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Yukiko Kano · @yukilot

6th Mar 2016 from TwitLonger

ケペルによるエマニュエル・トッド『シャルリとは誰か』(2015)の批判(拙訳)


日本で、2015年のフランスのテロについての理解が相当に歪み始めているように思われるので、今年から私の先生になるジル・ケペルによる、エマニュエル・トッド(とそのエピゴーネン)についての容赦ないけれども時期を得た、かつ現在不可欠な批判を発表しておくことにした。ケペルの経験と分析を指標として選んだのは、去年の年末から集中して読み始めたこの優れたフィールドの覇者に、同時代フランス批判の正しい態度を見つけたと思ったからだ。

ジル・ケペル『フランス本土のテロ——フランス・ジハードの誕生』
Gilles Kepel, Terreur dans l’Hexagone. Genèse du djihadisme français, Gallimard 2015.

ケペルによるエマニュエル・トッド『シャルリとは誰か』(2015)の批判
(第6章最終段「シャルリか、シャルリでないか、それが問題だ」から)

 2015年5月、人口統計学者で知識人であるエマニュエル・トッドが、『シャルリとは誰か——宗教的危機の社会学』というエッセイを発表した。作者はこのテキストを「憤慨の勢いで書いた」と言う。「現在進行形の事件の社会学」を目指したらしい。1月11日の大行進から、4ヶ月経っていた。シャルリ襲撃のショックの中で団結した大多数のフランス人たちの高揚した気持ちも鎮まっていた。フランスにとって、実存的な疑問が表明され始めていた。果たしてフランスには社会的連帯を作り出す能力があるのかという疑問を、フランス人は問い始めていた。この本が現れたのはそうした時であった。また、フランス社会の底に亀裂が走っているならば、その亀裂は宗教的な性格のものなのか、という問いも様々に表明された。メディアが伝えるように、フランス人は些細な衝突を日常のように経験している。そうした無数の衝突がフランスの亀裂を作り上げる。しかし、それらの究極の表現がジハード現象なのか、という問いかけもあちこちで高まっていた。フランス国民は、あたかも中東で繰り広げられている残虐な所業(1月のテロの嵐は中東で起こっていることが現在の出来事であると思い出させた)がフランス本土に投影されかのような印象を抱いた。その印象には、フランス国内の問題、つまり下層の若者たちが社会から閉め出されていることに関わる様々な問題が、突然イスラーム主義者の言葉で翻訳されたかのような印象が混ざり合っていた。フランスには、こうした複雑な感情から生まれた逡巡と疑問が蔓延していた。
 例えば、ムスリム人口に属する中高校生の一定数がシャルリ事件の被害者のための一分間の黙祷に加わることを拒否したことは、そうした疑問の最たるものだ。いくつかの高校では、黙祷を拒む生徒たちがわざと奇声をあげ、足を踏み鳴らし、「僕は・私はシャルリじゃない」、「チェ!」、「アラーフ・アクバール!」などといった神聖な共和国の価値への冒涜とも受け取れる叫び声で黙祷を邪魔した。確かにシャルリ事件をきっかけとして、テロに立ち向かう社会の団結を象徴するかのような政令によって、共和国の概念は神聖なものとして再樹立された。シャルリ事件が生んだ多くの疑問は報道の言説に反映された。学校では、生徒たちの否定的な反応を前にして、教師にはなす術がなかった。とは言え、シャルリであることを拒否する生徒たちの大多数はフランス国籍であったのだが。こうした生徒たちの生活には、共和国の学校が発布する世俗主義的な価値以上に、ラップの音楽やモスクの説教が織りなす私的な文化が大きな場所を占めていたのだ。
 トッドのエッセイが現れたのはこのような状況の下である。彼は、独自の社会科学的方法による事実の解釈をもとに、世間一般が信じている誤謬、世論の誤りを暴くつもりであると宣言した。1月11日の大行進を支えたものは、テロに立ち向かって再燃する共和国の豊穣な基盤といったものではない、と彼は言う。大行進は、むしろ「イスラーム・フォビア」(イスラーム嫌厭主義)を旗印とする攻撃的な世俗主義の現れだったのだ、と。フランス社会のエリートたちは、中流階級を思想的手段で操作して、スケープゴートであるムスリムに汚名を着せるために街頭デモに加わる必要を信じ込ませたのだ、と。行進に参加したムスリムは、立派なフランス人であることを証明するために自ら予言者を侮辱しなければならなくなったが、それはあたかもキリスト教徒のレコンキスタ運動の後、カトリックに無理矢理改宗させられたイベリア半島のユダヤ人、あるいは「マラーノ」が、ユダヤ教を捨てたしるしに人前で豚肉を食べるよう強要されたことと似ている、と。(イベリア半島のユダヤ人を表す「マラーノ」という呼び名は、スペイン語の豚肉という単語から来ている。スペイン語の言葉自体も、アラブ語の「マフラム」つまりシャリアにとっての非合法という意味の「ハラム」から来ている。)これがトッドの解釈だ。

