★ いま!手を携えて声を上げる!のが何より大事-(植草一秀氏)

戦争法が制定された2015年が間もなく幕を閉じようとしています。

1年間、本ブログ、ならびにメルマガをご愛顧賜りまして誠にありがとうございました。

心から感謝申し上げます。

みなさまにとりまして、今年はどのような1年だったでしょうか。

2011年の福島原発事故から4年半の時間が経ちました。

多くの方が甲状腺がんを発症し、

いまなお10万人もの方々が避難生活を余儀なくされているなか、

福島では法律で許されてこなかった放射線汚染地帯に、子どもたちを含めて居住を強制されています。

原発事故を二度と引き起こしてはならないと同時に、

多くの国民、子どもたちの命と健康を守らねばならないと多くの主権者が考えています。

だからこそ、原発の稼働を許さない。

多数の主権者がこの思いを抱いています。

しかし、安倍政権は今年8月に、安全性を確認しないまま、鹿児島にある川内原発を再稼働させました。

福井地方裁判所の樋口英明裁判長は、原発の耐震性能が不十分であることから、

関西電力高浜原発の運転停止の仮処分を決定しましたが、

安倍政権は司法権力を支配して、高浜原発まで再稼働させようとしています。

9月には日本国憲法に違反する戦争法が強行制定されました。

国会の多数議席さえ占有していれば、何をやっても構わない。

憲法も踏みにじり、正義もかなぐり捨てる、政治暴走の嵐が日本を吹き荒れています。

こうした現状を多くの心ある主権者が憂い、現状を刷新するために立ち上がりつつあります。

残念ながら、2015年に日本政治刷新を実現することはできませんでしたが、

希望の火を消すことなく、2016年の躍進につなげてゆかなくてはなりません。

ドイツ、反ナチ運動家であった神学者マルティン・ニーメラーは次の言葉を遺している。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

(ニーメラー財団によって再編成された詩の日本語訳)

