Galileo Galilei活動終了に寄せて


 Galileo Galileiが今週発売の新譜及びそのリリース・ツアーを以て活動を「終了」するとの報を受けて、自分の気持ちを書こうと思います。これは彼らの『Portal』という作品に触れて文字通り自分の人生が変わるまでの物語であると同時に、彼らに感化されてわたしが組んだFor Tracy Hydeというバンドそのものの物語でもあります。FTHの本質や将来のヴィジョンに関わる大切な話なので、夏botの個人アカウントではなく、あえてバンド・アカウントに書きます。

 Galileo Galileiの存在を強く意識するようになったきっかけは、アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の主題歌、「青い栞」でした。放送ではじめて耳にしたとき、思わず背筋を正して画面をまじまじと凝視しながら聴き入りました。可憐で印象的な、いちど耳にしたら忘れられないイントロ。淡白でありながらドラマチックでロマンチックな、青春の陰影を切り取るメロディと歌詞。すごい。
 アーティストのクレジットが表示されるのを待ち構えていたわたしは、この曲をつくったのがGalileo Galileiであることに驚かされました。というのも彼らがデビュー時にテレビの音楽番組で演奏するのを観たことがあって、そのときの印象があまりよくなかったからです。当時のわたしは、彼らが毒にも薬にもならないありきたりな商業ロック・バンドだと思っていたのです(もちろんこれは重大な誤解であったと、のちに彼らの初期の作品を聴いて悟りました。彼らは当初からのちの音楽性の萌芽を見せていたのです)。
 しかし、その先入観を以てしても、「青い栞」が名曲であるという確信はいささかも揺らがず、むしろアニメが回を重ねてこの歌が流れるたびに強まるばかりでした。シングルが発売されるとわたしはなんのためらいもなくTower Recordsへ買いに行きました。フル・レングス版もTVエディット版で抱いた期待をまったく裏切りませんでした。これを聴きながら「ごめんなさい、わたしはあなたたちのことを誤解していたようです……」と思ったものです。

 残念ながらこの段階ではカップリングの「SGP」「スワン」にはあまりぴんと来ておらず(もちろんいまではどちらも大好きな曲です)、そのため彼らのほかの作品を購入するにはいたりませんでした。また、当時のわたしは90年代のUKインディ・ロックや渋谷系、60年代のソフト・ロック/サイケ・ポップを好むある意味ではとても保守的なリスナーで、「ポピュラー・ミュージックにおける確信や進化はとうの昔に終わっている」と信じ込んでおり、現行のインディ・ロックにはまったく興味がありませんでした。強いて言えば「もしかしてWashed Outってちょっと面白いのかも……」くらいの認識でした。
 そんなわたしの意識を変えた決定打が、のちにBoyishを結成する友人の岩澤君が教えてくれた「Imaginary Friends」のスタジオ・セッションの動画でした。

https://www.youtube.com/watch?v=nGzIOypTl4k

 たしかにドリーム・ポップやチルウェーブなど、わたしが既に持っていた乏しい音楽的語彙を用いてもこの曲をある程度は語ることができたかもしれません。しかし、この曲のドリーミーでありながら凛とした雰囲気と高揚感のあるビートは、それまでに聴いていた音楽とは明らかに異なる性質と次元のものでした。しかも自分より幾分か年下の若者たちがこの日本で、美しい日本語と日本的な柔かなメロディを以てこの音楽をつくりあげたという事実。彼らの気取りがなくスマートで、それでいて存在感のある佇まい……。ただただ感嘆するばかりでした。

