆が考えるような前文にしました。」

国のために何ができるか、というこの問いに
真面目に答えようとするならば、まず、では国とは何であるか、という根本を問わねばならないでしょう。
国とはなんでしょうか。
国とは、すなわち私たちのことです。

国という、何か大きな守るべきものがあって
それを私たちが支えているのではありません。
私たち一人ひとり、尊重されるべき大切な個人の集まりが、互いに支え合って生きている、それが国です。

自民党が出した憲法改正草案を見れば、まるでお国の役に立てる人間にのみ、人権が与えられるかのような思想が根底にあることを感じます。
しかし、基本的人権とは、生きる権利とは、いのちの価値とは、生産性の有無や、その人が持つ能力や、お国の役に立てるかどうかといった条件で決まる類のものではないはずです。

私たちは、過去の過ちから、そんな古い価値観はかなぐり捨てて、すべてのいのちには、いのちそのものに絶対的な価値があるという、ゆるぎない確信に基づいて、この国を築いていきたいのです。

だから、私が今、国のために何ができるか、という問いに答えるとするならば、

まるで戦前のような古い価値観に基づいてつくられたこの憲法改正草案を、絶対に通さないために今、声をあげましょう。

私の、私たちの人生の主体は、私であり、あなたであって、私は、時の権力者に、私の生きる意味や目的を定められたくはありません。

私たちにとって、何が良いことで、何が悪いことかは、自分の信じるものや、良心の声に従って、自分で判断します。

これまで、適当にどこかに投票していれば、
なんとなく社会は回ると思っていた選挙は、今、わたしにとって、私たちのいのちの尊厳に対する、根本的な価値観を問う選択となりました。

個人を尊重しない政党に、これ以上この国のことを決めて欲しくはないんです。

いのちの価値を理解できない虚しい価値観の人々に、これから生まれくるこどもたちの、大切ないのちや未来を、預けるわけにはいきません。

すぐに現状が良くなるわけではないし、次の選挙で何か革命的なことが起こるわけではないでしょう。

しかし、観客席にいたわたしが、今こうやってデモの先頭に立っているように、社会は、少しずつ、しかし着実に変わってきています。

それは、自分の与えられた現場に立ち、声を上げることをやめない、あなたがいたからです。

この、地道な努力を、続けていきましょう。


こどもの権利が保障され、また安心してこどもを預けることのできる社会のために。

武力によらない安全保障のあり方を実現できる社会のために。

性別や国籍の違いによって、自分らしく生きることを阻まれることのない社会のために。

異性であれ、同性であれ、わたしたちが、
人間として愛し合うことが認められる社会のために。

学ぶ意思のある若者が、多額の借金を背負わなくても、自由に学べる社会のために。

そして、わたしが、私であるために。

2016年、3月6日、寺田ともか
私は、現政権の根本的なあり方に反対し、たりまえの生活を保障する、新しい政治を求めます。

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