★ニーメラーの教訓踏まえ安倍暴政に声を上げるー(植草一秀氏)

安倍政権は予想どおり、高浜原発運転差し止め命令を覆してきた。

福井地方裁判所の樋口英明裁判長は、原発政策について画期的な二つの判決および決定を示した。

ひとつは、2014年5月21日の判決。

関西電力大飯原発3・4号機の運転差し止めを命じる判決を下した。

原子力規制委員会の規制基準が原発の安全性を担保するものではないことを明示した

画期的な判決であった。

さらに、2015年4月14日、

福井県と近畿地方の住民ら9人が

関西電力高浜原発3・4号機の再稼働差し止めを求めた仮処分申請に対し、

住民側の申し立てを認める決定を示した。

関西電力は、高浜原発3、4号機の再稼働差し止めを命じた2015年4月の仮処分決定に異議申し立てた。

その異議審に対する決定が2015年12月24日に示された。

福井地裁の林潤裁判長は、4月の判断を覆し、関電の主張を認める判断を示した。

この結果、高浜原発は今冬にも再稼働することがほぼ確実になった。

画期的な判決を示した樋口英明裁判長は、名古屋家裁に左遷された。

2015年4月の決定は、左遷人事が決定されたあとに、職務代行の手続きを取って行なったものである。

樋口英明裁判長が示した判断の根拠の一つは、大飯原発や高浜原発の耐震性能が、

発生し得る地震の揺れに耐えるものになっていないというものである。

誰にでも分かる、あたり前の根拠に基づいて運転差し止め命令や仮処分決定を示したものである。

関西電力大飯原発の耐震性能は1260ガル。

原子力規制委員会の規制基準は

高浜原発が550ガル、大飯原発は700ガルである。

しかし、日本では2008年6月14日に発生した宮城岩手内陸地震で、

4022ガルの地震動が観測されている。

また、2007年7月16日に発生した新潟県中越沖地震では、

東京電力柏崎刈羽原子力発電所3号機タービン建屋1階で2058ガルの揺れが観測された。

樋口裁判長は、宮城岩手内陸地震での4022ガルの揺れは、

日本全国のどこでも、いつでも発生し得るものであるとして、

原子力規制委員会の耐震基準では、国民の生命、自由および幸福を追求する権利は

守られないとして、運転差し止めの命令や仮処分決定を示したのである。

東京電力柏崎刈羽原子力発電所の耐震基準は、旧基準では450ガルであったが、

実際に中越沖地震で2000ガルを超える揺れが観測されてしまったため、

新基準では東京電力柏崎刈羽原子力発電所1号機から4号機のみ、

耐震基準が2300ガルに引き上げられた。

しかし、

大飯原発の耐震基準は700ガル、

高浜原発の耐震基準はわずか550ガルである。

誰がどう見ても、樋口英明氏の判断が合理性を有している。

しかし、この判断の下では原発を稼働できない。

そこで、樋口氏は左遷され、新たな裁判官が、政府の意向に沿う判断を示した。

そういうことだ。

つまり、日本の司法権は独立もしていないし、機能もしていない。

安倍晋三氏は、立憲主義を知らない、あるいは、立憲主義を踏みにじることで有名になったが、

それと同時に、三権分立(さんけんぶんりゅう)も知らないか、踏みにじる人物である。

日本国憲法は内閣総理大臣に強大な権限を与えている。

この権限を正当に行使しないと、怪物が出現する。

日本国憲法には、そのようなリスクが内包されている。

内閣総理大臣は最高裁の人事権を不当に活用すれば、裁判所を支配できる。

裁判官は森炎氏が「パノプティコン」と表現した状況によって、政治権力に支配される存在である。

例外的に、樋口英明氏のような裁判官が出現することがあるが、

最高裁を頂点とする裁判所ヒエラルヒーの下では、

その気になれば内閣総理大臣が裁判所を支配できる。

安倍晋三氏は、立憲主義を踏みにじり、放送の中立・公正を踏みにじり、

そして、裁判所の独立、公正を踏みにじっている。

このまま、2016年の参院選に突入し、

万が一、安倍政権改憲勢力が衆参両院の3分の2を占有することになると、

安倍政権は安倍独裁政治の完成に突進することになるだろう。

暗黒の時代は、すぐ目の前にまで迫っている。

2014年と2015年に、日本の司法が画期的な判断を示した。

その判断の拠り所は極めて分かりやすい。

日本の原発が危険である最大の理由は、言うまでもない。