 そうして2012年の春、発売から数ヶ月遅れてようやく手にした彼らのアルバム『Portal』。この作品がどれほど素晴らしいかは、ほんとうに、ほんとうに、どれほど言葉を尽くしても語り切れないでしょう。何百回と聴いているにも関わらず飽きの来ないサウンド、それを構築する解析しきれないほどのおびただしい数のレイヤー。尾崎雄貴さんの歌声、メロディ、歌詞(ほんとうになんて歌詞を書くんだこの人は……)。全編を一周するや否や、「毒にも薬にもならないありきたりな商業ロック・バンド」だったはずのGalileo Galileiは瞬く間にわたしの神様として祭り上げられました。『Portal』のリリース・ツアーをZepp Tokyoで観て、メディアでの報道を通じて浮かび上がる「自宅スタジオをつくり、共同生活を営むことによって日夜を問わず音楽に埋没する」という彼らの姿勢に触れて、彼らに対するその崇敬の念は日に日に強まるばかりでした。
 これがきっかけでわたしはようやくインディ・ロックに目覚め、彼らが影響を受けたであろう現行の海外アーティストたちの音楽を聴くようになりました。同時に趣味の近しい友人たちとの情報交換を通じて、ここ東京にもそうしたバンドたちと共鳴するようなシーンがあることを知り、Teen Runnings、Moscow Club、ミツメ、DYGL、Ykiki Beat、といったバンドたちに夢中になり、足繁くライブを観に行きました。

 大いに刺激を受けたわたしは、いつしか「インディ・ロック・バンドを組みたい。それもGalileo Galileiのように海外シーンと強く共鳴しつつ日本的な美意識も感じさせ、同時に自分が元々好んでいた過去の音楽を引き継ぐようなバンドを」と強く思うようになりました。
 しかし、この気持ちを行動に移すのには勇気が必要でした。というのも、わたしが人生ではじめて組んだバンドは人間性やヴィジョンの違いにより、ライブを3本キャンセルして解散する、という後味の悪い終わり方をしており、このとき「二度とバンドなどやるものか」と決意していたからです。また、就職活動が振るわず、学業でも行き詰まりを感じていて、音楽的な才能のみならず、自分の人間としての器量などにも疑念を抱きつつあったのも関係しています。
 ですが、それでもやはりわたしはむやみやたらに音楽を好きなので、Galileo Galileiへの憧れや表現への欲求をついに抑えきれなくなりました。就職活動を機に患いはじめたパニック障害の悪化に伴い就職を一旦放棄し、自由を得たわたしはデモ制作に取りかかりました。このとき立ち上げたのがのちのバンド・For Tracy Hydeの原形となる同名の宅録プロジェクトで、最初につくった2曲が「Shady Lane Sherbet」と、いまやFTHの代名詞ともなっている「First Regrets」です。
 デモが完成すると、わたしはそれをインターネット上に公開し、バンドのメンバーを募りました。何人かと試験的にスタジオに入ったりライブを行ったりして、ようやく揃ったメンバーたちはルーツが重なりそうで意外と重ならない、それでいて完全に違うわけでもない、という不思議なバランスの人々でしたが、数少ない絶対的な共通項のひとつがGalileo Galileiで、「Galileoの新曲聴いた?」が挨拶として通用するほど彼らの存在は絶大でした。これがバンドとしてのFor Tracy Hydeのはじまりです。