(トッドの引用)「再び打ち立てるべきとされていた共和国は、その価値の中心に神の冒涜への権利を据えた。その権利を即座に適応するために、社会的弱者によって信仰されているマイノリティーの宗教の鍵となる神聖な人物を冒涜する義務もそこに加えた。大規模失業、マグレブ移民出身の若者たちの雇用における差別、フランス社会の頂点に腰を据えた人々による、テレビや学界を通しての絶えることのないイスラームの魔性化、この文脈において敢行された1月11日のデモには、声を大にして告発すべき暴力が込められている。デモに加わった何百万人というフランス人は、結局のところ、フランス社会が今一番必要としているものは、弱者の宗教につばを吐きかける権利であると言い切ったのだ。」

 矛盾に満ちたテーゼと言わざるを得ない。しかしそれゆえに、トッドのエッセイは刊行と同時に大きな論議を呼んだ。論議のおかげで売り上げは保証された。一方、コントロールされた社会思想的な言葉遣いのフレーズの裏にあるテーゼは、ラップ歌手メディーンの激しいラップ「Laïkするな(likeとlaïqueの語呂合わせ)」のレフレインによく似ている。とは言え、エマニュエル・トッドが1月11日の脆い国民の意見の一致を脱構築することでその知識人としての役割を果たしているならば、彼の分析をまっとうな知的批判の方法にしたがってなされた、フランス社会の亀裂についての論議への貢献とみなすならば、その議論を支えている隠蔽の数々はやはり問題だと言わざるを得ない。冒頭でトッドはこう述べる。「2015年1月を真剣に受け止めるためには」、「7日水曜日の虐殺ではなく、その後のフランス社会の感情的反応を考究の中心に据えなくてはならない。集団ヒステリーでしかない1月11日のデモは、現代のフランス社会がいかなる思想的・政治的な権力機構によって動いているかを理解させてくれる素晴らしい鍵となる」。
 事実はそれと反対だ。1月7日に起こった事件——7日のみならず、8日と9日も同じである。クリバリはクアシ兄弟からバトンを受け取ったのだし、またビデオでその殺戮が計算されたものであったことを明らかにしているのだから——を考察に含めず、11日日曜日のデモのみに集中してシャルリ事件を考えるなどということをすれば、今日フランスで何が起こっているのかを理解する鍵は失われる。ある事件の原因を隠して、その結果あるいは目に見える効果のみに思念を注ぎ、両者の関わりを無視するなどということをすれば、問題の核心から議論がそれてしまうことは必至である。特にこれほど重大な案件においてはなおさらである。もちろん、ジハードおよびイスラーム主義の諸現象は非常に複雑で、その分析は至難をきわめる。まずアラブ語とムスリムの諸文化を学ぶことから初めて、労使関係が瓦解するとともにイスラーム化がいたるところに見られるフランス大都市の郊外にフィールド調査を行い、その住民たちの言葉を忍耐強く聞き取り、解釈するというプロセスによって積み上げられた知見が必要である。中東からマグレブを経て、我が国の「シテ」の移民人口居住区まで徒歩で歩く行程は、ただフランスの地図だけを頭に社会学と歴史学の概念を駆使して行う軽業よりも、はるかに険しい道である。トッドは、1月11日の「衝撃」はイスラームを唾棄する「カトリックのゾンビ」の存在が明らかになったこととし、それら隠れカトリックを1790年の聖職者民事基本法に投票した司祭たち、あるいは1992年のマーストリヒト条約に賛成した有権者と比較し、結びつける。
 2015年5月4日、『シャルリとは誰か』の出版に際して、トッドはフランス・アンテール・ラジオの早朝番組のインタビューに応えた。それよりも四ヶ月前、同年1月7日には、『服従』を出版したばかりの小説家ミシェル・ウエルベックも同じ番組に呼ばれていたが、二人のインタビューの方向は逆であった。トッドはテロに対するアプローチを説明するため、人口学者としての自らの業績のほか、「ユダヤ・ボルシェヴィキ」系列につらなる思想の系譜を挙げた。アシュケナージ・ユダヤ文化が「シュツパー(厚顔)」と呼ぶ冗談の口調で言われたこの言葉で、トッドは自分の二重の立場を明らかにした。トッドのエッセイを読み解く鍵は、彼自身の個人的来歴と過去半世紀にわたる思想的紐帯にある。
