★子どもとお年寄りに優しい社会が「豊かな社会」-(植草一秀氏)

日本経済は野田政権の時代と同様に低迷を続けている。

安倍政権は

「三本の矢」や「新三本の矢」などの施策を提示するが、ここにも非知性主義の特徴がよく表れている。

「三本の矢」は、

金融政策、財政政策、成長政策の三つで、

目新しさはまったくないが、一応は、目標に到達するための手段を示すものだった。

しかし、「新三本の矢」は

GDP600兆円、出生率引上げ、介護離職ゼロの三つで、

こちらは、目標に到達する手段ではなく、目標そのものである。

こちらは、

「三本の矢」ではなく、「三つの的」

なのだ。

そして、最初の「三本の矢」では、

金融政策によって実現するとしていた、インフレ率2%が完全に失敗。

インフレ率はゼロである。

財政政策は、積極財政から超緊縮財政に変節し、

日本経済は2014年に撃墜され、2015年も地を這うような停滞を続けている。

成長政策だけは推進されているのだが、その結果として表出しているのは、

大企業利益の増加と株価上昇



労働者所得の減少と消費低迷

なのである。

大企業の利益が増えて株価が上昇したから、

経済全体が浮上したかのような言い回しがなされるが、まったく違う。

株価の上昇は経済の浮上を意味していない。

経済が停滞しているのに、株価が上昇したということは、

すなわち、経済活動の果実の分配において、資本の側が占有する比率が大きく上昇したことを意味する。

つまり、労働者の取り分、労働分配率は大幅に低下しているのだ。

この部分にアベノミクスの本質がある。

アベノミクスの本質とは、資本の利益の極大化であり、

それは、そのまま、

労働者からの搾取の拡大を意味するのだ。

だから、資本家がアベノミクスを礼賛するのは順当なのだが、

労働者がアベノミクスお礼賛するのは、まったくの筋違いだ。

土足で踏みつぶされて喜ぶような、奇異な対応なのである。

安倍政権が「新三本の矢」で狙うのは、

働くことのできる人間は、全員を労働市場に引きずり出すということだ。

出生率引上げは、働く人数を増やすためのものであるし、

介護離職ゼロは、介護を理由に働くのをやめることを許さない、

というものだ。

働ける年齢の人口は、全員を労働市場に引きずり出す。

しかし、決して手厚い処遇はしない。

全員を、最低の賃金で働かせる。

これを「一億総活躍」と表現している。

しかし、働ける年齢を超えた国民に対してはどう接するのか。

安倍政権は働ける年齢を超えた国民は、邪魔者として扱う。

「一億総活躍」の「活躍」とは、「労働」のことで、

「労働」ができなくなった国民は存在する意味がない、というのが安倍政権の考え方であると言える。

生産年齢を超えて働けなくなった国民が、長居をすることは、

国にとって、費用がかかるだけの、迷惑な事態なのである。

そこで、健康保険医療や、年金給付を最大限削って、

国民があまり長居をしないように制度を変える。

これもしっかりと、安倍政権の経済政策路線のなかに組み込まれている。

安倍政権を支持するのかしないのかは、こうした安倍政権の本質をしっかりと見抜いてから行うべきだ。

株価上昇と株価上昇をはやすマスメディアに流されてはならない。

いま求められているのは、中低所得者の生活を支える経済政策である。

そして、子どもとお年寄りに優しい経済政策である。

「豊かな社会」

というのは、

社会を構成するくさりの輪のなかで、もっとも弱い部分が、

どれだけしっかりしているのかで測られる。

くさりの輪の一部がどれほど強固にできていても、

くさりの輪のもっとも弱い部分が腐っていれば、社会の輪はボロボロになる。

米国などは、ボロボロの社会でとてつもない億万長者はいるが、

生存さえおぼつかない人々が大量発生している社会である。

これに対して、北欧などの福祉国家では、

国民の税や社会保険料負担は非常に高いが、すべての人々に、必要十分な生活保障が与えられている。