 FTH始動の少し前にGalileo Galileiからギターの岩井さんとシンセの野口さんが脱退したのですが、それからさらに数ヶ月して、友達がある情報を教えてくれました。
「Galileo Galileiがサポート・メンバーを募集してるよ」
 そんな夢のような話、当然ですがにわかには信じられません。「ははは、まさか!」と思いつつ半信半疑でGalileo Galileiの公式Twitterをチェックしました。
 すると果たして、そこには「サポート・メンバー募集」という文言がたしかにありました。
「Galileo Galileiのようなバンドをやるどころか、Galileo Galileiそのものになることすらできるかもしれない……!」
 そう思うといても立ってもいられなくて、わたしは大急ぎで資料を作成し、発送しました。このときの資料はCD-Rの実物こそないものの、データはいまだに手元にあります。CD-Rには表ジャケットと裏ジャケット、歌詞カードがついており、プロフィール文には好きなジャンルやアーティストが書ける限り羅列されていて、「大学卒業後の進路が未定なので採用された折りには札幌への移住なども前向きに検討したく存じます」とまで書かれていて、ご丁寧に送付状(就活生かよ!)だって添えられている、というある意味病的なまでに気合いが入ったつくりの資料でした……。
 しばらくして届いたメール。そこにはGalileo Galileoのマネージャーさんからの「ひとまず一度、実際にお会いして、お話を聞かせて頂ければ」という言葉とともに、かの尾崎雄貴さんからの質問数点がありました(真っ先に訊かれたのが「犬アレルギーはありますか」だったのはとても和みました)。
 マネージャーさんとご面談したときの高揚感は一生忘れないと思います。音楽の嗜好が近しいこと、帰国子女であり翻訳ができること、デモの完成度が高かったことからメンバーが興味を持っている、と聞かされたときはまるで現実感がありませんでした。就職活動のトラウマから少なからず不安もあったのですが、面談自体の感触は悪くなかったようで、その後もメールのやりとりがありました。Galileo Galileiの一員になるという夢の実現に限りなく近づいている気がして、浮ついた気持ちで過ごす日々が続きました。

 もちろん、わたしが結果的にサポート・メンバーに選ばれなかったのは言うまでもありません(そして実際にサポートしていらっしゃるDaikiさんのGalileo Galileiでのプレイや、彼のバンドCurtissの音源を聴くと、それは至極当然の結果のように思えます)。
 しかしそれでも、この出来事はわたしにとって、そしてFor Tracy Hydeにとって、重要な転機となりました。尾崎さんはわたしがBandcampで公開している宅録音源をTwitterでRTしてくださり、その後FTHが女性ボーカルになって初のバンド録音での音源『In Fear Of Love』を公開すると、それをとても好意的に取り上げてくださりました。この出来事もまた大変思い出深いものとなっています。
 2014年5月5日、外出した帰りに小田急線の下北沢駅で電車を待ちながら携帯でTwitterを開くと、TLが「FTHがすごいことになってる」とざわついていました。全体像をまったく掴めないわたしが2009年購入のガラケーを駆使してどうにか情報を辿ると、そこには尾崎さんがFTHの『In Fear Of Love』のURLを貼り、「SnoWish; Lemonade」を褒めているツイートが……。「いま線路に飛び込んで跳ねられたら最高に気持ちよく死ねるだろうな……」という気持ちを抑えて電車に乗り込んだわたしは、当時常にリュックに入れて持ち歩いていた『Portal』をCDウォークマンで聴きながら、高校球児時代に練習していた登戸の河川敷のグラウンドへと向かい、川沿いをひたすら歩いて感慨に浸りました(これがほんとうの『Blue River Side Alone』です……)。
 
 その後紆余曲折はありましたが、For Tracy Hydeは身に余るほど素敵なたくさんのイベントに出演させていただくことができました。
 『In Fear Of Love』は限定無料配布のプレスCD・CD-R・Bandcampでのダウンロードを合わせると、日本のみならず世界中で2000人以上の方に聴かれている計算になります。
 はじめてお会いした方に「For Tracy Hydeというバンドの者なんですが……」とご挨拶すると「あー!」「音源聴いてます!」「ライブ観ましたよ!」という嬉しい反応をいただくことも多くなりました。
 時間はごくわずかですが、実際に尾崎さんとお話をして嬉しいお言葉をいただく機会にも恵まれました。
 どれもこれもすべて、『Portal』という作品なくしてはありえないことですし、現在にいたるまで『Portal』は自分のなかでの音楽的な目標であり続けています。
 また、音楽活動を続けていくなかで、『Portal』に影響を受けたであろう各地のほかのバンドたちと出会うこともできました。何度かライブを観させていただいている札幌のAncient Youth Clubや、個人企画にお招きさせていただいた大阪のBalloon At Dawnと新潟のTeenagers In Loveなどなど……。もちろん、彼らは『Portal』を模倣しているわけではなく、「フォロワー」と呼ぶことすら適切でないかもしれないくらい、それぞれに豊かな個性を持った素晴らしいバンドです。ただ、サウンドへのアティチュードや美意識などにいわば「『Portal』以降」とでも形容できるような感性やシンパシーが感じられるし、もしかすると『Portal』がなければ彼らはほんの少しだけ違う音楽をやっていたかもしれない、と感じる瞬間もあります。恐らくわたしが『Portal』に受けた衝撃と同等のものを感じた方が全国各地にいらっしゃるのだろうな、と思います。