日本が世界最大級の地震大国であるからだ。

福島の悲劇も、地震と、地震に連動する津波によってもたらされた。

その地震に対して万全の対応を義務付けることは、いろはのいである。

それでも、過酷事故の可能性を排除することはできない。

だから、人類の叡智として、原発は断念するしかない。

これが主権者の多数意見であろう。

したがって、百万歩譲って考えるとしても、

少なくとも、2008年に観測された4022ガルの地震動に耐える基準が設定されるべきことは当然である。

それが、現実には500ガル、600ガルという基準で原発再稼働が行われているのである。

狂気の沙汰としか言いようがない。

メディアは、この最重要事実すら伝えない。

金の亡者が支配する国に成り下がっているのである。

これを「時代の狂気」と呼ぶのだろう。

人間は浅はかな存在だから、しばしば道を踏み外す。

金と権力の亡者が跳梁跋扈して、正論を封じ込めるのだ。

日本が戦争犯罪の道をひた走ったのも、そのためである。

だが、ここで見落としてならないことは、実は多くの国民が、

そのような犯罪の被害者ではなく、加担者であった事実である。

NHKが12月20日に放送した

NHKスペシャル 新・映像の世紀「第3集 時代は独裁者を求めた」

は、余すところなく、この事実を伝えている。

いつの時代も、悪や犯罪行為に対して、勇気を持って異を唱える人物は出現する。

しかし、その一方で、悪に加担し、犯罪行為に加担する有力者も出現するのである。

そして、一般大衆は、その悪の道に引きずり込まれる。

と言うよりも、その悪に、積極的に加担することが少なくはないのである。

日本の司法は権力機構の一翼を担っている。

行政権力から独立して司法が存立しているのではないのである。

砂川裁判では地裁の伊達判決に対して米国がクレームをつけ、

最高裁長官の田中耕太郎が藤山愛一郎外相、

当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世と接触して、

伊達判決を高裁を飛ばしていきなり最高裁で覆した。

このことが象徴するように、日本の司法は戦後一貫して、政治からの独立を実現せずにいる。

第二次安倍政権が発足して以来、この傾向が一段と顕著になっている。

議院内閣制は議会多数勢力が行政権を握るから、もとより、立法権と行政権は一体化している。

とりわけ、衆参ねじれが解消されると、政治権力の暴走を阻止する手立てがなくなる。

安倍政権は司法を支配するとともに、民間マスメディアだけでなく、

公共放送にまで不当な人事権を行使して、公共放送の私物化も実現している。

上記のNHKスペシャルは、1933年のナチスによる全権委任法制定の経緯を伝えたが、

アドルフ・ヒトラーは死期に際して、ナチズムは自分と共に幕を閉じるが、

100年後に蘇るとの言葉を遺した。

安倍政権が2016年参院選で参院3分の2を占有すると、

憲法に緊急事態条項を加憲する可能性が高い。

これは、内閣が非常事態を宣言することで、全権を掌握する権限を得るものである。

ナチスドイツの全権委任法と同じ効力を発揮する可能性が高い。

ヒトラーは、1933年に、国会議事堂放火事件を捏造して、

これを根拠に共産党員の大量逮捕、大量虐殺に突き進み、

その武力行使によって全権委任法を成立させた。

ここから、ドイツは暗黒の時代に突入する。

しかし、そのナチスドイツを多くのドイツ国民が全面支援した。

また、フォードなどの米国資本も反ユダヤのナチス政権に全面的な協力を行ったのである。

「時代の狂気」ほど恐ろしいものはない。

日本でも、特定秘密保護法が制定され、戦争法制が強行制定され、

さらに共謀罪の創設も検討されている。

暗黒の時代は、すでに幕を開け始めているのだ。

これに抗する国民、主権者が連帯して行動し、選挙で勝利を収めなければ、

転落の流れに歯止めをかけることは難しい。

しかし、これをやり切らなければ、私たちの未来の世代は、重い十字架を背負わされることになる。

その大きな分岐点が2016年に訪れる。

心ある市民は、立ち上がらなければならない。

マルティン・ニーメラーの教訓を胸に刻み、いまこそ行動しなければならない。

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