安倍政権は、

危険な原発を再稼働し、

憲法を破壊して、米国が創作する戦争に日本が加担するための違憲立法を強行した。

そして、国の主権を損なうTPPへの参加を強行している。

さらに、沖縄県民が総意で拒絶している辺野古米軍基地建設を強行。

大企業には減税に次ぐ減税を実施する一方で、

所得のない個人から税金をむしり取る消費税大増税を熱烈推進し、

生涯派遣労働の国民を大量発生させる法改定を強行した。

それぞれの問題に直接関わらないからといって、他人事で済ましていれば、

いずれ災厄が自分自身に降りかかる。

そのときに、声を上げても、自分のために行動してくれる人は誰もいなくなってしまうだろう。

原発、憲法、TPP、基地、格差

の問題は全部つながっている。

原発について、福井地方裁判所の裁判長を務めていた樋口英明氏が、

運転停止命令を示したのは、日本が地震大国で、日本中のどこでも、

いつでも大地震が発生する可能性があるのに、

その地震に耐えられる耐震基準が設定されていないことが最大の理由だった。

2008年6月14日に発生した岩手宮城内陸地震で、4022ガルの地震加速度が観測された。

2007年7月16日に発生した新潟県中越沖地震では、

東京電力の柏崎刈羽原子力発電所3号機タービン近くの建屋上部で、

東西方向2058ガルの地震動が観測された。

関西電力大飯原発、高浜原発、九州電力川内原発の耐震基準は

550ガル~700ガルであり、

この規制基準に合格した原発を稼働させることは認められないとの考え方が示されたのである。

2008年の地震で4000ガルを超える揺れが観測され、

2006年の地震でも2000ガルを超える揺れが観測されている。

それなのに、500ガルや700ガルの耐震性能基準を満たした原発を稼働させるのは、

狂気の沙汰としか言いようがない。

しかし、この至極当然の、まともな判決、決定を示した裁判官は左遷され、

政治権力の言いなりになるヒラメ裁判官が、政府の意向を忖度して、権力隷従の判断を示している。

このまま進めば、いつでも、また、あの福島の悪夢が再現されることになる。

また、日本が意味のない戦争に巻き込まれ、日本の国民が犠牲者にされる。

声を上げるものが誰もいなくなる前に、心ある主権者が手を携えて声を上げてゆかねばならない。

沖縄では県と国が法廷闘争に進んでいる。

しかし、2015年を振り返ったときに、この問題に関して決定的に重要な事実は、

国が辺野古米軍基地建設の本体工事に入ったことである。

本体工事が始動し、工事が進捗してしまうと、法廷闘争で、沖縄県側が勝利する可能性が極めて低くなる。

「訴えの利益なし」

の判断が示されてしまう可能性が高まるのである。

「辺野古に基地を作らせない」

が翁長雄志氏の公約だった。

この公約を守るために、何よりも重要なことは、本体工事着工を阻止することであったと言える。

そして、翁長知事は、本体工事を阻止する手段を十分に持ち合わせていた。

本体工事に入るためには、国が沖縄県と事前協議しなければならないことになっていた。

この事前協議の前に、沖縄県が埋立承認を取り消し、

すべての事前協議を拒絶していれば、国は本体工事に入ることができなった。

本体工事に入る前に、沖縄県と国が全面対立し、

法廷闘争に持ち込んでいれば、沖縄県が勝利する可能性も十分に開けたのである。

しかし、現実には、この道が選択されなかった。

翁長知事の対応は、客観的に見れば、国が本体工事に着手する条件が整うまで、

埋立承認の取り消し等の対応を先送りしたものと言える。

国が本体工事に着手するのを見届けて、国との全面対決の姿勢に移行したように見える。

翁長知事は

「辺野古に基地を作らせない」

を公約に掲げているから、この公約の実現可否が、そのまま翁長氏の責任問題になる。

「辺野古に基地を作らせない」

公約を実現できるなら、翁長氏は公約を守り抜いたとして評価されることになる。

しかし、もし、

「辺野古に基地を作らせない」

という公約を実現できない場合には、公約違反の責任を免れることはできない。

なぜなら、

翁長知事は、本体工事着手を阻止する手段と方法を持ちながら、それを実行しなかったからである。

「辺野古に基地を作らせない」

ことを求める沖縄県民は、この点を十分に踏まえて今後の状況推移を注視する必要がある。

TPPについて、その問題点を指摘するマスメディア報道が皆無に近い。

自由貿易は原則として尊重されるべきだが、TPPは単なる自由貿易推進の制度ではない。

TPPの最大の特徴は、ISD条項という、強制力を伴っている点にある。

ISD条項による決定は国家権力の上位に位置することになる。

だから、安倍自民党は

「国の主権を損なうようなISD条項に合意しない」

ことを公約に掲げた。

この、日本語の表現が曲者で、

安倍政権は

「国の主権を損なわないようなISD条項ならありだ」

としている。

しかし、

ISD条項=国の主権を損なうもの

であって、

「国の主権を損なわないようなISD条項」

は、この世に存在しない。

ISD条項の決定は、国家権力の上に位置付けられるから、

必ず「国の主権を損なう」

のである。

多くの日本国民にとって、最大の災厄になるのは、日本の公的医療保険制度が崩壊することだ。

「国民皆保険」は守られても、すべての国民が十分な医療を受けられる制度が崩壊する。

「一般庶民は、病気になっても十分な医療を受けられない」

状況が生まれることは間違いないだろう。

しかし、その変化はすぐに目に見える形で現れない。

少し長い時間のなかで、着実に進むのだ。

その現実が表れてから声を上げてももう遅い。

原発、憲法、TPP、基地、格差のすべての問題について、

いま!

心ある主権者が、手を携えて、

声を上げる!

ことが必要不可欠である。


みなさま、お健やかに、佳き新年を迎えられますよう、心よりお祈り申し上げます。

Reply · Report Post