 いささか長くなりましたが、この話を通じてお伝えしたかったことはなんなのか。
 まず、バンド活動から完全に身を引き、就職活動の失敗で精神を病んでいたわたしが再びステージを立ち、人間としても持ち直すきっかけをくれたのは、Galileo Galileoというバンドの存在であり、『Portal』という素晴らしい作品でした。Galileo Galileiへのリスペクトから生まれた楽曲を、同じようにGalileo Galileiを敬愛するメンバーたちとともに演奏するバンドがあり、そのバンドが当初のわたしの想定よりもずっと大きな規模で動けているおかげで、いまわたしはとても充実した生活を送れています。毎日が楽しいです。しかも嬉しいことに、バンドはまだまだ発展途上です。
 つまり、いまわたしがFor Tracy Hydeの夏botとして曲をつくり、楽器を弾き、人と話し、インターネットで情報を発信し、希望を持って生きていられるのは、ひとえにGalileo Galileiのおかげで、彼らを知ったことで文字通りわたしの人生は変わったのです。Galileo Galileiの皆様にはいくら感謝してもしきれません。ほんとうにありがとうございました。『Sea And The Darkness』を手に取るのが待ち遠しいです。対バン形式で共演できなかったのは残念ですし、活動形態は変わってしまうかとは存じますが、これからも皆様のつくる音楽を楽しみにしております。
 次に、音楽リスナーの皆様に知っていただきたいこと。このような経緯を辿っている以上、わたしにとって音楽は「たかが音楽」ではありません。ほんとうに素晴らしい音楽というのは、絶対に「音楽以上のなにか」なのです。たった一枚のアルバムで人生が変わることは充分にありえます。しかもときとしてそれをもたらすのは、あなたが必ずしもよい印象を抱いていないアーティストであったりするのです。直感を大事にして、音楽に身を委ねてみてください。そうすることで得られるものは、あなたが想像するよりもずっと大きいかもしれません。
 また、先ほども述べた通り、いまの日本のインディ・ロック・シーンはとても豊かで、海外シーンとの共振性と日本ならではの独特な魅力を併せ持つバンドがあらゆる地域のあらゆる階層にたくさんいます。ぜひそうしたバンドを見つけ出して、音源を手に取って、ライブに足を運んで、話しかけてみてください。あるいはギターを手に取って歌ってみたり(曲をつくるというのは意外と簡単で楽しいものです!)、お金を貯めてイベントを組んだりするのもいいかもしれません(わたしも過去に数度個人企画を打っていますが、イベントはほんとうにいいものです……。毎回胸がいっぱいになります……)。どんな形であれ、皆様が積極的にシーンと関わりを持つことで、皆様の音楽生活は果てしなく豊かになるはずですし、シーンの未来もより面白いものになるはずです。わたしごときが申し上げてもえらそうに聞こえてしまうだけかもしれませんが……。

 最後になりますが、For Tracy Hydeはアルバムを制作中です。完成は近からずとも遠からずといったところで、恐らく夏の終わり頃にはリリースできるのではないかと思います。Galileo Galileiの影響はもちろんありますが、同時に自分たちなりの個性もはっきり打ち出したよいアルバムになるはずです。このアルバムが誰かにとっての『Portal』となることを願ってやみません。ご期待いただけたら幸いです。

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