 同ラジオ番組のポッドキャストは、トッドのインタビューのタイトルに、「フランスに反ユダヤ主義が戻る危険を一番心配している」というトッド自身の言葉を選んでいる。このように、過去の反ユダヤ主義の記憶とイスラーム嫌厭主義を同一視することで、トッドは、現在フランス本土においてジハードの名のもとで行われていることの理解を妨げる。ジハード主義者がムスリムから政治的発言権を奪い取ろうとしていることや、ジハードの名のもとに多くの若者がフランス本土におけるテロ行為に駆り立てられているということなど、すべての重要な問題は彼の論から姿を消す。トッドが「カトリックのゾンビ」と呼ぶ人々、つまり最も近年の脱キリスト教化フランス人こそが、トッドにとっては1月11日のフランス的悪の根源である。トッドによれば、彼らはキリスト教徒の古い因襲である反ユダヤ主義を無意識にムスリムに向けているらしいのである。
 2013年から2015年にかけての街頭デモを分析した人間にとって、このような矢継ぎ早の連想はいかにも不思議だ。例えば、同性結婚の合法化に対し、伝統的な家族の価値観やモラルへの傾倒で一致する人々を集めた「全ての人のためのデモ行進」では、カトリックと「徹底した」ムスリムが手と手をつないで歩き、新たなタイプの保守連合の存在を見せつけた。この連合はさらに力を増し、2014年の市議会選挙では右に投票するムスリム有権者が初めて現れた。ムスリムの右派票はますます増加し、それまでの左派票を追い越す勢いである。ほんの2年前の2012年、多数のムスリム左派票こそがフランソワ・オランドを大統領にしたのだが。さらに、1月11日の行進からわずか半年前には、「イスラエルのガザ空爆に抗議するデモ」があった。このデモでは、極右の反ユダヤ主義(ソラルやデュードネの陰謀説に加熱された)と、モスールにおけるISカリファの樹立に刺激されたイスラーム主義者の間には、ほとんど境界などないことが明らかになった。これにより、反シオニスト・親パレスチナ・旧植民地出身移民への共感という立場で一致していた、伝統的なフランス左派と極左の連合は打撃を受けた。トッドの連想は、郊外サルセルにおけるシナゴーグへの攻撃、およびユダヤ人とカルデア人の店舗の略奪の主題において不安の頂点に達する。これらの事件は「カトリックのゾンビ」が温存する伝統的な反ユダヤ主義の復帰を危惧させる、と彼は言う。
 しかし、1月11日の行進の深い分析を行うためには、トッドの歴史縦断的アクロバットよりも、もっと有効で、もっと明晰な理解につながる方法がある。それは、行進に先立つ街頭デモに関する政策の数々を調べ、比較し、それらを展望に含めた現在の視点を得ることだ。
 一方、トッドが自らに根付いたものとして公言する「ボルシェヴィキ」思想については、かつて共産党員であったトッドの青春にその源泉を求めることができる。しかし、かつて人類の輝かしい未来を生み出す救世主のようなイメージを誇っていた共産主義は、今ではすっかり姿を消した。一方で、低賃金の労働者層は、かつてとは打って変わって、極右票の基盤となっている。共産主義の消失と、下層の極右化によって立場を失ったフランスの左翼と極左の一部の人々と同じく、トッドもまた、かつての「プロレタリア」の美徳を、実体化された「ムスリム」という抽象概念に移行させ、その理論的役割を負わせざるを得なくなっているのである。トッドは、イスラーム(1月11日の行進が「つばを吐きかける権利」を全面に押し出していたと彼が感じたところのイスラーム)を表現して、「弱者の宗教」と呼ぶ。この表現には、道徳的・宗教的な内容の事象に政治的意味を与える意図が感じられる。この種の道徳の政治化プロセスは、1978年から79年のイラン革命で支配的だった言説の焼き直しのようである。すでに本書の前段で見たことであるが、イラン革命の思想家アリ・シャリアティは、マルクス主義的レトリックが多用する「抑圧された者たち」をイスラーム主義のカテゴリーを刻んだアラブ語に訳す時に、「弱者」(コーランのmoustadafineの訳)という用語を用いていたのだから。
 シャルリ・エブドのムハンマド諷刺画は、すでに「ライシテ」擁護左翼陣営と「親イスラーム」左翼陣営の間に深い溝を築いていた。こうした荒唐無稽な似非の紛争が、マスコミ知識人の業界ではひっきりなしに起こっている。テレビやインターネット上で日々行われるトーナメントでは、理論的鎧に身を包み、重い党派的思想のヘルメットに押しつぶされた両陣営のチャンピオンたちが戦う。彼らの両方が疲れ果てて槍を折ってしまうまで。こうした知識人に残されているフランス社会のイメージは、すっかり過去のものとなった、妄想に近い種類のものだ。彼らは現実に存在しないフランスを目的に据えて、それに合わせて現実を撓めるべく、骨の折れる努力を続けているのである。
(原書314-319頁。訳・加納由起子。ある東京の出版社の編集長に頼まれて、一晩で速攻訳したもの。)

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