同時に、高い国民負担が、シロアリ官僚に食い尽くされるという事態も回避している。

残念ながら、日本社会は、とても「豊かな社会」とは言えない。

子どもとお年寄りが大切にされていない社会は、

「豊かな社会」

とは言えないが、日本はその代表国のひとつだろう。

だからと言って、日本の経済規模が貧しいわけではない。

財政の規模も決して小さくはないのである。

夜警国家という言葉がある。

警察、外交、防衛だけの簡素な国家という意味だが、

「豊かな社会」を作り上げるには、これに「社会保障」を追加して、

これ以外の政府支出を極力削減することが必要なのだ。

2014年度の国の歳出純計は237兆円で、

そのうち、社会保障関係費が79兆円、国債費が91兆円ある。残りは67兆円。

このなかに地方交付税交付金が19兆円、公共事業費7兆円、

文教および科学技術振興費6兆円、防衛費5兆円がある。

これらを差し引いた残りは30兆円。

上記支出のなかにも膨大な無駄が含まれているが、残りの30兆円を大きく圧縮することができる。

その圧縮した部分を社会保障の拡充に充当するべきなのだ。

社会保障を十分にできないのに、オリンピックをやる必要などない。

社会保障を十分にできないのに、地方への観光旅行を振興する必要もない。

そんな余裕があるなら、子どもの貧困問題の解消を図るべきだ。

また、大学進学を希望する者が誰でも大学に進学できるための費用助成を行うべきだ。

生活苦の高齢者の生活を支援する枠組みを強化するべきだ。

多数の国民が苦しみ、1%の大資本家だけが超優遇される社会は、「豊かな社会」ではないのだ。

日本の主権者は、どちらの姿を目指すのか。

最後に決めるのは主権者だ。

弱肉強食社会でいいのだと考える人がいるのは当然だし、

そのような考え方を持つ人が存在することを否定するべきではない。

しかし、他方に、

結果における平等を重視し、

とりわけ、低所得者に対する最低保障を拡充するべきだと考える主権者が多数存在することも事実である。

また、子どもが、貧富の格差によって、十分な教育を受けられない、

あるいは、子どもの人権が侵害されていることを、是正するべきだと考える主権者も数多く存在するはずだ。

所得税中心の税体系というものは、国家が行う仕事、行政の仕事の費用負担を、

能力に応じて実行するための制度である。

能力の高い人に多くを負担してもらい、結果における格差是正を実行する。

これに対して、1980年以降、結果における不平等を容認するべしとの考え方が強まってきた。

その最先端に位置するのが小泉純一郎政権であり、安倍晋三政権である。

こちらが良いと考える人がいるのは事実であるし、

そのような人々がいることは当然でもあるが、日本全体の選択は、

やはり、民主主義国家として多数決で決定されるべきである。

その多数決において、現状では、結果における平等重視、格差是正を求める声が、

実態としては5割を超えていると思われるのだ。

若い人々は、自分の現状と将来に大きな夢と自信を有している場合が多いかも知れない。

若い世代は、結果における平等よりも、自由競争を好む傾向が、あるいは強いのかも知れない。

安倍政権が選挙権を得る年齢を引き下げたのは、この点に着目したからなのであろう。

しかし、若い人こそ、現実の問題点をよく見つめるべきである。

格差の問題が、若い世代に重大なひずみをもたらしていることがはっきりしているのだから。

子どもの貧困、就職市場の門戸の狭さ、正規労働者への道の険しさ、など、

格差大国ニッポンの現実を、肌身を通して感じることが多いのは、

実は若年層であることは十分に考えられるのだ。

経済政策を大転換して、若い人々に大きな夢と希望を付与しなければならない。

いまの経済政策で、この国の未来が闇に包まれることは明白になっている。

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